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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍
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通史編1(古代・中世)
(足利尊氏の離反)
足利尊氏
の離反 建武二年(一三三五)十月、天皇親政をスローガンとする建武政府に対する武士の不満を結集,して、
足利尊氏
(あしかがたかうじ)(写真153)が後醍醐方に公然と反旗をひるがえし、時代は南北朝の内乱,写真153
足利尊氏
像 尊氏は、鎌倉幕府滅亡後、隠岐(おき)から脱出したばかりの後醍醐天皇から /
足利尊氏
の離反
通史編1(古代・中世)
(顕家からの安堵)
この権限は、かつて北条氏から
足利尊氏
が受け継ぎ、安藤高季に望んでいたものである。,蝦夷沙汰は、当時、
足利尊氏
にかわる鎮守府将軍に予定されていた北畠顕家直轄という意識もあったのであろう。
通史編1(古代・中世)
(北畠顕家の死)
十二月には利根川の戦いで
足利尊氏
の嫡子義詮(よしあきら)を破り、ついで鎌倉を攻めて斯波家長を自害させるなど
通史編1(古代・中世)
(蝦夷沙汰職の行方)
すでに述べたように、当初それを掌握しようとしたのは、後醍醐天皇から鎮守府将軍に任ぜられた
足利尊氏
である
通史編1(古代・中世)
(津軽曽我氏の滅亡)
津軽曽我氏の滅亡 観応元年(正平五年、一三五〇)十一月、
足利尊氏
との確執から弟直義(ただよし)が南朝
通史編1(古代・中世)
(日の本将軍と鎮守府将軍)
そして、この鎮守府将軍については鎌倉期には中断していたが、正慶二年(元弘三年、一三三三)に
足利尊氏
が後醍醐天皇
通史編1(古代・中世)
(一族の分裂)
また津軽に所領を有していた下総結城氏の庶流白河氏なども、
足利尊氏
の入洛以前に早くも千種忠顕(ただあき)
通史編1(古代・中世)
(鎌倉幕府滅亡と津軽曽我氏)
鎌倉幕府滅亡と津軽曽我氏 元弘三年(一三三三)閏二月の後醍醐天皇の隠岐脱出に始まり、同年五月の
足利尊氏
通史編1(古代・中世)
(足利幕府の奥羽支配)
北条時行(ときゆき)を旗頭に立てる北条氏残党の反乱(いわゆる「中先代(なかせんだい)の乱」)が勃発すると、
足利尊氏
通史編1(古代・中世)
(討幕の論功行賞)
そのほかに所領に対する賦課の問題など、いろいろの事情があったのであろうが、翌建武二年(一三三五)十月、
足利尊氏
通史編1(古代・中世)
(北畠親房の政権構想)
鎌倉幕府滅亡後、急速に武士勢力を吸収しつつある
足利尊氏
を押さえるために、関東の背後の陸奥国を重視し、奥州武士
通史編1(古代・中世)
(南北朝の動乱と曽我氏)
南北朝の動乱と曽我氏 建武三年(延元元年、一三三六)正月、
足利尊氏
の御教書(みぎょうしょ)を受けた安藤家季
資料編1(古代・中世編)
((1) 南北朝時代の「堀越楯」)
しかし、建武新政府の政策に対する不満から、建武二年(一三三五)十月、
足利尊氏
が鎌倉で反旗を翻すと、これに
通史編1(古代・中世)
(安藤高季の活躍)
写真156 北畠顕家御教書 たとえば安藤五郎二郎家季は、
足利尊氏
が惣地頭となった外浜について、
資料編1(古代・中世編)
([十四世紀])
●このころ、
足利尊氏
、闕所地(旧惣地頭北条泰家)の奥州外浜を所領とする。,●観応二年(一三五一・南正平六)七月二十二日、曾我貞光、
足利尊氏
より軍忠を認められる。
資料編1(古代・中世編)
(第一章 綱文・史料一覧)
………………………… 飯野家文書 193 ●このころ、
足利尊氏
、闕所地(旧惣地頭北条泰家)の奥州外浜を,…………………………… 斎藤文書 214 ●観応二年(一三五一・南正平六)七月二十二日、曾我貞光、
足利尊氏
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