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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編5(近・現代2) (観光協会の事業計画)

観光協会の事業計画 新生なった弘前観光協会はどのような観光事業を展開しようとしたのだろうか。,まず基本方針は「全国三十五観光都市の一として東北では仙台に次ぐ文教観光の都市」と自覚し「これを世に広く,そのほか観光の宣伝紹介、施設の整備促進、郷土文化の育成や観光土産品の改良指導、観光事業機関との連絡協調,四月上旬…観光ドラマ放送、観光弘前小唄放送、観光弘前伝説放送   四月中旬…観光民謡放送、サービス講習会,、観光弘前写真展、観光関係者協議会   四月下旬…観光案内所設置、観桜会、姫コンテスト、芸者手おどり / 観光協会の事業計画
通史編5(近・現代2) (合併前後の観光対策)

合併前後の観光対策 市町村合併前後、観光地弘前の名声は徐々に高まってきていた。,だが肝心の観光客受け入れ態勢はどうだったのだろうか。  ,とくに市の玄関口である駅前に観光案内所がないことは、観光都市として致命的な欠陥であった。,昭和二十九年(一九五四)段階で、市には独立した観光課もなく観光客受け入れ対策も確立されていなかったのである,写真229 弘前市観光案内所と馬車(昭和33年) / 合併前後の観光対策
通史編5(近・現代2) (弘前観光協会の設立)

弘前観光協会の設立 弘前市は戦後の世相が観光に力を注いでいることにちなみ、市にも観光政策を本格的に導入,事実、弘前観光協会設立の趣意書には「終戦後の我が観光界の今日に即し能(よ)くその目的達成を計り個々の関係機関,弘前市内には協会設立の趣意書にうたうだけの観光名所が多数あった。,こうして昭和二十五年(一九五〇)七月十二日、「弘前市及びその近郷に於ける観光諸施設を急速に整備し、観光客,観光協会は弘前市だけでなく、市を取り巻く広域的発展を見込んでいたのである。 / 弘前観光協会の設立
通史編5(近・現代2) (観光協会をめぐる紛糾)

観光協会をめぐる紛糾 昭和二十五年に設立された弘前観光協会は、活動が期待されていたのにもかかわらず、,もともとこの観光協会自体は、戦後毎日新聞社が「日本観光百選」という事業を企画し、弘前市を入選させるために,彼らは市当局の観光行政だけでは観光都市弘前をつくれないと見て、行政と市民をつなぐために新たな観光協会という,そこで彼らは対策を練る研究組織として、昭和二十九年になってから弘前市観光研究会をつくり、「新しい観光協会,その結果、新しい観光協会の発足は観光研究会に引き継ぐことになった。 / 観光協会をめぐる紛糾
通史編5(近・現代2) (戦後の世相と観光政策)

戦後の世相と観光政策 観光といってもいまさら当たり前のように感じるかもしれない。,しかし今日でいう観光の概念が本格的に国民全体に行き渡ったのは戦後からである。,敗戦後の打ちひしがれた国民に夢を与えたものは観光である。,観光に焦点を当て産業化したのは高度経済成長前後あたりと思われる。,この時期に弘前市も観光という目玉産業に着目した。 / 戦後の世相と観光政策
通史編5(近・現代2) (観光客受入態勢の必要性)

観光客受入態勢の必要性 観光案内所の駅前近辺への設置については、市民の間からも要望が高かった。,事実、弘前市の表玄関口である駅前に案内所がなかったため、満足な観光ができず、不満を抱えて帰省した観光客,だが『陸奥新報』は、観光案内所などの施設は、観光客集客の大事なサービスであり、私営にすれば維持経営上使用料金,駅前観光案内所に限らず、観光都市を目指すためには観光客誘致のための宣伝活動や、交通網の整備、観光施設の,けれどもより重要なことは、観光客受け入れ態勢を充実させるために、市当局・商工会議所・観光協会など、関係当局 / 観光客受入態勢の必要性
通史編5(近・現代2) (観桜会運営の打合会議)

弘前市が観桜会を市の観光の名物にしようとしていたのは、観桜会への観光客誘致に関する打合会の開催からもわかる,青森観光協会機関紙への特集号として「花の弘前」を掲載し、青森駅前の観光塔に広告を記載し、弘前駅前案内所,案件は、①観光客誘致に伴う宣伝方法、②案内・サービス体制の整備、③交通機関の配置だった。,②は案内所の設置や観光パンフレットの配布、観光土産品の促進のほか、宿泊受け入れ態勢をどうするかが提案された,この発言は、現在でも地元観光地に必要な要素といえよう。
通史編5(近・現代2) (菊ともみじまつり)

