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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編2(近世1) (参勤交代路と街道の状況)

参勤交代路と街道の状況 津軽弘前藩では当初西浜街道を参勤交代路として使用していた。,として「八森~の志(し)ろ(現秋田県八森町~同能代市)」となっており、津軽領内では大間越から八森へ抜ける西浜街道,このため、藩祖為信時代から西浜街道が重視されたものと思われる。,松前藩主も同時期には西浜街道を参勤交代路として利用しているのである。,図84.御国中道程之図の西浜街道の御境明神  街道の道幅についてみると、「道程帳」の大道筋は、矢立峠
通史編2(近世1) (津軽地域の確保と蝦夷荒)

図3.戦国末期津軽地方の城館分布  また、現西津軽郡の海岸一帯に当たる西浜地域では、中村(現鰺ヶ,鰺ヶ沢は、西浜の重要な湊であり、このころまでには夷島への通路としても機能していたと思われ(資料古代・中世,そして、アイヌとの戦いは、これを通じて西浜の地帯を確保したことに端的に表れているように、大浦(津軽)氏
通史編1(古代・中世) (県下の諸郡)

には当時の古文書類に記された地名から、津軽平賀郡・津軽田舎郡(津軽山辺(やまのべ)郡)・津軽鼻和郡・西浜,津軽山辺郡は黒石市・南津軽郡浪岡町付近、津軽鼻和郡は津軽半島南部からその南方の岩木川左岸にかけての地域、西浜
通史編1(古代・中世) (境界の地外浜)

すでに触れたように、津軽三郡も外浜・西浜も、いずれも北条得宗領であったが、津軽半島の海岸部が、郡ではなく,津軽半島の日本海側は、西浜という呼称であるが、外と西という奇妙な対句も、こうした語源によって生じたものと
通史編1(古代・中世) (文献史料から見た戦国動乱の激化)

南部氏は延徳三年(一四九一)、南部久慈(くじ)氏の一族光信(みつのぶ)を津軽西浜種里(たねさと)に入部,さらに天正九年(一五八一)前後に西浜(にしはま)地域で起こった「西浜蜂起」によるアイヌ民族との抗争の結果,、大浦氏は西浜地域に居住していたアイヌ民族を掃討することに成功をしたようである。
通史編1(古代・中世) (安藤氏の所領)

それに対して、その北方に広がる陸奥湾岸から下北地域にかけての外浜・宇曽利・中浜、あるいは日本海岸の西浜,宗季が高季に与えた元徳二年(一三三〇)六月十四日付の譲状(史料六二八)に、関・阿曽米(前)を除く津軽西浜,の譲渡がみえることから、安藤氏の支配領域は津軽・南部両地方にわたり、津軽地方では鼻和郡内諸郷・西浜(現在
通史編3(近世2) (織座)

紺屋(こうや)と称し、藍染を主とする染物職人の町)の北側にあり、西浜街道(西浜は津軽半島の西側日本海に,またこの辺は、①水の便がよい、②清水が湧出する、③染屋町(紺屋町の別称)に近くて便利が良い、④西浜街道
通史編1(古代・中世) (特殊な行政区画)

特殊な行政区画 なお津軽半島部は、陸奥湾側が外浜(そとのはま)、日本海側が西浜(にしのはま)というように
通史編2(近世1) (検地の実施)

の開発地 寛文11年  2月26日 3月13日 8月   外浜 在々 高杉・広須・西浜,西浜検地 延宝 3年  3月12日 在々。困窮のため延期となる。
通史編2(近世1) (青森以外の町の騒動)

同じ西浜の深浦では天明三年七月三十日に蔵米を津出しようとした問屋、三国屋助左衛門・秋田屋惣左衛門が打ちこわしを
通史編1(古代・中世) (大浦氏の城下町建設の流れ)

大浦氏の城下町建設の流れ 大浦氏が津軽地域を掌握するきっかけは、西海岸の掌握と西浜の南方にある安東氏
通史編1(古代・中世) (安藤の乱の展開)

両軍は外浜の内末部と西浜の折曽関に城郭を構え、その間を二分する洪河(大河=岩木川)をはさんで相対した(,正中三年(一三二六)三月、有力得宗御内人工藤祐貞(すけさだ)が「蝦夷征伐」のため鎌倉を進発し、五月末、西浜
通史編2(近世1) (外浜の掌握と開発)

これについて、具体的なことは不明ではあるが、西浜の場合と同じようにように、高野・荒川両付の開発の際に、
資料編1(古代・中世編) (一 大浦城の立地と現状)

地理的に見て、ちょうど西浜(西海岸)と内陸を結ぶ街道が津軽平野に出た地点に当たり、交通の結節点で、かつ
資料編1(古代・中世編) (一 東目屋地区の中世城館と領主の歴史)

第三節大浦城跡の項で述べたように、岩木山麓から目屋地区にかけての地域は、西浜と津軽平野を結ぶ戦略的要地
資料編1(古代・中世編) ([十四世紀])

●正中三年(一三二六)五月二十七日、曾我光称、西浜合戦に先立って、津軽沼楯村を子息に譲る。,●元徳二年(一三三〇)六月十四日、安藤宗季、津軽西浜を子高季に譲る。,●建武二年(一三三五)閏十月二十九日、安藤高季に、鼻和郡・糠部郡・西浜等の所領を安堵。,●康永三年(一三四四南興国五)六月、藤原氏家、西浜追良瀬見入山観音堂を建立する。
通史編2(近世1) (一里塚)

