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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍
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通史編3(近世2)
(誓願寺)
誓願寺
誓願寺
(せいがんじ)の創建を「津軽一統志」は慶長元年(一五九六)とするが、「山崎専称寺並末寺由緒記,信枚は、元和元年(一六一五)、京都
誓願寺
を模して、大仏を京都から運び、仮本堂に安置した。,ところがこの大仏は貞享五年(一六八八)に
誓願寺
が焼失した時に失われたものとみられる(「国日記」貞享五年三月十九日条 /
誓願寺
資料編3(近世編2)
(●誓願寺 山門 新町--重要文化財)
●
誓願寺
山門 新町--重要文化財
誓願寺
は大光寺村に創立され、弘前城築城の際に現在地へ移されたものと,図13
誓願寺
山門立面図・平面図 (弘前市教育委員会蔵原図より) / ●
誓願寺
山門 新町--重要文化財
通史編3(近世2)
(専求院)
専求院 専求院(せんぐいん)は、寛永元年(一六二四)、
誓願寺
にいた無角に念夢が願い出て、創建が認められた
通史編5(近・現代2)
(独立校舎への夢)
四中ともそれぞれ独立校舎を希望したこと、また、公園内は史跡の関係で学校建築は無理なことがわかり、下町の
誓願寺
付近,最終的には
誓願寺
北東地域(現城西小学校)に絞って交渉に当たった。
資料編1(古代・中世編)
(五 種子と名号)
このうち、弘前市新町の
誓願寺
に保存されている板碑は、岩木町の大浦城域から発見されたものであり、特徴ある
通史編2(近世1)
(刑の執行)
放火の罪で火罪になった時の引き廻しのコースは、牢屋~亀甲町~紺屋町(こんやまち)~袋町(ふくろまち)~
誓願寺
前,(せいがんじまえ)~江戸町(えどまち)(
誓願寺
に通じる南北に走る道路)~荒(新)町(あらまち)~茂森町
通史編4(近・現代1)
(大区小区制の成立)
和徳足軽町・薬王院・薬王院門前町は和徳町、座頭町は小人町、神明宮社家は若党町、元穢多町は楮町新町となり、
誓願寺
々中,・同門前町・
誓願寺
前・紺屋町新割町・最勝院寺中・同門前町・片山町が消えている。
通史編5(近・現代2)
(盆踊り)
)の町遊廓、新楮町、住吉神社、橡(とち)ノ木(き)辻の上で踊り、大正時代は大円寺、住吉神社、招魂社、
誓願寺
通史編3(近世2)
(非人小屋の設置と餓死者の処理)
わとくまち)・貞昌寺(ていしょうじ)(現市内新寺町)・大円寺(だいえんじ)(現市内銅屋町、最勝院所在地)・
誓願寺
通史編5(近・現代2)
(平家琵琶)
はしもととしえ)、鈴木孝庸(すずきたかやす)、鈴木まどか等の人々が他地域におり、弘前を訪問して演奏会を開催し、
誓願寺
通史編3(近世2)
(協力機関および協力者一覧(機関・個人順、五十音順))
白石市総務部振興課 真教寺(青森県弘前市) 新寺町稲荷神社(青森県弘前市) 津梁院(東京都台東区)
誓願寺
資料編1(古代・中世編)
(協力者及び協力機関一覧(敬称略))
静岡県静岡市) 白河集古苑(福島県白河市) 神明社(大日堂)(秋田県比内町) 浄願寺(秋田県秋田市)
誓願寺
通史編4(近・現代1)
(戸籍法と戸籍区)
岩川茂右衛門 同小六区 新町 同川端丁 馬屋丁 鷹匠町 同細小路 下山道丁 駒越町 平岡町 西大工町
誓願寺
々中, 同元門前
誓願寺
前 袋町 五十石町 同細小路 紺屋町 同新割丁 浜ノ町 右取扱 右同 三上与兵衛
通史編3(近世2)
(江戸時代末期の建築)
そして
誓願寺
の山門、津軽家霊屋の凌雲台でも地元の技術は生かされたと考えられる。
通史編2(近世1)
(窮民対策)
さらに、町医者が派遣され、薬による治療が行われたが、毎日五人から一〇人が小屋から出され貞昌寺・大圓寺・
誓願寺
通史編3(近世2)
(為信)
さらに隠居のため
誓願寺
を創建し、開山となった(同前No.四〇八)。
資料編1(古代・中世編)
(七 板碑の発見と保護の状況)
七基 町田字山吹「板碑」 一基 田町四丁目「熊野奥照神社板碑」 一基 新町、
誓願寺
境内
通史編3(近世2)
(江戸時代中期の建築)
誓願寺
(せいがんじ)の山門は特異な形態を示している門である。,図239.