いずれも市の文化・観光を考える上で重要なものばかりである。,しかしそれ以外にも観光関係当局は、策を練っていたのである。  ,春のさくらとともに、秋の紅葉は人々の観光意欲をかきたてる。,いずれも観光客を多数集めている。,春のさくらまつりや夏のねぷたまつりに対して、菊ともみじまつりは歴史も浅く、観光客も少ない。
通史編5(近・現代2) (雪燈籠まつり)

弘前市だけでなく、雪の多い青森県では、冬は交通網に支障が生じがちになり、農作業だけでなく、各種の観光,当然人々の経済活動は冬に停滞するわけであり、観光都市として発展する道を選んだ弘前市にとっても、冬をどのように,市当局、観光協会、商工会議所は、冬のイベントとして札幌雪まつりの盛況ぶりにあやかる形で「弘前城雪燈籠まつり,通年観光の第一歩を歩み出したものと思う」と挨拶した。,その分知名度は低く、観光客も少ない。
通史編5(近・現代2) (観桜会運営の一側面)

市立図書館所蔵の昭和二十五年度観桜会の観光客調書を見てみよう。,このうち弘前駅下車客は二十万人弱、市内や近郊からの観光客が三〇万人強だった。,もっとも観光客が多かったのが五月三日の祝日で、約一〇万人が観桜会に訪れている。,そのため観桜会期間中に桜が咲くか咲かないかで観光客の出足は相当に異なった。,五月三日になり天候が回復して桜も開花し、観光客も相当数来園した。
通史編5(近・現代2) (土産品開発への模索)

とくに弘前市が観光都市として宣伝され、次第に全国的に有名になりつつあるのに、土産産業は需要が激増しながら,そのため県観光工芸品研究会では市当局や金融機関への融資陳情を検討し、申請を行った。,長引く不景気で観光客が減少し、土産物を購入する人々も減ってきている。,しかし土産物は観光地の記念であり、記録であることに変わりない。,土産品の選定、特質が観光産業として最重要事項であることは、時代を経ても変わらない。
通史編5(近・現代2) (バス事業の拡張)

事業の拡張 日常の市民の足として、弘南バス株式会社の路線網は拡充していく一方で、弘前市を起点とする観光,まず、昭和三十四年(一九五九)八月には十和田西線が定期観光路線として開通した。,さらに、観光と地域経済の活性化を図ろうと津軽岩木スカイライン構想を打ち出した。
通史編5(近・現代2) (観桜会(さくらまつり)の運営方針)

観桜会(さくらまつり)の運営方針 弘前市の観光政策の主体が観桜会にあることはいうまでもないだろう。,ねぷたと並び、今日でも弘前市の観光名物として全国にその名を知られている。,しかし戦後の観光ブームに乗って出発した段階では、いろいろな工夫・苦労があった。,私的な運営形態ということで、時になわばり争いや暴力問題が生じたり、観光客から暴利をむさぼる店も出たりするなど,彼らの活躍を中心に、観光協会や商工会議所が協力することで、観桜会の運営は改善されていったのである。
通史編5(近・現代2) (市制施行百周年)

広場内には、市立観光館をはじめ山車展示館、市立図書館、郷土文学館を新設し、旧市立図書館と旧東奥義塾外人教師館,を観光の目玉として移築し、ほかに笹森記念体育館を併設するなど、弘前市の観光・文化・教育の拠点として位置,当時の弘前市がいかに観光に力を入れていたかがわかるだろう。,追手門広場は弘前市観光の拠点として、弘前城と市役所に近接する形で位置づけられている。,庭園は観光地の一つとして位置づけられ、庭園内には考古館もあり、市内各所の遺跡から出土した遺物などが展示
通史編5(近・現代2) (弘前城の史跡指定)

弘前城の史跡指定 弘前市の観光の目玉が弘前城と周辺一帯にあることは論をまたない。,市当局としても観光政策を進めていく上で、国からのお墨付きが必要だったのである。  ,財政難の市当局にとって、国の指定を受けるか否かは、単なる名誉欲では決してなく、観光の目玉としての意義以上,観光政策を進めていく上で、国や県の指定する史跡だけでは不十分である。
通史編5(近・現代2) (見直したい弘前市の記録)

史跡指定されているが、在府町にあった武家屋敷の旧梅田家、元寺町にあった藩医の旧伊東家も移築され、市の重要な観光,平成期がコンピューター時代だからというわけではないが、市の観光政策もコンピューター時代にふさわしい事業,人々が個性に合わせて観光を楽しむ時代に入っている。,これにより市民自らも観光政策を講じ、新たなスポットを発見して公開したり、市の観光当局にも意見を提案したりして,、自発的に弘前市の観光を盛り上げていくことになるだろう。
通史編5(近・現代2) (弘前市商業の特徴)

