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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編2(近世1) (農村部での騒動)

しかし、内陸の農村部では七月二十七日に木造新田など二八ヵ村の者が徒党を組み、貯米の返却と年貢強化策として,図129.木造新田の者たちが町奉行と対峙した石渡川原  「貯米」は元来、飢饉対策として安永期から,せっかくの飢饉対策の貯米が実際には年貢同様の扱いになり、本来の役割を果たさなかったのである。,この騒動も首謀者五人が捕らえられたが、九月二十九日に至り、藩は貯米の上納の廃止、貯米の分割返却、翌年までの
通史編2(近世1) (天保四年における藩の対応)

また、天保四年には、天明飢饉以来強化された貯米制度が功を奏した。,天明期にも、在方への貯米は命じられていたが、実際は藩の廻米や借財返済に充当されたりして、有名無実となっていた,この他に各村独自の判断による貯米や、豪農の提供による貯米の存在もあった。,このような貯米が秋口から放出されていった。  
通史編2(近世1) (近世中期の三人の藩主)

については、享保十一年に百姓の次・三男の分家を禁じたり、その翌年には百姓の年間休日を定め、さらに備荒貯米
通史編2(近世1) (天明六年以降の飢饉)

天保四年よりは被害が少ないものの、貯米は前の凶作で使い果たしており、状況はより深刻であった。
通史編2(近世1) (飢餓対策における殖産政策)

その上皮肉なことに、樋口の産物導入のため、安永初年から行われてきた貯米の大半が流用され、飢饉の備えの役
通史編2(近世1) (飢饉に至るまでの経緯)

七月には青森や鰺ヶ沢で廻米の停止を求めて暴動が起こり、弘前郊外では木造新田(きづくりしんでん)の者が貯米
通史編2(近世1) (文化~文政期の藩財政)

500両ずつ相廻候筈 ⑫ 囲米2万俵摺立方代米 4,800   1.89  ⑬ 弘前・青森貯米
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