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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編2(近世1) (人質徴収)

このとき、あわせて足弱衆(あしよわしゅう)(大名の妻子)の上洛も求めている。,大名とその妻子である足弱衆の上洛は、各大名に個別に命じられてはいるが、七月晦日付の秀吉の朱印状では、出羽,また、津軽為信も、前田利家に伴われて十二月に足弱衆を伴って上洛している(資料近世1No.二七)。,一方、陸奥の大名の場合、ほとんどの大名が九月ごろまでに足弱衆の上洛を行ったと考えられる。,ともかく、足弱衆の上洛は、最も貫徹度の高いものであったということができる。
通史編2(近世1) (一 九戸一揆と動員大名)

仕置軍が帰還した直後の同年十月、奥羽の地においては、豊臣政権の徹底した検地・刀狩り・城破(しろわ)り・足弱衆
通史編2(近世1) (初代為信の動向)

天正十八年(一五九〇)に為信とともに上洛をした「足弱衆(あしよわしゅう)」(資料近世1No.二七)の一人
資料編2(近世編1) (編年史料 (天正十七年~明暦二年))

七月晦日、豊臣秀吉、宇都宮にて朱印状を下し、出羽・陸奥のみならず、津軽・宇曽利・外浜に至るまで、大名の足弱衆,天正十八年(一五九〇)十二月二十九日、前田利家の家臣河島重続、津軽仕置の終了と、南部右京亮為信並びに足弱衆
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