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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編2(近世1) (信政の襲封と黒石分知)

翌年二月二日、幕府は信義の嫡子信政(のぶまさ)に対して跡目相続を許すとともに、二代藩主信枚の次男(信枚
通史編2(近世1) (一 明暦検地の意義)

明暦検地は、明暦二年二月に幕府が四代藩主津軽信政の跡目相続を認め、その後見として叔父で旗本の西丸書院番津軽信英
通史編3(近世2) (新楮町の取り立て)

享保十年(一七二五)十二月、喜兵衛は病死、直ちに倅喜平次が跡目を継ぎ、御用を勤めることになった。  
通史編2(近世1) (浅利頼平の怪死)

 頼平死後、伏見にいた浅利妻子はなお秀吉側近の内儀(ないぎ)衆の一人である「おちやあ」に頼り、頼平の跡目
通史編2(近世1) (飢饉のその後)

飢饉のさなかに津軽信寧(のぶやす)は死去し、信明(のぶはる)が跡目を継いだ。
資料編2(近世編1) (【解説】)

編年体史料の最終条は、明暦二年二月二日、江戸幕府が四代藩主津軽信政(つがるのぶまさ)の跡目相続を認め、
通史編2(近世1) (二代信枚の動向)

二代信枚の動向 為信の死後、信枚は江戸に下り、慶長十二年十二月二十一日に幕府から跡目(あとめ)相続を
資料編2(近世編1) (編年史料 (天正十七年~明暦二年))

●慶長十二年(一六〇七)十二月二十一日、津軽信枚、京都より江戸へ到着し、幕府から跡目相続を許されるという,●寛永八年(一六三一)四月朔日、津軽信吉、跡目相続を許され、白銀二百枚等を幕府へ献上する。,●寛永八年(一六三一)六月十五日、津軽信吉、秋田久保田城主佐竹義宣へ使者植田四郎右衛門を派遣し、跡目相続,●寛永十八年(一六四一)十二月三日、幕府外科医津軽建広の跡目、惣領建次が相続する。,●明暦二年(一六五六)二月二日、幕府、津軽信義嫡子平蔵へ、老中酒井忠清宅にて跡目相続を許し、書院番津軽信英
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