2、弘前市の商業は周辺諸地域及び観光客の消費購買力に依存している。,即ち農村消費と観光に依存する度合いが多い。  3、弘前市の商業規模はきわめて零細である。
通史編5(近・現代2) (誘致反対論)

反対派の主張は経済効果よりも、学都弘前・観光都市弘前の発展をはかることに眼目があった。,賛成派は市の経済的繁栄を主張し、反対派は学都・文化観光都市の発展を主張するなど、いずれも自衛隊の問題が
通史編5(近・現代2) (藤森市政の財政)

 津軽広域圏のインフラ整備事業は、岩木山ろく開発、弘西林道開削、岩木川・平川水系の整備、津軽広域観光開発,⑤津軽国定公園の指定  観光行政に関しては、三十五年度に十和田西線の開通に伴い、観光ルートの整備が図,られ、十和田、岩木、西海岸を結ぶ津軽広域観光圏が構想される。,三十六年度に津軽観光圏整備協議会が結成され、関係市町村と協力し、活動が開始された。,のレクリエーションの場として、津軽広域観光圏と有機的関連をもたせながら整備が図られた。
通史編5(近・現代2) (飲食業のあり方)

住宅都市であり、文化・観光を志向する弘前市の飲食サービス業は、近隣都市の中においても、その成立基盤は比較的恵,しかも鍛冶町の場合、他都市のように観光パンフレットに紹介されるということもなく、外来者へのアピールは極,また、観光レジャー産業の振興についても市内観光コースの設定、観光案内板の設置、駐車場の増設等が必要であることが
通史編5(近・現代2) (弘前市の商工業行政の方向)

③観光産業はもとより市の重点施策でもあり、国定公園申請のため弘前大学へ依頼し、基礎資料の整備を行なっており,、大型観光地としての発展を期したい。,(同前)  弘前市の産業がりんごや米の農業に依存する側面が強いこと、また観光が重要な産業であること、
通史編5(近・現代2) (弘前市総合建設計画の策定)

このうち、(二)について内容をを見れば、それはさらに、1商業計画、2観光計画、3工業計画、4鉱業計画から,、(3)商工団体の振興、(4)専門技術員の養成、(5)市場の開拓、(6)金融、(7)計量行政  2観光計画, (1)史跡、文化財建造物の整備活用、(2)観光コースの整備、(3)宿泊その他 施設の整備、(4)
通史編1(古代・中世) (協力機関および協力者一覧(機関・個人順、五十音順))

大国主神社(秋田県仙北郡西木村) 大阪府立中之島図書館 大日霊貴神社(秋田県鹿角市) 大鰐町企画観光課,国文学研究資料館史料館 国立国会図書館 国立歴史民俗博物館 五所川原市教育委員会 小泊村企画観光商工課
通史編5(近・現代2) (戦後復興期の財政)

次いで、全国的に知られるようになった弘前公園の施設を整備して観光都市を目指すが、具体的に公園費は一般管理,ばかりでなくさらに整備を進めるための予算、また、観光事業を推進するにあたり、観光客を誘致して本市を広く
通史編5(近・現代2) (弘前市建設計画の出発)

弘前地区の観光資源をいかに利用整備すべきか。,観光資源の整備と市営バスの実現に伴ふ観光バスの運行を行ふこと。
通史編5(近・現代2) (弘前城内の植物園造営)

開園当日は市民や観光客六〇〇人が園内を散策し、「有料開園初日としては上々のスタートとなった」。
通史編5(近・現代2) (福士市政の財政)

それは弘前駅舎新築と駅周辺再開発、水害対策、清掃・下水道事業、観光と文化財の保護、高齢化社会への対応、,④観光と文化財の保護  観光行政については、これまでの春・夏・秋の祭りに五十一年度から新たに加わった,冬の雪燈籠まつりを定着させ、四大祭りとして通年観光を確立し、魅力あるまちの形成が図られていった。  ,大きな事業は図書館等の建設事業であり、二年七月、郊外に移転した東奥義塾高校跡地に図書館・郷土文学館・観光館
通史編5(近・現代2) (誘致賛成論)

敗戦で軍隊は解体され、現在は学都ないし観光都市として命脈を保っているにすぎない。,自衛隊の施設演習によって、産業・観光道路のような公共事業も潤沢となり、市の産業振興になるというのである
通史編5(近・現代2) (東北縦貫自動車道の全通)

全通により、首都圏と青森県は約二時間短縮されて約七時間半で結ばれることになり、地元では物資の輸送や、観光客
通史編5(近・現代2) (協力機関および協力者一覧(機関・個人順、五十音順))

