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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編5(近・現代2) (軍事色の払拭)

軍事色の払拭 敗戦直後の全国各都市では、GHQの指令と新憲法の制定を受け、軍事施設の解体を実施しなければならなかった,物資の少ない当時とはいえ、弘前や青森の軍事施設には膨大な数の武器や弾薬があった。,その後も軍事施設の解体に伴い、市当局は払い下げを要請し続けた。,その住宅敷地として、広大な軍事施設が活用されたのである。,軍事施設の民需活用の過程を見ると、市にある軍事施設がいかに巨大なものであったかがわかり、軍都弘前の一側面
通史編4(近・現代1) (連隊区の廃止)

だが平時に膨大な組織と規模を誇る一つの師団が集中していることは、市の敷地の相当な部分を軍事施設に奪われることを,弘前市は第八師団管下の諸軍事施設から、相当な経済的恩恵を受けてきた。,しかし同時に市域の重要な部分が軍事施設であるため、市民の社会生活基盤が圧迫されていたのである。
通史編5(近・現代2) (弘前城内の植物園造営)

弘前城は軍都弘前の軍事施設から、学都弘前にふさわしい施設に生まれ変わったわけである(資料近・現代2No
資料編1(古代・中世編) ((1)南北朝時代の「石川楯」)

しかし、「楯」がこの時代、堀や柵を巡らした軍事施設を指す言葉であり、おそらく「石川楯」は、臨時に構えられた,を中心とする地域に比定しているが(『津軽諸城の研究』)この地は大仏ケ鼻丘陵の直下に見渡される台地で、軍事施設
通史編4(近・現代1) (師団誘致運動)

そしてかねてからの予定どおり、弘前市近郊に師団司令部を設置し、付近に兵営や各軍事施設を建設していった。,時代に応じて施設の規模や位置に変化はあるが、だいたい現在の弘前城附近ないし弘前大学附近に諸軍事施設が集中
通史編5(近・現代2) (外地引揚者への援護策)

弘前市には軍事施設が集中し広大な土地があったため、青森市をはじめとした他市町村の空襲罹災者や引揚者が多数弘前市
通史編4(近・現代1) (軍都以前の弘前市)

当然、一定程度の軍事施設を備えていたわけである。
通史編5(近・現代2) (復員・引揚げ対策の開始)

戦時中、出征軍人のために食糧や物資の供出が半ば強制的に行われ、各地域の軍事施設には豊富な物資があった。
通史編5(近・現代2) (弘前大学後援会と農学部の新設)

しかし農学部の校舎は旧師団司令部をはじめ、軍都弘前時代の軍事施設をそのまま使用したものであり、農場も建物
通史編5(近・現代2) (戦時生活の諸側面)

それだけでなく軍都弘前の中心部は、なんといっても第八師団のお膝元であり、数多くの軍事施設を抱え、農業耕作地
通史編5(近・現代2) (見直したい弘前市の記録)

軍事施設として忘れてはならないのが、陸軍将校のサロンだった偕行社である。
通史編5(近・現代2) (軍国主義・国家主義の払拭)

軍国主義・国家主義の払拭 敗戦後、解散・解体されたのは軍事施設だけではなかった。
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