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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍
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通史編3(近世2)
(諸家業と職人)
幕末期の元治元年(一八六四)八月の「弘前町中人別戸数
諸工
諸家業
総括牒」(資料近世2No.一九六)では、,当時の町方の
諸工
・
諸家業
は表2のように分類される。,表2.元治元年当時の町方の
諸工
・
諸家業
区 分 軒数 備 考 借 家 医者 53 内本道13軒,・ 諸 家 業 御役職工 73 御役家業 10 無役家業 10 注) 「弘前町中人別戸数
諸工
諸家業
総括牒,ここで注目したいのは、「外(ほか)に隠(かくし)
諸工
・
諸家業
之部」に御役
諸工
が七三、御役家業が一〇、無役家業 /
諸家業
と職人
通史編2(近世1)
(領内戸数・人数・諸家業調べおよび諸家業・諸職の統制)
領内戸数・人数・
諸家業
調べおよび
諸家業
・諸職の統制 さて、人返し令において、農村人口を増加させるための,そこで、領内の戸数・人別、
諸工
・
諸家業
の新古の別、さらには出所・生所の出入りまで詳細に取り調べることとする,そして領内の
諸工
・
諸家業
を定めたうえで、それ以外の小商人を禁止し、在方から町方に移住した者を残らず帰村,調査に当たっての指示事項は多岐に及ぶが、多くは
諸家業
・諸職・
諸工
・借家の統制に関するものであり、家業札 / 領内戸数・人数・
諸家業
調べおよび
諸家業
・諸職の統制
通史編2(近世1)
(面改めの結果)
面改めの結果 この面改めによって報告された領内の総人口は、「元治元年御郡内人別宗旨分并戸数
諸工
諸家業
牛馬船総括牒,図187.元治元年御郡内人別宗旨分并戸数
諸工
諸家業
牛馬船総括牒 目録を見る 精細画像で見る
通史編3(近世2)
(質屋の利用)
「文化二年八月改弘前町中人別戸数
諸工
諸家業
総括 全」によれば、城下全体で一七軒知られ(前掲『弘前城下史料
通史編3(近世2)
(日雇と松前稼ぎ)
日雇と松前稼ぎ 寛政八年(一七九六)の「弘前町中諸職・
諸家業
軒数調牒」(同前No.一九五)や幕末期の,元治元年(一八六四)八月の「弘前町中人別戸数
諸工
諸家業
総括牒」(同前No.一九六)には、無役家業の中に,なお、元治元年(一八六四)八月の「弘前町中人別戸数
諸工
諸家業
総括牒」(同前No.一九六)によれば、弘前城下
通史編3(近世2)
(戸口と住民構成)
幕末期の元治元年(一八六四)八月の「弘前町中人別戸数
諸工
諸家業
総括牒(ちょう)」(資料近世2No.一九六
通史編3(近世2)
(生活の困窮)
「文化二年八月改 弘前町中人別戸数
諸工
諸家業
総括 全」(弘図岩)によれば、城下全体で一七軒知られる程度
通史編3(近世2)
(諸役と仲間)
(一八六七)六月の「土手町支配家業帳」(前掲『弘前城下史料』上)は、上・中・下土手町と松森町の諸職と
諸家業
,を書き上げたものであるが、「御役
諸工
」として指物師(さしものし)の役銭五匁、上木挽の役銭七匁五分、中木挽,「御役
諸工
」と「御役家業」とに分類されたのがいつなのか不明であるが、前掲表3から判断すると、寛政年間(
通史編2(近世1)
(安政期の蝦夷地警備と交通問題)
737 11.7 10,464 6,372 583 9.1 9.3 注) 「元治元年八月改九浦町中人別
諸工
諸家業
総括牒
通史編2(近世1)
(掲載図版・写真の典拠・所蔵一覧)
大光寺組金屋村当戸数人別田畑共取調帳 弘前市立図書館蔵八木橋文庫 187 (元治元年)御郡内人別宗旨分并戸数
諸工
諸家業
牛馬船総括牒
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