機関トップ
資料グループ
テキスト一覧
年表一覧
キーワード一覧
弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍
トップページ
詳細検索
詳細検索
目録
テキスト
年表
キーワード
その他(トップページ等)
検索条件を追加
目録
テキスト
年表
キーワード一覧
その他(トップページ等)
AND
OR
NOT
年号変換
閉じる
検索結果
: 8件
辞書ファセット
○○○
△△△
10件
20件
50件
100件
(並べ替え)
テキストタイトル(昇順)
テキストタイトル(降順)
ページタイトル(昇順)
ページタイトル(降順)
掲載ページ(昇順)
掲載ページ(降順)
/ 1ページ
通史編2(近世1)
(一 明暦検地の意義)
明暦検地は、明暦二年二月に幕府が四代藩主津軽信政の
跡目
相続を認め、その後見として叔父で旗本の西丸書院番津軽信英
通史編2(近世1)
(信政の襲封と黒石分知)
翌年二月二日、幕府は信義の嫡子信政(のぶまさ)に対して
跡目
相続を許すとともに、二代藩主信枚の次男(信枚
通史編3(近世2)
(新楮町の取り立て)
享保十年(一七二五)十二月、喜兵衛は病死、直ちに倅喜平次が
跡目
を継ぎ、御用を勤めることになった。
通史編2(近世1)
(浅利頼平の怪死)
頼平死後、伏見にいた浅利妻子はなお秀吉側近の内儀(ないぎ)衆の一人である「おちやあ」に頼り、頼平の
跡目
通史編2(近世1)
(飢饉のその後)
飢饉のさなかに津軽信寧(のぶやす)は死去し、信明(のぶはる)が
跡目
を継いだ。
資料編2(近世編1)
(【解説】)
編年体史料の最終条は、明暦二年二月二日、江戸幕府が四代藩主津軽信政(つがるのぶまさ)の
跡目
相続を認め、
通史編2(近世1)
(二代信枚の動向)
二代信枚の動向 為信の死後、信枚は江戸に下り、慶長十二年十二月二十一日に幕府から
跡目
(あとめ)相続を
資料編2(近世編1)
(編年史料 (天正十七年~明暦二年))
●慶長十二年(一六〇七)十二月二十一日、津軽信枚、京都より江戸へ到着し、幕府から
跡目
相続を許されるという,●寛永八年(一六三一)四月朔日、津軽信吉、
跡目
相続を許され、白銀二百枚等を幕府へ献上する。,●寛永八年(一六三一)六月十五日、津軽信吉、秋田久保田城主佐竹義宣へ使者植田四郎右衛門を派遣し、
跡目
相続,●寛永十八年(一六四一)十二月三日、幕府外科医津軽建広の
跡目
、惣領建次が相続する。,●明暦二年(一六五六)二月二日、幕府、津軽信義嫡子平蔵へ、老中酒井忠清宅にて
跡目
相続を許し、書院番津軽信英
/ 1ページ