一里塚 「正保国絵図」の中で、一里塚の印が記載されている街道は、大道筋の西浜街道・羽州街道・奥州街道
通史編1(古代・中世) (東目屋地域に見られる城館跡)

東目屋地域に見られる城館跡 大浦城跡から西側に当たる岩木山麓から目屋地区にかけての地域は、西浜と津軽平野
通史編2(近世1) (三戸南部氏の津軽進出と大浦築城)

ぐんだい)」とするとともに、延徳三年(一四九一)に南部久慈(くじ)氏の一族南部光信(みつのぶ)を津軽西浜種里
通史編3(近世2) ((三)住居)

次いで亀甲町(西浜方面へ)・和徳町(わとくまち)(青森方面へ)・土手町(秋田藩領方面へ)であった。
通史編1(古代・中世) (一六世紀の湊)

また、西浜と外浜の物資が集積し、津軽平野部と結節する地点に浪岡が位置する。
通史編3(近世2) (平尾魯僊)

彼の画業は「安門(あんもん)瀑図」・「西濱図」・「岩木山図」をはじめ、津軽領内の山中渓谷や沿海の景観を
資料編1(古代・中世編) (二 大浦城の歴史)

海からの安東勢力の侵入口である西浜の種里に拠って(「前代歴譜」)、南部氏の前衛の役割を担うことになった
資料編1(古代・中世編) (五 東目屋地区の中世城館の特徴)

の調査を通して浮かび上がったのは、大浦氏が本拠とした大浦城との関係であり、さらに、この地が津軽平野と西浜
通史編1(古代・中世) (津軽曽我氏の所領・岩楯村)

光頼は嘉暦元年(一三二六)、安藤の乱の激戦、西浜合戦(史料六二三)に出陣するに際して(嫡子資光は先年、
通史編1(古代・中世) (中世の農民)

(はなわ)郡・奥法(おきのり)郡・馬(うま)郡・江流末(えるま)郡・外ヶ浜・北浜の六郡・二浜に分け、西浜
通史編3(近世2) (紺屋町末紙漉所)

、紙業の振興を担当する郡奉行戸田左五兵衛・菊池四郎兵衛を同道して楮仕立ての適地検分のため、浪岡組内と西浜筋
通史編2(近世1) (陸上交通網の整備)

①は当時の参勤交代路である西浜街道(鰺ヶ沢街道)と、羽州街道の弘前~油川間と、奥州街道の油川~狩場沢間
通史編1(古代・中世) (奥大道と文物の流通)

外浜・西浜の編成時期も、津軽三郡・糠部と同時であると思われる。
通史編1(古代・中世) (種里城と町)

種里城と町 明応元年(一四九二)、現在の鰺ヶ沢町種里町に西海岸の掌握と西浜の南方にある安東氏に備えて
通史編1(古代・中世) (渡嶋の所在)

になって国郡制が本州の北端にまで及んだ段階でも、「郡」の名がつかない、外浜(そとのはま)(陸奥湾岸沿い)・西浜
資料編1(古代・中世編) ((2)戦国時代の「石川城(石川大仏ケ鼻城)」)

この過程で南部氏は、延徳三年(一四九一)、一族の南部光信(津軽氏の祖先)を西浜種里城に、明応七年(一四九八
通史編2(近世1) ((二)蝦夷地出兵の諸段階)

軍船は西浜で調達した弁財船など五〇艘が準備された。
通史編1(古代・中世) (三戸南部氏による領国支配の強化)

そして、すでに西浜・津軽西根の押さえとして入部していた南部一門の大浦氏(当時は盛信の代)と、大光寺城主南部政行
通史編3(近世2) (諸役と仲間)

5文目 鳥 取 5文目 鳥 屋 5文目 山漆実買請 40文目 塩釜壱枚 35文目(外浜通) 西浜通
通史編2(近世1) (林政の展開と漆木の栽培)

九山)、中山通り(前田の目山林から小泊山林まで二二山)、外浜通り(鶴ヶ坂山林から宇鉄山林まで四二山)、西浜通
通史編1(自然・原始) (発掘調査の成果)

東津軽郡今別町の大開城跡(151)、昭和五十五年(一九八〇)には西津軽郡深浦町の元城跡、ならびに同町関の西浜折曽
通史編1(自然・原始) (第一節 注および引用・参考文献)

(152)A 本堂寿一 『青森県深浦町元城跡踏査報告』 一九八〇年八月    B 本堂寿一 『西浜折曽
資料編1(古代・中世編) (第一章 綱文・史料一覧)

…………………… 鎌倉年代記裏書 176 ●正中三年(一三二六)五月二十七日、曾我光称、西浜合戦に先立,………………………… 南部家文書 178 ●元徳二年(一三三〇)六月十四日、安藤宗季、津軽西浜を子高季,……………… 南部家文書 199 ●建武二年(一三三五)閏十月二十九日、安藤高季に、鼻和郡・糠部郡・西浜等,………………………… 南部家文書 206 ●康永三年(一三四四南興国五)六月、藤原氏家、西浜追良瀬見入山観音堂
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