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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍
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通史編3(近世2)
(貞昌寺)
貞昌寺
貞昌寺
(ていしょうじ)は、「山崎専称寺並末寺由緒記」(資料近世2No.四〇六)によると、永禄年中,永禄三年(一五六〇)、為信の実母が死去した時、岌禎(きゅうてい)が導師となり、戒名の桂屋貞昌大禅定尼から
貞昌寺
,このため、山・院・寺号を月窻山栄源院
貞昌寺
とする。為信は寺領三〇石を寄進した。,図212.
貞昌寺
また、為信の娘伊喜が元和八年(一六二二)に死去し、長勝寺へ入棺した際、三世良城,が信枚の帰依を受けていたところから、
貞昌寺
へ位牌をたて廟所を築いた。 /
貞昌寺
通史編3(近世2)
(白道院)
白道院 白道院(びゃくどういん)は、享和三年(一八〇三)の「寺社領分限帳」には、「
貞昌寺
念仏堂覚入庵,『新撰陸奥国誌』によると、土手町大橋の下に庵を構えていた欣求が、寛文三年(一六六三)に本堂を建立し、
貞昌寺
世誉
通史編3(近世2)
(西福寺)
「浄土宗諸寺院縁起」は、堀越城下に創建し、慶長年間(一五九六~一六一四)に弘前城下元寺町の
貞昌寺
門内に,慶安二年(一六四九)に類焼し、新寺町
貞昌寺
山内へ移った。
通史編3(近世2)
(天徳寺)
慶安二年(一六四九)に類焼し、新寺町
貞昌寺
山内へ移転した。 ,
貞昌寺
三世良城が隠居所とし、信枚へ茶道を教え、御目見寺院の列に加えられた。
通史編3(近世2)
(浄土宗)
浄土宗 浄土宗は
貞昌寺
が僧録所で本末は図195のとおりであった。,江戸浅草の熊谷(くまがい)稲荷を新寺町に創建(現新寺町稲荷神社)し、別当白狐寺(びゃっこじ)を新たに造り、
貞昌寺
隠居入誉,入誉が
貞昌寺
入寺の際、現在廃寺になっている出羽国大館の青蓮庵が金戒光明寺の末寺であったことと(遠藤聡明
通史編3(近世2)
(稲荷宮)
弟子の
貞昌寺
隠居入誉が、
貞昌寺
内に勧請したところ、この稲荷を祀る所が繁栄するというので、宝永五年(一七
通史編3(近世2)
(白狐寺)
弟子の
貞昌寺
隠居入誉が
貞昌寺
内に勧請したが、信政が宝永五年(一七〇八)新寺町に稲荷宮を創建し、別当を白狐寺
通史編4(近・現代1)
(顕彰碑の建立)
顕彰碑の建立 大正八年十月十五日、山田家の菩提寺である新寺町の
貞昌寺
で、孫文、犬養毅、頭山満、宮崎滔天,
貞昌寺
には兄の碑と並んで石碑が建立され、蒋介石の書で「永懐国義」(永遠に君の真心は忘れない)と題し何応欽
通史編3(近世2)
(徳増寺)
「浄土宗諸寺院縁起」は、承応二年(一六五三)、
貞昌寺
六世無角を開基としている。
通史編3(近世2)
(遍照寺)
「浄土宗諸寺院縁起」は、承応三年(一六五四)、
貞昌寺
六世無角が隠居所として創建したとする。
通史編3(近世2)
(西光寺)
慶安二年(一六四九)に類焼し、新寺町
貞昌寺
山内へ移った。
通史編1(古代・中世)
(二 北奥宗教界を彩る中世的寺社)
西福寺 浄土宗
貞昌寺
慶長(一五九六~ 一六一五)以前 不詳 不詳 堀越 (弘前市) 城下寺町,を経て、慶長年間に
貞昌寺
内に引移る。,西光寺 浄土宗
