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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編2(近世1) (東西蝦夷地直轄下の勤番体制)

東西蝦夷地直轄下の勤番体制 文化四年三月の松前および西蝦夷地の上知決定に伴い、翌四月、津軽弘前藩は盛岡藩,当藩は二五〇人と、西蝦夷地上知に伴う新たな勤番人数を用意していたが、エトロフ襲撃事件への増援要請が箱館奉行 / 東西蝦夷地直轄下の勤番体制
通史編2(近世1) (開国と箱館警備)

その構想のなかで、堀は津軽弘前藩を含む奥羽諸藩に対して東西蝦夷地警衛勤番を命ずるよう主張し、(その割り,当て案については表64参照)津軽弘前藩には西蝦夷地への「援兵」の派遣を割り当てていた。,二月二十四日には箱館奉行に対して、上知となった東西蝦夷地一円の警衛について、指揮権を委任するという通達,図206.東西蝦夷地上知被仰出向後警衛向御書付 目録を見る 精細画像で見る  この結果、奥羽諸藩,シフトコまで 北蝦夷地、そのほかの島々 マシケ ソウヤ 津 軽 弘前藩 箱館 江差在乙部村から西蝦夷地
通史編2(近世1) (「分領」はなぜ行われたのか)

たっていた津軽弘前・盛岡・仙台・秋田の各藩に、会津・庄内両藩を加えて、警衛の任に当たらせるとともに、東西蝦夷地
通史編2(近世1) (ロシアによるエトロフ襲撃事件)

ロシアによるエトロフ襲撃事件 文化四年、幕府は松前および東西蝦夷地一円を直轄化するが、これに大きな影響,なお、文化四年三月の幕府による松前および西蝦夷地の上知と松前藩の陸奥梁川(やながわ)(現福島県伊達郡梁川町
通史編3(近世2) (一一代順承の治世)

した程度で済んだが、蝦夷地警備の負担は増加する一方であり、特に安政二年には箱館千代ヶ岱(ちよがたい)と西蝦夷地,スッツ(現北海道寿都郡寿都町)に陣屋を建設し、西蝦夷地乙部(オトベ)から神威(カムイ)岬までの警備を任
通史編2(近世1) (二度の高直り)

さらに文化五年十二月に入って、幕府は盛岡・津軽弘前の両藩に東西蝦夷地の恒久的警備を命じ、南部利敬(としたか
通史編2(近世1) (安政期の蝦夷地警備と交通問題)

津軽弘前藩は箱館に蝦夷地警備の本拠地ともいうべき千代ヶ台(ちよがだい)陣屋と、西蝦夷地スッツ(寿都(すっつ,そして、西蝦夷地の乙部(オトベ)から神威(カムイ)岬までを警備担当地域として割り当てられた。  
通史編2(近世1) (幕府の蝦夷地政策)

また西蝦夷地探検隊はサハリン(樺太)のシラヌシ・オオトマリ・クシュンナイまで調査し、山丹(さんたん)交易,によるカラフト・択捉島の日本施設の襲撃事件などの一連の事件を背景として、文化四年三月、幕府は松前および西蝦夷地
通史編2(近世1) (「松前復領期」における蝦夷地派兵準備体制)

この時期は松前藩の蝦夷地復帰により始まり、開国、安政元年(一八五四)の箱館近辺の上知を経て、同二年に東西蝦夷地上知
通史編2(近世1) (東蝦夷地直轄下の勤番体制)

寛政十年(一七九八)三月、幕府は目付渡辺久蔵以下、一八〇余人に及ぶ大規模な調査隊を編成し、東蝦夷地・西蝦夷地
通史編2(近世1) (文化律)

一方、これまでの東西蝦夷地警備は、同五年十二月の幕命で永久警備となり、それによって表高(おもてだか)が
通史編3(近世2) (商社の活動内容)

こうして、翌三年正月には西蝦夷地古平(ふるびら)(現北海道古平郡古平町)の数ヵ所に場所が設定され、出稼
資料編3(近世編2) (【解説】)

なお、この期の西蝦夷地警備の拠点であり、北蝦夷地への渡海口でもあった弘前藩宗谷陣屋については、瀧本壽史
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