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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編2(近世1) (名護屋における「日本之つき合」)

南部信直は、この名護屋で常に「上衆(かみしゅう)」(西国大名)とつきあってみたが、西国大名は遠国の大名,また、西国大名らの家臣団編成は、身分が低い小者(こもの)であっても主人に対し格別の奉公を果たせば侍(さむらい,信直は、自己の権力構造の古さや軍事力の低さを、西国大名らとのつきあいの中でいやおうなく知らされたのであり,図19からもわかるとおり、信直や為信の陣屋の周辺は、ほとんどすべて西国大名の陣屋によって占められていた,信直は、すでに述べたように「上衆」(西国大名)らが遠国大名らをとかく「なふり心」であると察知していたが
通史編2(近世1) (伏見築城と奥羽大名)

これは、西国大名が朝鮮への出兵を命じられたことに代わる奥羽の諸大名に課せられた軍役(ぐんやく)の一種であり
通史編3(近世2) ((三)キリシタンの流罪とキリシタン改め)

西国大名や信長・秀吉は、南蛮貿易の利益からキリスト教布教を許容し、京都には南蛮寺が建てられた。
通史編2(近世1) (伏見滞在と派閥抗争)

しかし、伏見での「日本之つき合」の時点では、すでに朝鮮侵略が西国大名、伏見城普請が関東・奥羽の大名というように
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