                 斉藤昌美顕彰会 (弘前市) 青森空襲を記録する会 (青森市)           社団法人弘前観光協会
通史編5(近・現代2) (弘前ねぷたの重要無形文化財指定)

弘前と青森のライバル意識を煽るような名称の微妙な違いもあり、毎年多くの観光客と地元民の間で、好き嫌いや
通史編5(近・現代2) (昭和弘前市民の一側面)

事業自体は鉄道省の観光客吸引策だったが、弘前公園の桜は非常に好評を博した。,そこにはファッションこそ違うが、今日と同様に桜を楽しむ市民や観光客でにぎわいを見せている弘前公園が存在,見物する市民も観光客に混じって夏のひとときを過ごした。
通史編5(近・現代2) (青秋林道建設計画)

県境付近にある青鹿岳にちなむ)に直結できるので、開通後は産業道路として、また、十二湖につながる観光道路
通史編5(近・現代2) (弘前商工会の解散)

、只々感激あるのみであります、時移り世が変つた今日に於ては、嘗(か)つて商工会が手がけた事業も、新に観光協会
通史編5(近・現代2) (岩木川開発と目屋ダムの建設)

ダムの建設 弘前市民の念願でもあった岩木川の改修工事は、水害防止を意図していただけでなく、農業および観光開発
通史編4(近・現代1) (軍都以前の弘前市)

軍都以前の弘前市 今日、弘前市といえば弘前城や桜など、文化・芸術・観光面で注目されることが多い。
通史編3(近世2) (寛政期の城下)

現在の市立観光館・市立図書館のある場所一帯である。
通史編5(近・現代2) (上水道設備の向上)

市当局も、観桜会を中心に弘前市を観光都市として発展させるため、衛生政策の必要性を痛感していた。
通史編5(近・現代2) (弘前市総合開発計画(昭和五十三年計画)の策定)

弘前市総合開発計画は、以上のほかに、観光にも重点を置いていた。,のさくらまつり、夏のねぷたまつり、秋の菊ともみじまつり、冬の雪燈籠まつりが四大祭りであり、年間に四〇〇万人の観光客
通史編5(近・現代2) (下水道設備の向上)

弘前城や長勝寺をはじめ、市の名所を訪れる観光客からは、便所の不衛生さを指摘する声が高まった。
通史編5(近・現代2) (新編 弘前市史 通史編5(近・現代2) 目次)

…………  747   四 市街地開発事業 ………………………………………………  750 第四節 観光都市,をめざして …………………………………………  754   一 弘前観光協会の設立 ………………………,…………………  754   二 弘前市の観光事業 ……………………………………………  759   ,三 観光都市実現への熱意 ………………………………………  767   四 観光事業の開発と保存 ……
通史編5(近・現代2) (安定成長への転換)

業種 企業数 繊維関係 21 電気器具関係 2 食料飲料品関係 4 医薬品関係 2 建設資材関係 3 観光品,887,822 電気器具関係 2 20 160,722 医薬品関係 2 62 2,714,898 観光品
通史編5(近・現代2) (新弘前市総合開発計画(昭和五十九年計画)の策定)

、①福祉、②保健と衛生、③教育、④文化向上、⑤学園都市、⑥農林業振興、⑦工業振興、⑧商業等の振興、⑨観光振興
通史編5(近・現代2) (小売業の動向)

また、長勝寺を含む三五カ寺を近くにもち、観光客の流入がある。
通史編5(近・現代2) (国土総合開発計画の進展と青森県の位置)

開発の目標としては、「本県の開発目標は食糧増産を主目標とし、林業、水産、地下、電力、観光の各資源開発を
通史編4(近・現代1) (第三一連隊の壮挙とその後)

後藤房之助伍長などは銅像にまで祭り上げられ、現在も観光の目玉として八甲田山麓に立っている。
通史編1(古代・中世) (掲載図版・写真の典拠・所蔵一覧)

津軽一統志首巻 弘前市立図書館蔵 写真139 同上 写真140 同上 写真141 南津軽郡大鰐町役場企画観光課写真提供,南津軽郡藤崎町教育委員会 写真208 弘前市蔵 写真209 同上 写真210 北津軽郡小泊村企画商工観光課写真提供
資料編1(考古編) (第5節 温泉)

②石油や黒鉱探査や、観光・リゾート開発を目的としたボーリングにより地下深部から揚水されている温泉。
通史編4(近・現代1) (新編 弘前市史 通史編4(近・現代1) 目次)

第一節 開発計画の出発  第二節 弘前市の総合開発計画  第三節 弘前市の都市計画  第四節 観光都市
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