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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍
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通史編3(近世2)
(火災)
②延宝五年(一六七七)九月四日、
親方町
(おやかたまち)より出火し、
親方町
・白銀町(しろがねちょう)・塩分町,③延享元年(一七四四)五月十一日、本町(ほんちょう)一丁目から出火して一丁目~五丁目・
親方町
・本寺町・
通史編4(近・現代1)
([口絵])
口絵31 本町・元寺町方面を望む 口絵32 老舗金木屋の大売り出し 口絵33
親方町
,の信心堂〓関清六小間物店の前にて 口絵34
親方町
九戸時計店 口絵35 和徳町の久一呉服店,口絵36 藩祖三百年祭の土手町 口絵37 藩祖三百年祭の
親方町
口絵38
通史編4(近・現代1)
(弘前商業会の活動)
同会の事務所は
親方町
に置かれ、また、同会の目的は規約によって、①商工業の利害得失を講究し、地方の有益を
通史編4(近・現代1)
(日清戦争後の会社、銀行と工業生産)
) 種類 名 称 所在地 営業種別 資本金 株主及 組合人員 合名会社 合名会社関銀行 弘前市大字
親方町
,工藤機業合名会社 同 亀甲町 機業 3,000 2 合資会社 合資会社弘前両益銀行 同
親方町
通史編4(近・現代1)
(道路改修問題と佐和知事)
経過市町村 終尾 第41号国道 青森市長島 滝内村、新城村、大杉村、浪岡村、藤崎村、和徳村、弘前市元寺町、同
親方町
,第八師団司令部 弘前市土手町 山道町、住吉町、清水村富田 第八師団司令部 歩兵第三十一聯隊兵営 弘前市
親方町
通史編4(近・現代1)
(学区の改変)
もっとも、当時の学区は今日のように画然と分けられておらず、東長町から和徳小学に通学したり、
親方町
などでは
通史編2(近世1)
(由緒書から)
由緒書から
親方町
に住んでいた竹内勘六の由緒によると、先祖嘉右衛門は、高松の出身で、天文年間(一五三二
通史編4(近・現代1)
(料理店)
明治後期の市内一流料理店として知られたものは、本町の酔月楼・万葉亭・峰月館、
親方町
の長久楼・中村楼、東長町
通史編4(近・現代1)
(時敏小学校の創設)
蔵主町、大浦町、田町、田茂木町、禰宜町、若党町、小人町、春日町、馬喰町、亀甲町の一二ヵ町)と盈進学区(
親方町
通史編3(近世2)
(消防制度)
鍛冶町・桶屋町(おけやまち)・銅屋町(どうやまち)・建詰町(けんづめちょう)・土場町(どばまち))、
親方町
,(
親方町
・大工町・長町(ながまち))、土手町(土手町・松森町(まつもりまち))、富田町(とみたまち)(
通史編5(近・現代2)
(紅緑の少年時代)
明治七年、青森県第三大区一小区(現弘前市
親方町
)に父・弥六、母・支那の次男として生まれる。
通史編4(近・現代1)
(戸長の配置)
大島佳寿 新寺町 北新寺町 新寺町新割町 清水慶太郎
親方町
通史編5(近・現代2)
(帝大合格と結婚)
写真84
親方町
冬景色
通史編4(近・現代1)
(洋服)
四十年ごろの洋服店では、本町の行方長次郎、土手町の野元慶助、
親方町
の兜森喜代松、一番町の小寺勇太郎などが
通史編3(近世2)
(町役負担と御用金)
なお、表4の七組で上役を負担していたのは、
親方町
の計四六軒(実際には三八軒と四分の三を負担)、土手町の,90人 77人 中 役 84人 67人 下 役 72人 50人 下之下役 66人 35人 備 考
親方町
,表4と表5を関連付けてみると、表5の上役には
親方町
と土手町が入っており、表4の横町とは東長町であろう。,表5.弘前城下各町の上中下役 役 町 名 上 役
親方町
(但松井四郎兵衛前より土手坂の上まで,当時
通史編4(近・現代1)
(ランプと写真)
西谷は
親方町
に住み、人形小細工の技芸に優れたが、撮影技術を修めたのち自宅に写場を設けたという。,柴田は
親方町
野村常三郎の女婿で元長町に住んでいた。
通史編3(近世2)
(本町の繁栄)
本町一丁目~五丁目のほかに覚勝院町(かくしょういんちょう)(後に覚仙(かくせん)町)・大工町(だいくまち)・
親方町
通史編4(近・現代1)
(県下銀行の発展と金融都市弘前)
. 2 弘前市
親方町
35,000 35,000 6 合資会社 高谷銀行 25. ,上北郡野辺地町 100,000 100,000 4 同 弘前両益銀行 27. 2 弘前市
親方町
,関銀行 明治三十年、弘前市大字
親方町
三三に設立。
通史編5(近・現代2)
(空襲を受けなかった弘前市)
弘前駅周辺や土手町、
親方町
など市の中心部にも防空壕は多数作られたが、国民学校に数多くの防空壕が作られたのは,そのほかにも鍛冶町、桶屋町の家屋を除去し、一番町両側、
親方町
の大部分を除却、警察署・市役所庁舎から公園堀端