誓願寺
山門
資料編1(古代・中世編)
(二 大浦城の歴史)
また、弘前市内の
誓願寺
にある応安四年(一三七一)の板碑は、大浦城跡の本丸石垣より出土したものと伝えられ
通史編3(近世2)
(二代信枚)
このほか
誓願寺
(せいがんじ)大堂、長勝寺山門の建立や熊野宮(現熊野奥照神社)、神明宮(現弘前神明宮)、
通史編5(近・現代2)
(錦風流尺八(きんぷうりゅうしゃくはち))
『弘藩明治一統誌人名篇』に「尺八元御手廻 伴勇蔵」と記された伴勇蔵の歿後に、追善の額が
誓願寺
に掲げられた
通史編3(近世2)
(弘前市内寺院所蔵の彫刻・絵画)
数多くの寺の中で、藩とかかわり深い長勝寺・報恩寺・貞昌寺・本行寺・
誓願寺
などに作風の優れた像が多かったのも
通史編1(古代・中世)
(二 北奥宗教界を彩る中世的寺社)
天津院 同右 天正年中 (一五七三~九二) 大浦政信 津梁 和徳村 (弘前市) 同右 同右
誓願寺
,専求院 同右
誓願寺
文禄年中 (一五九二~九六) 為信 念夢 同右 同右 慶長年間、現在地に移転。
資料編1(古代・中世編)
([付図])
八幡宮境内 38 弘前市田町4丁目 八幡宮墓地 39 弘前市田町4丁目 熊野奥照神社境内 40 弘前市新町
誓願寺
境内
資料編1(古代・中世編)
(弘前1~133)
丁目-八幡宮墓地- 弘前39 弘前市田町4丁目-熊野奥照神社境内- 弘前40 弘前市新町247-
誓願寺
境内
通史編2(近世1)
(城下高岡の形成)
別当寺院の真言宗最勝院、熊野宮、および神職の住む禰宜町(ねぎまち)、伊勢大神宮(神明宮)、西には浄土宗の
誓願寺
通史編3(近世2)
(出開帳)
江戸の長松寺(ちょうしょうじ)(浄土宗、現東京都台東区)は、元禄十年(一六九七)六月、
誓願寺
において月
通史編3(近世2)
(掲載図版・写真の典拠・所蔵一覧)
岩木山神社 236 弘前市 長勝寺 237 同上 238 中津軽郡岩木町 高照神社 239 弘前市
誓願寺
通史編1(古代・中世)
(一 古代における北奥の宗教世界)
亨禄年中 (49) 宝積院 同右 隣松寺 寺院名 宗教名 本寺 創立年次 備考 (50)
誓願寺
,曹洞宗 岩城専称寺 慶長元年 (51) 専求院 同右
誓願寺
(52) 法立寺 日蓮宗 洛陽本国寺
通史編3(近世2)
(城下での生活)
昼ころに片山弥兵衛・庄五郎とともに
誓願寺
(せいがんじ)(現市内新町(あらまち))へ参る。
資料編2(近世編1)
(編年史料 (天正十七年~明暦二年))
●寛永元年(一六二四)、この年、
誓願寺
の大堂を建立。
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