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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編2(近世1) (近世大名と大名課役)

近世大名と大名課役 近世大名にとって軍役(ぐんやく)負担とは、領地の宛行(あてがい)や安堵という将軍家,また平和が続くようになると、軍役以外の課役を軍役と同一の原理に基づいて大名が負担するようになる(善積美恵子,ここでは、天明年間までの津軽家の大名課役について概観するが、寛文九年(一六六九)の寛文蝦夷蜂起(シャクシャイン,際しての松前出兵、天和二年(一六八二)の越後高田領検地、および寛政年間以降の蝦夷地警衛をはじめとする課役 / 近世大名と大名課役
通史編2(近世1) (綱吉政権下における大名課役)

綱吉政権下における大名課役 綱吉政権期になると、普請役や江戸での勤めといった課役がみられるようになってくる,この時期津軽家に課せられた課役の割合は、約二年に一度と頻繁である。  ,多少時代が下るが、宝永・正徳期(一七〇三~一七一五)には、手伝普請など比較的大きな課役負担をした大名に,対し、幕府が通常の参勤時期を遅らせて、大名への負担を軽減していた(千葉一大「参勤交代制と大名課役―盛岡南部家,このうち、幕府が大名に命じる課役で、幕末期まで制度が存続した火之番・方角火消のいずれも、延焼を防ぐことに / 綱吉政権下における大名課役
通史編2(近世1) (正徳から天明にかけての大名課役)

正徳から天明にかけての大名課役 この時期の津軽家の大名課役は、皇族や公家衆の饗応役、普請役、江戸における,火消・門番に限定され、その意味で綱吉政権下での大名課役と同一路線にある。   / 正徳から天明にかけての大名課役
通史編2(近世1) (江戸時代初期の大名課役)

江戸時代初期の大名課役 江戸時代初期における大名に対する軍役動員の事例として、大坂の陣・島原の乱が挙,普請役は、城郭普請がその典型であるように、本来戦陣における課役で軍役の一変型とされる。 / 江戸時代初期の大名課役
通史編2(近世1) (大名の改易と幕領検地)

元禄時代は、大名の浮沈が激しかったこと、家格制度が完成した形になっていないこと、そして大名の勤役・課役,そのものが欠損あるいは不完全な場合、など検地実施を必然化するいくつかの理由が考えられるという(大森映子「大名課役
通史編2(近世1) (高照神社の造営と「名君」信政像の創出)

また幕府から課せられた寛文蝦夷蜂起への出兵などの軍役(ぐんやく)・大名課役(かやく)の遂行も、藩政の基盤固,も含めて、こういった人々に共通する点は、藩政機構の整備・確立、新田開発などによる農業生産の伸張、大名課役
通史編2(近世1) (越後高田領検地の実施)

同年三月九日に小諸から遠江横須賀に転封になった(『新訂増補国史大系 徳川実紀』第五篇 吉川弘文館刊)ため、課役,課役を命じられた時点で人数不足が懸念されていた(「国日記」天和二年四月九日条)ため、国元からも検地役人,江戸日記」天和二年三月二十六日・三十日条)、さらに、重要な任務に早速就いている点からみて、このような課役,このような召し抱えは大名課役負担のために駆け込みで有能な実務型の人員を揃えたという見方もできるが、一方
通史編2(近世1) (異国船打払令の発令と津軽弘前藩)

異国船打払令の発令と津軽弘前藩 水野忠成を中心とする文政期の幕閣は、海防をゆるめ、その任に当たっていた大名の課役
通史編2(近世1) (「松前復領期」における蝦夷地派兵準備体制)

一方、盛岡藩の体制は、幕府の達書とそれ以後の幕府との間に課役内容に関して交渉を行い、そこで決定した事項
通史編2(近世1) (津軽人のみた開港場箱館)

して、黎庶(れいしょ)大に仰服し、風説最(もっとも)可なり」と、高く評価し、具体的には、政務が穏当で、課役
通史編2(近世1) (太閤蔵入地の設定)

また、これらの地域の領主は、大名権の確立が未成熟な大名が多く、豊臣政権による統一的な課役の負担は、彼らの
通史編2(近世1) (伏見作事板の運上と太閤蔵入地)

大名・小名たちと同様「隣郡之衆」の一員として遂行する伏見作事板の廻漕であり、津軽氏の太閤蔵入地はそれら課役
通史編2(近世1) (信政晩年の藩政)

その上で、打開策として、状況を幕府老中に伝えて大名課役や江戸での交際を控えるべきと主張する。
通史編2(近世1) (刑罰体系)

過料は貧困などの原因で納められない場合は、三貫文までは日数三〇日の夫役(ぶやく)(労働課役)を賦課された
通史編2(近世1) (津軽家宛ての領知宛行状と領知高の変動)

近世大名の領知高は、各大名に賦課された大名課役、特に普請役高を根幹として、統一政権との間で政治的に決定
資料編1(古代・中世編) ([八世紀])

●宝亀六年(七七五)三月二十三日、陸奥国蝦夷騒動により、当年の課役田租を免除。
資料編3(近世編2) (【解説】)

幕末期の弘前藩にとって最大の課役が北方警備であることは言うまでもないが、それに対して藩内では様々な軍事訓練
資料編1(古代・中世編) (第一章 綱文・史料一覧)

………………………… 続日本紀 31 ●宝亀六年(七七五)三月二十三日、陸奥国蝦夷騒動により、当年の課役田租
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