貞昌寺
建仁年間 (一二〇一~〇四) 金光上人 中野 (浪岡町) 新寺町 当初、,徳増寺 浄土宗
貞昌寺
三世寺村 (弘前市) 新寺町 承応二年(一六五三)、
貞昌寺
六世無角上人,天徳寺 浄土宗
貞昌寺
弘治年中 (一五五五~五八) 光蓮社良心 田舎館村 慶長年間、城下寺町に
通史編3(近世2)
(二代信枚)
寺院の縁起から浄土寺は
貞昌寺
(ていしょうじ)、門徒寺は真教寺(しんきょうじ)、専徳寺(せんとくじ)、法源寺,浄土宗西光寺(さいこうじ)、天徳寺(てんとくじ)、西福寺(さいふくじ)、徳増寺(とくぞうじ)は
貞昌寺
の,塔頭としてあったために記されず、慶安二年(一六四九)の火災で新寺町へ移った時も、
貞昌寺
門内に位置することになったようである
通史編4(近・現代1)
(協力機関一覧(五十音順))
弘南鉄道株式会社(南津軽郡平賀町) 国立国会図書館 五所川原市教育委員会 財団法人弘前市体育協会
貞昌寺
通史編3(近世2)
(学校縮小)
学校の旧建物は文化八年(一八一一)取り壊し、その資材は本行寺、法立寺、大円寺、
貞昌寺
に払い下げられた。
通史編1(古代・中世)
([口絵])
11 阿弥陀如来像 弘前市法源寺 12 絹本著色当麻曼荼羅図(県重宝) 弘前市
貞昌寺
通史編3(近世2)
(本行寺)
文化七年(一八一〇)、
貞昌寺
の出火によって類焼した際は、藩校の稽古館の講堂を移して書院とした。
通史編5(近・現代2)
(東京からの集団疎開児童)
朝陽国民学校と第一大成国民学校を使用したのは渋谷区富谷国民学校で、新寺町
貞昌寺
を本部兼宿舎とした。
通史編3(近世2)
(非人小屋の設置と餓死者の処理)
そのため藩では、和徳町(わとくまち)・
貞昌寺
(ていしょうじ)(現市内新寺町)・大円寺(だいえんじ)(現市内銅屋町
通史編3(近世2)
(弘前市内寺院所蔵の彫刻・絵画)
数多くの寺の中で、藩とかかわり深い長勝寺・報恩寺・
貞昌寺
・本行寺・誓願寺などに作風の優れた像が多かったのも,円空作の三体の仏像、および県内で最古(鎌倉時代末)の本格的絵画で、他県の作品とくらべても優れたできばえの
貞昌寺
蔵絹本著色当麻曼荼羅
通史編3(近世2)
(協力機関および協力者一覧(機関・個人順、五十音順))
青森県弘前市) 財団法人致道博物館(山形県鶴岡市) 長勝寺(青森県弘前市) 鶴岡市郷土資料館
貞昌寺
通史編3(近世2)
(野本道玄)
茶庭にも才を発揮し、青森油川の浄満寺、弘前の梅林寺、本行寺、
貞昌寺
、報恩寺の庭を造っており、三の丸庭園
通史編1(古代・中世)
(協力機関および協力者一覧(機関・個人順、五十音順))
(岩手県西磐井郡平泉町) 長勝寺(弘前市) 築館町教育委員会 鶴岡八幡宮(神奈川県鎌倉市)
貞昌寺
通史編3(近世2)
((二)富籤興行)
貞昌寺
は、文政八年(一八二五)から三年間に一五回の富籤発行が認められた。,すでに、藩の財政は、為信の生母の菩提寺として寺領六〇石を寄進し、浄土宗僧録所にしている
貞昌寺
の再建ができず
通史編2(近世1)
(窮民対策)
さらに、町医者が派遣され、薬による治療が行われたが、毎日五人から一〇人が小屋から出され
貞昌寺
・大圓寺・
通史編3(近世2)
(為信)
実父守信の正室が死去すると葬式の導師となり、戒名の桂屋貞昌大禅定尼をとって
貞昌寺
とした。
通史編1(古代・中世)
(一 中世寺院の建立)
この曹洞寺院に次いで多いのが、
