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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍
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通史編4(近・現代1)
(銀行政策の展開と私立銀行の設立)
また、私立銀行は多くが普通銀行であったが、それ以外に
貯蓄銀行
もあった。,
貯蓄銀行
は、政府の勤倹貯蓄奨励政策からイギリスの郵便
貯蓄銀行
の制度が導入され、明治八年に駅逓局貯金制度,わが国最初の
貯蓄銀行
は明治十三年に創設された東京貯蔵銀行であり、以後相次いで全国的に設立されていくが、,このように、私立銀行に関する銀行条例や
貯蓄銀行
条例が明治二十六年に施行されると、普通銀行は二七〇行から,五四五行に倍増し、
貯蓄銀行
は二十六年末には二三行であったのが、三十三年末には四三五行に激増するのである
通史編4(近・現代1)
(金融関係法規の制定・改正)
していくと、政府はその社会的責任の増大に対して、その整備や取り締まりが必要であると判断し、大正四年に
貯蓄銀行
条例,①
貯蓄銀行
条例の改正 銀行類似会社や弱小銀行の中には、積立預金や据置貯金の名称で預金の吸収を図るものがあり,まず、業務分野の拡大であるが、
貯蓄銀行
の業務に新たに定期積金と据置貯金を加え、
貯蓄銀行
以外のものがこの,条例改正は、
貯蓄銀行
に新規預金業務を認め、いかがわしい金融機関をこの条例の対象として規制し、また、
貯蓄銀行
通史編4(近・現代1)
(県下銀行の発展と金融都市弘前)
株式会社 木造両盛銀行 26.12 西郡木造町 105,000 94,000 66 同 集盛
貯蓄銀行
, 八戸商業銀行 30. 9 同 100,000 100,000 63 同 八戸
貯蓄銀行
,青森商業銀行 27. 9 青森市浜町 400,000 280,000 117 同 青森
貯蓄銀行
,19 4,535,550 45年 28 20 4,944,050 前掲『青森銀行史』 注 普通銀行、
貯蓄銀行
,三十三年に改称し、弘前
貯蓄銀行
となり、さらに大正十年に弘前銀行(第二次)となった。
通史編4(近・現代1)
(主要銀行の景況)
その後大正十年(一九二一)に、弘前
貯蓄銀行
が弘前銀行と名称変更した。,弘前銀行の前身である弘前
貯蓄銀行
や関銀行は、いずれも弘前市の有力商業者が設立した銀行であった。
通史編5(近・現代2)
(金融危機の勃発)
における休業銀行・開店休業銀行の実態と影響」『地方金融史研究』第18号、1987年 注) この表には
貯蓄銀行
,そのうち、福島県の福島
貯蓄銀行
と三重県の四日市銀行を除く九行はすべて青森県の銀行であった(拝司静夫「昭和恐慌期
通史編4(近・現代1)
(日清戦争後の会社、銀行と工業生産)
株式会社の四社は、第五十九国立銀行、弘前銀行、弘前
貯蓄銀行
、弘前商業銀行ですべて金融機関である。
通史編5(近・現代2)
(県内銀行合併の推進)
県内銀行合併の推進 昭和七年(一九三二)末における県下の本店銀行は、表12のとおり、普通銀行一四行、
貯蓄銀行
二行
通史編4(近・現代1)
(第五十九銀行の営業状況)
(二)支店出張所の設置 明治三十一年一月二十四日に
貯蓄銀行
の営業を許可され、支店出張所が次のように県内外
通史編5(近・現代2)
(弘前銀行と第五十九銀行の休業)
してからちょうど一年目の昭和六年十一月二十四日、かねてより経営状態の悪化が噂されていた弘前銀行(大正十年に弘前
貯蓄銀行
,任意解散 前掲「昭和恐慌期における休業銀行・開店休業銀行の実態と影響」より作成 備考(1)*印は
貯蓄銀行
通史編5(近・現代2)
(弘前相互銀行と青和銀行の合併)
青和銀行は青森
貯蓄銀行
(大正十年十二月設立)が昭和二十三年(一九四八)十二月、普通銀行に転換して発足した
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