通史編2(近世1)
(町方支配)
さきに紹介したように、町年寄は松井・松山両家が世襲しており、その屋敷ははじめは
親方町
にあったが、宝永二年,延宝期の城下の町方は、
親方町
支配分・土手町支配分・横町支配分・亀甲町支配分・紺屋町支配分・新町支配分・
通史編3(近世2)
(三 八幡宮の祭礼と山車の運行)
平成六年に弘前市の山車会館が完成し、七町会の山車、張良山(本町・
親方町
・大根山(茂森町)・道成寺山(鍛冶町,天和二年(一六八二)の山車は、張良山(本町・
親方町
)・大黒山(本寺町)・文殊山(土手町)・高砂山(東長町,「弘前八幡宮祭礼図」には、女子が本町・
親方町
の牡丹の花籠をかたどった曳き物を引く様子がある。
通史編4(近・現代1)
(県立弘前医学校(県立青森医学校))
医学生の指導者として、東京医学校卒業の中村良益を招聘し、十年三月一日青森県立弘前医学校を
親方町
に開設した
通史編4(近・現代1)
(城西小学校創立)
徒町、徒町川端町、山下町、南横町、○和徳町、北横町、茶畑町、茶畑新割町 和徳 中初 亀甲学区 二
親方町
通史編4(近・現代1)
(行在所の奉迎ぶり)
この日の経路は前日と逆に本町から
親方町
、土手町を経て松森町、富田町から枡形に抜け、そこから松原通り、千年村
通史編4(近・現代1)
(城跡の荒廃)
写真120は明治五年に
親方町
の西谷休之助が撮影したもので、天守閣に続いて石垣の上に土塀が連なり、また、
通史編2(近世1)
(大問屋制の導入)
天保八年九月二十三日、藩は駒越町紙屋忠兵衛・桶屋町三国屋八三郎・東長町大坂屋福次郎・和徳町猿賀屋小市郎・
親方町
木野屋善次郎
通史編3(近世2)
((三)住居)
に元長町(もとながまち))・下長町・寺町(後に元寺町(もとてらまち))・土手町(どてまち) 城南―
親方町
通史編4(近・現代1)
(大区小区制の成立)
津軽郡第三大区 一小区 弘前町(八九ヵ町) 本町 上白銀丁 下白銀丁 元大工町 元長町
親方町
通史編2(近世1)
(刑の執行)
茂森横鍛冶町(よこかじまち)(現覚仙町(かくせんちょう))~本町(ほんちょう)通~五丁目(現本町)~
親方町
通史編3(近世2)
(宝暦期の城下)
翌六年の「弘前町惣屋敷改大帳目録」(資料近世1No.一一五四)には、本町支配・
親方町
支配・鍛冶町支配・
通史編4(近・現代1)
(第五十九銀行の営業状況)
(四)本店の新築 明治三十七年、弘前市
親方町
に落成。
通史編3(近世2)
(諸家業と職人)
一二人、茂森町支配で八人、亀甲町支配で一〇人、東長町支配で一五人、新町支配で一四人、紺屋町支配で一〇人、
親方町
支配,また、医者が本町に九人、下鍛冶町に三人、
親方町
に一一人、和徳町に一人、土手町に七人、新町に五人、東長町
通史編2(近世1)
(町役)
の町役を負担する総屋敷数は一八一軒で、上役は一四八余、一ヵ年の出人足は九六人で、名主役・月行事一二、
親方町
通史編5(近・現代2)
(りんご加工業と輸出)
の菓子商がりんごようかんを製造したのが最初とされているが、記録では、明治三十九年(一九〇六)、弘前市
親方町
通史編4(近・現代1)
(弘前地方米穀商組合の活動)
めさるもの (資料近・現代1No.四〇一所収) 設立願は認められ、明治三十三年十一月十一日に弘前市
親方町
通史編5(近・現代2)
(見直したい弘前市の記録)
土手町、鍛冶町をはじめ、代官町、桶屋町、百石町、
親方町
、紙漉町、紺屋町、若党町、五十石町、元大工町、元寺町
通史編4(近・現代1)
(町並みの推移)
写真122
親方町
から本町を望む 兵営が設けられた市の南郊、清水村の富田や館野、桔梗流一帯の田園荒蕪地
通史編4(近・現代1)
(戸籍法と戸籍区)
大島栄作 同小二区 下白銀丁 元寺町 一番丁 鉄炮〔砲〕町 鞘師町 寺小路 東長町 百石町 同細小路
親方町
通史編3(近世2)
(出発)
同二丁目~五丁目(現弘前大学付属病院前の通り)・
親方町
(おやかたまち)・土手町(どてまち)へ出ると土淵川
通史編4(近・現代1)
(食生活の変化)
例えば三十三年ごろには松森町村谷甘泉堂でぶどう羊羹を、
親方町
田辺では林檎菓子とマルメロ羊羹を売り出した
通史編4(近・現代1)
(断髪)
写真36 ちょんまげ姿の
親方町
消防団 (明治15年) さて、ザンギリ頭になった者でも、壮士芝居
通史編2(近世1)
(城下高岡の形成)
町(現上白銀町)、片原(かたはら)町(現下白銀町)、下片原町(現下白銀町東側堀端)、志(し)わく町、
親方町
資料編1(古代・中世編)
([十六世紀])
●天文十三年(一五四四)、弘前
親方町
竹内氏、この年より先祖嘉右衛門が十三湊にて大浦氏の廻船御用を務めると
資料編1(古代・中世編)
(第一章 綱文・史料一覧)
…………………… 寛永諸家系図伝 288 ●天文十三年(一五四四)、弘前
親方町
竹内氏、この年より先祖嘉右衛門
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