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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編5(近・現代2) (軍人援護政策と女性の位置づけ)

軍人援護政策と女性の位置づけ 日中戦争の泥沼化は当然、多数の戦死傷者を生み出し、生活の支柱となる存在 / 軍人援護政策と女性の位置づけ
通史編5(近・現代2) (傷痍軍人の保護)

昭和十七年(一九四二)一月二十六日、青森県学務部から軍人援護の普及徹底をはかる通達があった。,写真28 軍人援護の回覧板  けれども軍人援護事業が銃後奉公会をはじめ、民間団体の協力を得て行われたことも,昭和十八年四月九日、県内政部は軍人援護精神昂揚運動として巡回映写会を実施している。,毎日新聞社のイベントでもあったのだが、県当局は軍人援護政策として活用した。,軍と自治体当局と民間企業の共同事業による軍人援護活動の一端が理解できよう。  
通史編5(近・現代2) (銃後後援強化週間の実施)

銃後奉公会は市町村の軍人援護の中枢団体として位置づけられ、会の指導・統制は市町村長が行い、県内の全般的指導,写真23 銃後奉公会関係の簿冊  軍人援護に関する資金は、国や軍ではなく、各地域で支えるということが,そのために打ち出されたのが軍人援護政策の徹底だった。,動員を背後で支える銃後の生活と、軍人援護政策があったからこそ、国民は積極的に戦争協力していったのではないだろうか
通史編5(近・現代2) (赤十字の活動)

赤十字の軍人援護活動を支えたのは、一般庶民の義捐金募集活動だった。,だがこの数値が各村民の赤十字事業に対する好意を示し、軍人援護活動への自発性を示すというわけではない。
通史編5(近・現代2) (軍人遺家族の援護対策)

ここでも具体的な軍人援護対策は国家(軍)ではなく、市町村当局に任された。,昭和十三年七月、弘前地区軍人援護相談所が設置され、事務所が弘前警察署内に置かれた。,その結果、青森県と恩賜財団軍人援護会青森県支部が主催し、青森、弘前、八戸三市の銃後奉公会が後援して遺家族生活改善講習会
通史編5(近・現代2) (敗戦直後の市政事務)

徴兵と軍人援護は戦時中の行政の最大任務だった。これは厚生課の担当である。,敗戦となった今、徴兵事務は終了したが、軍人援護事務は八割以上継続している状態だった。
通史編5(近・現代2) (反戦・厭戦の防止)

昭和十九年(一九四四)三月十三日、県当局や大日本傷痍軍人会および軍人援護会の各支部は、重度傷痍軍人の再起復活
通史編5(近・現代2) (戦時生活の諸側面)

ねぷたも文化報国会の統制下に入り、軍人援護政策の一環に組み込まれていた。
通史編5(近・現代2) (日中戦争の勃発への着手)

①「陸海軍二徴用セラレル者ハ軍属トナルベキヲ以テ応徴者ノ家族ニ対シテハ軍属ノ家族ニ対スル軍人援護ヲ及ホスコト
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