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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編2(近世1) (正徳から天明にかけての大名課役)

23 57 ⑰ 神田橋 外様 7万石(国持分家は3万石以下) 5 3 35 27 70 ⑱ 一橋 譜代, 1万石 4 2 25 20 51 ㉒ 半蔵 譜代 1万石余 4 3 27 23 57 ㉓ 外桜田 譜代, 2~3万石 4 2 25 20 51 ㉖ 和田倉 譜代 2~3万石 4 3 27 23 57 ㉗ 大手,譜代 10万石 20 5 100 50 175 ㉘ 平河 先手組与力同心 ㉙ 竹橋 譜代 ,㉜ 西丸大手 譜代 6~10万石 10 5 50 50 115 注) 格は天保8・10年
通史編2(近世1) (藩政の転換と家臣団統制の動き)

貞享期以来郡・勘定方を掌握し、藩主信政の意向を受けて諸政策を展開してきた「出頭人」グループと、それを批判する譜代,の墓碑  この政治過程をみると、宝永期に桜庭太郎左衛門が三通の建白書で述べた(本章第一節参照)譜代家臣層,元禄九年(一六九六)に飢饉を理由に召し放たれた家臣の一部が、享保十年(一七二五)に召し出され、その前年には譜代家臣,こういった点から、信寿は、門閥・譜代層を基礎として藩政を展開しようとしたと考えられる(浪川健治「藩政の
通史編2(近世1) (「出頭人」の台頭)

この四人の家老は藩成立時の譜代重臣層の家系ではなく、藩成立以後、新規に召し抱えられて重臣層にまで到達した,信政時代の家老はこれまで藩主家の血統につながる一門衆からは登用されず、藩の成立以降召し抱えられてきた譜代勢力,北村・渡辺・傍島・神保四家老の後も、寛文十二年(一六七二)には譜代勢力出身の進藤正次(しんどうまさつぐ,先代以来の家老を行政から遠ざけ、三家老がよって立つ政治的基盤であり、これまで藩権力の中枢を担ってきた新興譜代勢力
通史編1(古代・中世) (泰衡の死)

泰衡は、三日に糟部(糠部)から信頼していた譜代家臣の河田次郎の本拠、肥(比)内郡贄柵(にえのさく)に立,なお河田次郎も主君に対する譜代の恩を忘れたとの責めを負わされ、斬罪に処せられた。  
通史編3(近世2) (戦争の波紋)

について、青森商人滝屋善五郎は二月四日の日記に、大坂で徳川慶喜が朝敵になり、蒸気船で江戸へ逃げ去った、譜代大名
通史編1(古代・中世) (為信の離反)

こうした為信の勢力拡大を支えたのは、譜代の家臣団のみならず、安藤・南部両氏の侵攻によって浪人となった隣国
通史編2(近世1) (舟橋騒動)

ふなはし)半左衛門と乾(いぬい)四郎兵衛に対して、津軽美作(みまさか)・津軽伊豆ら重臣をはじめとする譜代,鉄砲之定  ことの発端は、巷間いろいろ取り沙汰されているが、詰まるところ新参の舟橋・乾の勢力と譜代
通史編2(近世1) (津軽地域の確保と蝦夷荒)

津軽家の譜代家臣の出身地は、岩木川西岸、そして岩木山と岩木川とに囲まれた地域、すなわち鼻和郡の南側に色濃
通史編2(近世1) (信政晩年の藩政)

桜庭は為信以来の譜代家臣であり、この時期には藩主信政の近習を務めていた人物である。,そして、藩主信政が隠居した場合、隠居料の確保は「御譜代之侍」の召し放ちによるような状況で、新藩主が跡を,にとって期待すべき藩政とは、建白書の中でたびたび批判の対象としてきた出頭人たちの総退陣と、自らを含む譜代家臣層
通史編2(近世1) (地方知行制の復活と借知制の実施)

さらに、宝永期に高まった譜代層を中心とする家臣団の不満への妥協ということもいえるであろう(浪川健治「宝永期藩政
通史編2(近世1) (支配機構の整備)

唐牛三左衛門・溝江半右衛門が、二〇〇石以上の藩士で、「御手廻」の「御本参」、すなわち藩成立当初からの譜代,なお、これ以降の家老就任者と用人就任者を比べると、家老は門閥・譜代重臣層が登用されるのに対して、用人職
通史編2(近世1) (「津軽一統志」の編纂まで)

信政は信枚の時期に収集した古記録類を、譜代の家臣取り立ての資料とするために江戸に運搬した。
通史編2(近世1) (城破(わ)り)

対象となったのが、大光寺・浪岡・浅瀬石(あせいし)・田舎館(いなかだて)・油川・和徳の八ヵ所であり、譜代
通史編2(近世1) (高照神社の造営と「名君」信政像の創出)

先にみた宝永期における一門・譜代層の中で高まった不満も、同様の理由に根元を持つものであろう。  
通史編2(近世1) (綱吉政権下における大名課役)

このほかには、幕府役職の任命(ほぼ譜代大名に限られる)、江戸城各門の警備(門番)、江戸城や幕府施設などの
通史編2(近世1) (北奥羽の領知確定)

郡や旧九戸領、和賀・稗貫両郡については知行宛行状を発給していたが、本貫(ほんかん)の地である糠部郡の譜代家臣
通史編2(近世1) (公家との関係)

宝永元年(一七〇四)、「家門譜代」の由緒から基熈(もとひろ)の隠居領分という名目で、以後一〇〇〇石分を
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