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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍
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通史編3(近世2)
(御軍政局の発足と組織)
・武芸砲術引担 明治1.5 御用人兼 3 秋元蔵主 御軍政局評定方 御手筒
足軽頭
150石外,100石勤料 諸手
足軽頭
明治1.8 大組
足軽頭
兼務 4 三橋左十郎 〃 御手筒
足軽頭
250,石 諸手
足軽頭
明治1.8 御側御用人・御軍政局御用掛 5 貴田孫太夫 〃 御手筒
足軽頭
,200石 諸手
足軽頭
6 館山善左衛門 〃 御手筒
足軽頭
200石外50石勤料 諸手
足軽頭
,木村も同五月に用人兼務となり、山田の転出後は御手筒(おてづつ)
足軽頭
の三橋左十郎(みつはしさじゅうろう
通史編3(近世2)
(消防制度)
消防制度 藩庁の消防組織としては火消番があり、元禄四年(一六九一)の「非常の節詰場所の定」では大組
足軽頭
,(おおくみあしがるがしら)・持筒(もちつつ)
足軽頭
・諸手(しょて)
足軽頭
の三役が申し合わせて、一組が定
通史編3(近世2)
((三)日常生活)
添田は、延宝二年に大組
足軽頭
(おおくみあしがるがしら)、天和二年には馬廻三番組頭となり、元禄十年(一六九七
通史編3(近世2)
(勤務の状況)
この座敷には、御旗奉行・御持鑓(おんもちやり)奉行・大組
足軽頭
(おおくみあしがるがしら)・御持筒(おんもちつつ,)
足軽頭
(いずれも番方)のうち一人が、午後二時から翌朝八時まで宿直する。,在国中御番免除の役は、留守居組頭・城付
足軽頭
(しろつきあしがるがしら)・手弓頭(てゆみがしら)・手筒頭
通史編3(近世2)
(戦場に駆り出された民衆)
伊藤銀吾 41歳 三等銃隊 無足 箱館矢不来 永世15俵 永世禄は父孫太夫へ 62 成田求馬 30歳
足軽頭
,以上支配 12石2人扶持 秋田矢島領吉沢村 永世35俵 家督は息子清司へ 64 小島左近 45歳
足軽頭
,谷口永吉 48歳 表書院番 16石 南部野辺地 永世20俵 永世緑は息子忠太へ 66 高杉左膳 35歳
足軽頭
通史編3(近世2)
(弘前藩の出兵)
また、二十日には、二等銃隊頭和嶋安左衛門(やすざえもん)が一小隊を率いて、二十三日には諸手(しょて)
足軽頭
通史編2(近世1)
(支配機構の整備)
ただし、手廻・馬廻・留守居三組の頭が「組頭」と呼ばれるのに対して、足軽組はたとえば「大組
足軽頭
」というように,郷足軽は別に郷足軽組が編成されたが、ほとんどが諸手
足軽頭
支配とされた(山上笙介『津軽の武士 1』一九八二年
通史編3(近世2)
(戦局の展開と兵員の不足化)
周辺の勤皇諸藩に進攻を開始し、弘前藩も八月五日に先行部隊が羽州(うしゅう)矢島領で庄内藩兵と衝突し、
足軽頭
成田求馬以下九人
通史編3(近世2)
(毛内宜応)
宝暦八年家督三〇〇石を継ぎ、
足軽頭
を務めたが、天明二年に病身を理由に御役御免を願い隠居を申し出た。
通史編3(近世2)
(軍制への戸惑いと浸透)
たとえば、弘前藩は明治元年四月十六日に奥羽鎮撫総督府より庄内討伐援兵命令を指示され、同二十一日に
足軽頭
松野栄蔵
通史編3(近世2)
(二等銃隊の創出)
、これを丹念にみていくと、軍制改革全期を通じて二等銃隊頭は四三人任命されており、その藩内役職の内訳は
足軽頭
六
通史編2(近世1)
(寛文蝦夷蜂起と津軽弘前藩)
この出兵規模案は、鉄炮隊中心の、指揮者を
足軽頭
・物頭一人ずつという小人数であった。
通史編2(近世1)
(越後高田領検地の実施)
大道寺隼人 手廻組頭 国元から呼ぶ 2 元締め 間宮求馬 用人 3 〃加役 佐藤新五左衛門 諸手
足軽頭
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