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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編2(近世1) (津軽信枚の越後転封)

津軽信枚の越後転封 元和五年(一六一九)は二代将軍秀忠が上洛した年であり、東北地方の大名をはじめ多くの,ところが、六月十七日付けの義宣書状は、信枚の越後転封を伝えており(資料近世1No.三六九)、信枚もその,六月十八日付けの義宣書状は、信枚の越後転封に伴う秋田領内比内筋と日本海側の八森筋の荷物運搬の許可を伝えたもので,その内容は越後転封の準備を一三ヵ条にわたって指示したもので(同前No.三七二)、恐らく国替が決定されてから,を知るヵ) 信枚の越後転封を知る 津軽信枚へ越後転封指示ヵ 18 領内比内・八森筋の弘前藩の荷物運搬許可 / 津軽信枚の越後転封
通史編2(近世1) (越後加増説)

越後加増説 信枚の越後転封は結局沙汰やみになったが、この騒動の最中に津軽弘前藩にとって一つの重要な点
通史編2(近世1) (本村と新田)

「元和年中御家臣姓名大概」(『津軽史 第八巻』一九七八年 青森県文化財保護協会刊)には、越後転封に際して
資料編2(近世編1) (編年史料 (天正十七年~明暦二年))

●元和五年(一六一九)六月十七日、秋田久保田城主佐竹義宣、家老梅津憲忠へ書状を下し、津軽信枚の越後転封,同月二日、津軽信枚の越後転封の中止決まる。
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