貞昌寺
を中心とする浄土宗であり、その数は七ヶ寺に及ぶ。,現に、その初め、大光寺(だいこうじ)(平賀(ひらか)町)に岌禎を開山として建立された
貞昌寺
は、大浦為信,写真220 『津軽一統志』
貞昌寺
そのなかにあって、唯一、特異なのが、中野(浪岡町)に造営され
通史編3(近世2)
(出開帳)
藤崎村(現南津軽郡藤崎町)摂取院にいた蓮池が、元禄十一年(一六九八)、
貞昌寺
を宿寺にして円光大師作の阿弥陀如来,.回向院で行われた開帳の様子 長野の善光寺は、元禄十五年(一七〇二)六月二十八日から七日間、
貞昌寺
通史編4(近・現代1)
(市会乱闘事件)
菊池市長の俸給過誤払ノ件」、「渡鮮軍隊寄贈新聞ノ件」、「消防刺子外六点購入ノ件」、「諸帳簿不整理ノ件」、「
貞昌寺
杉立木伐採
通史編4(近・現代1)
(大区小区制の成立)
新屋敷は上白銀町、大行院門前・長勝寺山内・同門前・耕春院門前は西茂森町、裏門前は茂森新町、
貞昌寺
門前・
通史編3(近世2)
(大社の神仏分離)
ところが、別当は老年の師匠を捨てておけないし、自分は仏恩が深いとして仏像とともに
貞昌寺
(ていしょうじ)
通史編3(近世2)
(掲載図版・写真の典拠・所蔵一覧)
弘前市立博物館蔵 183 同上 184 同上 185 弘前市 大仏院蔵 186 弘前市 長勝寺蔵 187 弘前市
貞昌寺
蔵,薬王院 210 弘前市 袋宮寺 211 新撰陸奥国誌 巻30 東京大学史料編纂所蔵 212 弘前市
貞昌寺
通史編2(近世1)
(野本道玄の招聘)
しかし、道玄は茶道を伝授するのみならず、養蚕技術の導入、岩木山麓での茶の栽培、弘前城下の
貞昌寺
・本行寺
通史編4(近・現代1)
(戸籍法と戸籍区)
古堀丁 同新割町 元裏門前 茂森派立 新寺町報恩寺元門前 万能寺元門前 山辺稲荷并白狐寺門前 大矢場
貞昌寺
元門前
通史編3(近世2)
(瓦の利用)
以上のほか、享保六年(一七二一)七月には、
貞昌寺
(ていしょうじ)(現市内新寺町)が経堂を瓦葺きにする目的
通史編3(近世2)
(城下での生活)
源左衛門・七郎右衛門とともに
貞昌寺
(ていしょうじ)(現市内新寺町)へ参り、喜多村監物の位牌へ焼香する。,帰りに西福院(さいふくいん)(現西福寺のことで
貞昌寺
塔頭(たっちゅう)、市内新寺町)に立ち寄ると、大変
通史編4(近・現代1)
(掲載写真・図版の典拠・所蔵一覧)
写真133 稲葉克夫氏写真提供 写真134 同上 写真135 弘前市立博物館蔵 写真136 弘前市
貞昌寺
通史編2(近世1)
(津軽信枚の越後転封)
七、最勝院・長勝寺・百沢寺・
貞昌寺
に国替の通知を行い、末寺までも一緒に越後まで上るという寺は召し連れること
通史編1(古代・中世)
(掲載図版・写真の典拠・所蔵一覧)
口絵9 弘前市 西光寺蔵 口絵10 弘前市 万蔵寺蔵 口絵11 弘前市 法源寺蔵 口絵12 弘前市
貞昌寺
蔵
通史編4(近・現代1)
(新編 弘前市史 通史編4(近・現代1) 目次)
………… 499 四 禅画の名手佐藤禅忠 ………………………………………… 505 五
貞昌寺
通史編3(近世2)
(二 藩主の日常生活)
午前十一時すぎ山吹ノ間へ出座し、多膳と会い藩政について用談・決裁――在々より減石願いの件、新寺町の
貞昌寺
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