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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編2(近世1) (隠津出・抜け米の取り締まり)

やはり城下の主要な御用達の商人が「御用達元方」として任命され、天保八年十月から始まる「預手形」による買米制,預かり手形による買米制が頓挫した後も、仲買人による米の買い入れは継続された。,しかしその後、藩の買米制が破綻したうえに、取り締まり場所に比して人数が多く、在方では負担が重くかえって
通史編2(近世1) (近世最後の大飢饉)

一八三四)に野村軍記(のむらぐんき)の藩政改革に反発して久慈通(くじどおり)で大一揆が起こり、秋田藩でも買米制
通史編2(近世1) (騒動の背景)

天明期にかけては藩士には知行の強制的借り上げ、農民に対しては年貢米以外の余剰米を安値で強制的に買い上げる買米制,安永年間は米価も高く、買米制のもとで一俵=一六~一七匁で安価に買い取った米を、江戸では一石=一両(一両
通史編2(近世1) (穀物の流通統制)

しかし、その後は積極的な施策はみられず、買米制度の一つの目的である凶荒対策も放棄した感がある。,〇〇〇石の不払いの廻米を抱えたままで、買い入れの目処(めど)も立たず、領内の米穀の流通を管理しようとした買米制
通史編2(近世1) (消極的な藩の救済策)

の暮れには米の自由な販売を一切禁じ、藩の買上役人が買い上げて、藩の指定した米穀商人に販売を独占させる買米制
通史編2(近世1) (騒動のその後)

藩の買米制や上方への廻米も、このような段階では中止せざるをえなくなった。  
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