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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編2(近世1) (改革推進体制の構築)

役所名は御調方役所で、勘定所に続く所に一〇坪ほどで建てられた。,仕事内容は「勘定所惣調方御用」であり、勘定奉行佐藤伝左衛門に惣調方を命じ、同役の乳井に手伝いを申し付けている,それでは、この勘定所惣調方御用実施の理由はどのようなものであったのだろうか。,これが「御調方役所」である。,御調方役所は勘定所はもちろん、他の役所の内容にまで踏み込んだ調査を行っていくわけであり、御用係以外の御調方役所
通史編3(近世2) (御軍政局の発足と組織)

であり、同時に類役として御軍制取調御用兼として御手廻組頭山田十郎兵衛・御馬廻組頭木村繁四郎が、御軍制御用調方,・砲術調方  9 牧野栄太郎 〃 御長柄奉行格 100俵勤料 御徒頭格御備方御用 10,大道寺源之進 御軍政局調方 御長柄奉行格 100石 御徒頭格鯵ヶ沢町奉行 11 北川条五郎 〃 御使番,15 武田代次郎 〃 御使番 150石 御付御近習小姓 明治1.6 二等銃隊頭・調方兼 16 矢川俊平,これに対して、調方副役(調方の補佐で、行軍訓練・大砲や小銃の実質的教授はここで担当した)や調方助役(直接訓練
通史編3(近世2) (第一次藩政改革と特色)

巡察方 隠密方 文武局 知局事 議事 監察 書記 筆生 武庫方 司 締方 砲術方 調方,操教方 調方 郡政局 知局事 司 調方 筆生 山林方 調方 締方 生産方,調方 市政局 知局事 司 調方 筆生 社寺方 調方 筆生 刑律方 調方 会計局,知局事 司 庶務調方 同締方 営造方 司 調方 勘算方 庖厨方 司 勘算方 商社方,調方 頭取 (注) 資料近世2No.五七一より作成。  
通史編2(近世1) (宝暦五年の米切手と標符(通帳))

きいが、改革期の宝暦五年の発行であったこと(ただし標符の発行は宝暦六年からであり時期的にも一致しない)、調方,③表面の左上の文字をのぞけば、すべて同じ文言、同じ発給者(調方)、同じ受領者(御用達)である。,宝暦四年閏二月十五日、藩(調方役所)は江戸への「御国仕送」の実施に当たり、領内の富裕者から金銭を供出させ,発行者が調方であり、一連の政策を任された御用達が受領者となっていたのはこのためである。,しかし、この政策は、同五年の大凶作によって当初の目的を達成することなく、多くは調方・御用達の手元に残ることになった
通史編2(近世1) (銀遣いへの変更と商人の活用)

商人の活用 藩は上方商人から大きな借金を抱えていたが、それが累積していく大きな要因として乳井貢ら御調方役所,既に、宝暦三年八月の御調方役所の設置に伴って、藩内の有力商人である足羽(あすわ)次郎三郎と竹内半左衛門,を調方御用取扱に任命し、従来の御用達町人をも調方役所の管轄下に置いている。
通史編2(近世1) (一揆の要因と結果)

には、蝦夷地警備に伴う「公儀方人馬賃銭、松前郷夫出銭」で農村は疲弊し、さらに「開発方」への動員や「地面調方,同日記ではさらに、「開発方」「地面調方」「鍬延」「貞享調」などが百姓の負担増につながっているとし、特に
通史編3(近世2) (神仏分離の準備)

とりあえず、藩は寺社奉行を社寺(しゃじ)御用所、寺社役を社寺調方と改め、別当寺院の神職支配を停止させた,そのため藩内の全神社は寺院の支配を離れ、社寺調方の直接扱いとなったが、一方で新たな神職組織の再編成を迫
通史編2(近世1) (土着策廃止後の新田・廃田開発)

このことは平沢三右衛門による開発を継続しつつも、享和二年十月五日には新たに廃田調方御用懸を設定し、開発方,その理由は「公儀方人馬賃銭」「松前郷夫出銭」「開発方・地面調方」などによって近年の役負担は三〇年以前と
通史編2(近世1) (文化律)

「文化律」の編纂は、文化四年に刑法調方(しらべかた)として、藤田権左衛門・町田助太郎・野呂助左衛門・桜庭清次郎,さらに竹内衛士・須藤五郎太夫が刑法調方御用掛として加えられ、その後に長谷川献吉・黒瀧藤太(とうた)両名
通史編2(近世1) (綱紀粛正・倹約奨励)

綱紀粛正・倹約奨励 御調方役所の設置によって、勘定所を中心にではあるが、諸役所のこれまでの在り方が調査
通史編3(近世2) (改革開始以前の状況)

が武芸引担方に任命され、以下番方(ばんかた)(軍事部門)の上士が中心となって備方(そなえかた)・武芸調方
通史編3(近世2) (第二次藩政改革)

岩田平吉(60俵) M4年兵部省出仕 M9年辞職 長谷川弥六(60俵) M4.9県13等准格歩砲兵調方,M6年第四大区長 今栄六(35俵) M6.4開拓使権中主典 長尾又右衛門(30俵) M4年旧藩財務調方
通史編3(近世2) (毛内宜応)

父茂巧は創設された御調方(おしらべかた)役所の惣司として、勘定奉行の乳井とともに宝暦改革を担っていったが
通史編2(近世1) (文久の面改め)

続く七月四日には、具体的に取り調べるための留意点を「面改取調方」名義で作成し、寺社奉行・九浦町奉行に冊子
通史編5(近・現代2) (伊東梅軒)

の役では、梅軒は五十三歳の老齢ながら東奔西走、米沢藩、秋田藩への外交交渉に当たり、さらに藩内では軍政調方副役
通史編2(近世1) (負担の増大による民衆の困窮)

文化十年二月十七日には、地面調方(じめんしらべかた)役人が仰せ付けられ、「貞享調(じょうきょうしらべ)
資料編2(近世編1) (【解説】)

したがって、大きく、改革の中心機関である調方役所が設置され、実質的に改革が始まった宝暦三年八月から大凶作
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