機関トップ
資料グループ
テキスト一覧
年表一覧
キーワード一覧
弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍
トップページ
詳細検索
詳細検索
目録
テキスト
年表
キーワード
その他(トップページ等)
検索条件を追加
目録
テキスト
年表
キーワード一覧
その他(トップページ等)
AND
OR
NOT
年号変換
閉じる
検索結果
: 13件
辞書ファセット
○○○
△△△
10件
20件
50件
100件
(並べ替え)
テキストタイトル(昇順)
テキストタイトル(降順)
ページタイトル(昇順)
ページタイトル(降順)
掲載ページ(昇順)
掲載ページ(降順)
/ 1ページ
通史編2(近世1)
(東西蝦夷地直轄下の勤番体制)
東
西蝦夷地
直轄下の勤番体制 文化四年三月の松前および
西蝦夷地
の上知決定に伴い、翌四月、津軽弘前藩は盛岡藩,当藩は二五〇人と、
西蝦夷地
上知に伴う新たな勤番人数を用意していたが、エトロフ襲撃事件への増援要請が箱館奉行 / 東
西蝦夷地
直轄下の勤番体制
通史編2(近世1)
(開国と箱館警備)
その構想のなかで、堀は津軽弘前藩を含む奥羽諸藩に対して東
西蝦夷地
警衛勤番を命ずるよう主張し、(その割り,当て案については表64参照)津軽弘前藩には
西蝦夷地
への「援兵」の派遣を割り当てていた。,二月二十四日には箱館奉行に対して、上知となった東
西蝦夷地
一円の警衛について、指揮権を委任するという通達,図206.東
西蝦夷地
上知被仰出向後警衛向御書付 目録を見る 精細画像で見る この結果、奥羽諸藩,シフトコまで 北蝦夷地、そのほかの島々 マシケ ソウヤ 津 軽 弘前藩 箱館 江差在乙部村から
西蝦夷地
通史編2(近世1)
(ロシアによるエトロフ襲撃事件)
ロシアによるエトロフ襲撃事件 文化四年、幕府は松前および東
西蝦夷地
一円を直轄化するが、これに大きな影響,なお、文化四年三月の幕府による松前および
西蝦夷地
の上知と松前藩の陸奥梁川(やながわ)(現福島県伊達郡梁川町
通史編2(近世1)
(「分領」はなぜ行われたのか)
たっていた津軽弘前・盛岡・仙台・秋田の各藩に、会津・庄内両藩を加えて、警衛の任に当たらせるとともに、東
西蝦夷地
通史編3(近世2)
(一一代順承の治世)
した程度で済んだが、蝦夷地警備の負担は増加する一方であり、特に安政二年には箱館千代ヶ岱(ちよがたい)と
西蝦夷地
,スッツ(現北海道寿都郡寿都町)に陣屋を建設し、
西蝦夷地
乙部(オトベ)から神威(カムイ)岬までの警備を任
通史編2(近世1)
(二度の高直り)
さらに文化五年十二月に入って、幕府は盛岡・津軽弘前の両藩に東
西蝦夷地
の恒久的警備を命じ、南部利敬(としたか
通史編2(近世1)
(安政期の蝦夷地警備と交通問題)
津軽弘前藩は箱館に蝦夷地警備の本拠地ともいうべき千代ヶ台(ちよがだい)陣屋と、
西蝦夷地
スッツ(寿都(すっつ,そして、
西蝦夷地
の乙部(オトベ)から神威(カムイ)岬までを警備担当地域として割り当てられた。
通史編2(近世1)
(幕府の蝦夷地政策)
また
西蝦夷地
探検隊はサハリン(樺太)のシラヌシ・オオトマリ・クシュンナイまで調査し、山丹(さんたん)交易,によるカラフト・択捉島の日本施設の襲撃事件などの一連の事件を背景として、文化四年三月、幕府は松前および
西蝦夷地
通史編2(近世1)
(東蝦夷地直轄下の勤番体制)
寛政十年(一七九八)三月、幕府は目付渡辺久蔵以下、一八〇余人に及ぶ大規模な調査隊を編成し、東蝦夷地・
西蝦夷地
通史編2(近世1)
(「松前復領期」における蝦夷地派兵準備体制)
この時期は松前藩の蝦夷地復帰により始まり、開国、安政元年(一八五四)の箱館近辺の上知を経て、同二年に東
西蝦夷地
上知
通史編2(近世1)
(文化律)
一方、これまでの東
西蝦夷地
警備は、同五年十二月の幕命で永久警備となり、それによって表高(おもてだか)が
通史編3(近世2)
(商社の活動内容)
こうして、翌三年正月には
西蝦夷地
古平(ふるびら)(現北海道古平郡古平町)の数ヵ所に場所が設定され、出稼
資料編3(近世編2)
(【解説】)
なお、この期の
西蝦夷地
警備の拠点であり、北蝦夷地への渡海口でもあった弘前藩宗谷陣屋については、瀧本壽史
/ 1ページ