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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編3(近世2) (軍制への戸惑いと浸透)

軍制への戸惑いと浸透 軍政局が発足して間もなく、広範な藩士たちの軍事調練が開始されたが、城中だけでは,それは、新軍制に彼らが不慣れなことから生じた。,こうして最後には能(のう)役者やお抱え絵師などの者も弾薬方に組み込まれていったが、軍制改革は挙藩体制で / 軍制への戸惑いと浸透
資料編3(近世編2) (第二節 戊辰戦争と弘前)

第二節 戊辰戦争と弘前 一 戊辰戦争下の奥羽地方 二 軍制改革の展開 三 庄内出兵と野辺地戦争
通史編3(近世2) (御軍政局の発足と組織)

藩の正規の軍制は四代信政(のぶまさ)が兵学者山鹿素行(やまがそこう)に傾倒(けいとう)して以来、山鹿流,ところが、戦争ががぜん現実化した今、もはや藩は旧式軍制にこだわっていられず、すべての兵員に西洋銃器による,彼らはいずれも修武堂において藩兵訓練に携わってきた番方上士であり、軍制改革といっても西南雄藩のように、,藩上層部が改革を主導していたという事実は、この改革が決して封建軍制の枠を越えようとするものではなかった,さらに前職の項をみると、七人の者が武芸締方・御備方といった修武堂時代からの軍制に参画していたのである。
通史編3(近世2) (戦局の展開と兵員の不足化)

そしてその課題はいかにして弘前の本城を守るかが第一義とされ、二等銃隊の補充とともに、新たな軍制が展開されたのである,新たな軍制とは、八月七日に二等銃隊から中小姓・徒士(かち)組の者が全員引き揚げ命令を受けたことに始まる,このように軍制は弘前守備を専一とする御書院番銃隊(一等銃隊)・表御書院番銃隊(二等銃隊)・第一等予備銃隊,指揮官らは藩に対して、老若・強弱・熟不熟の者が入り交じっては軍制改革の意味もなくなるから、老年多病の下等
通史編3(近世2) (改革開始以前の状況)

つまり、藩では蝦夷地警備の必要から洋式銃器の導入には嘉永年間ころより熱心であり、この軍制改革もそうした,一連の武備充実の流れが拡大的に発展したものといえる(なお、幕末軍制動向の詳細については第四章第五節参照,明治元年三月五日、この修武堂に砲隊頭や銃隊教授、洋式武器に精通している者などを結集することで藩の軍制改革
通史編3(近世2) (二等銃隊の創出)

たっての動員は当然とされたが、次、三男層らを本格的に戦力化するには彼らに相応の給禄を与えねばならず、軍制改革当初,軍制改革では鼓手も西洋太鼓(ドラム)を打てる者の養成がなされ、武器や服装だけでなく、細部まで軍制を忠実,弘前藩の軍制改革と軍事に関する記録をまとめた史料が「御軍政御用留」(弘図津)であるが、これを丹念にみていくと,、軍制改革全期を通じて二等銃隊頭は四三人任命されており、その藩内役職の内訳は足軽頭六、御使番八、同格一
通史編3(近世2) (戦争の波紋)

そして、時局への対処としては、中央からの報を家中に広く公表し、軍制改革をすすめるなど、藩を挙げての体制強化
通史編2(近世1) (南溜池の掘削と藩兵の訓練)

明治元年(一八六八)三月に、藩は戊辰戦争勃発に伴って大規模な軍制改革を始めるが、それは突然実施されたのではなく,、これまで述べた幕末期からの藩兵訓練の連続性から考察されるべきであろう(軍制改革については通史編3を参照
資料編3(近世編2) (【解説】)

また、軍制関連の史料として引用したものに、弘前市立図書館津軽家文書の「御軍政御用留」がある。,これは明治元年三月より開始された弘前藩の軍制改革に関する史料を綴ったもので、箱館戦争の事後処理が完了する,同書によると「和蘭新式」と称された弘前藩の軍制改革の実態は詳細に判明するが、明治元年・二年中は非常に政治情勢,の史料が多く、軍制史料は要所のみの収録にとどまらざるを得なかった。  ,この中で三月十八日に藩は近代戦に対応するために藩兵を総員銃隊とする軍制改革に着手し、急速に訓練を施していった
通史編3(近世2) (神職の扱い)

社家・修験・浄土真宗は家族に次、三男という男性を抱えているため、これらに対し慶応元年(一八六五)、藩は軍制改革
通史編3(近世2) (藩治職制への対応)

弘前藩でも大規模な軍制改革の結果、藩士総銃隊ともいえる状況を示しており、全国的にみれば諸藩の軍事力は非常
通史編3(近世2) (藩兵の整理)

同七月八日に軍事局の組織が定まったが、これとともに弘前藩最後の軍制改革も断行された。
通史編3(近世2) (軍事情勢の膠着)

この間に軍制改革を徹底させ、新しい軍事力の創出や訓練も実施できたからである。
通史編3(近世2) (二等銃隊の補充と特質)

しかも、よくみれば時期ごとに軍制や二等銃隊も異なった様相を示している。  
通史編3(近世2) (洋式武器の種類)

洋式武器の種類 戊辰戦争は日本が体験した最初の近代戦であったが、そのため従来の軍制にはみられなかったさまざまな
通史編3(近世2) (藩政後期)

図192.神社微細社司由緒調書上帳  慶応元年(一八六五)、藩は軍制改革に着手し、寺社奉行は神職
通史編5(近・現代2) (伊東梅軒)

このころから弘前藩の軍制・装備・武技に洋式が採用された。
通史編1(古代・中世) (斉明天皇四年の「北征」)

ただこれは唐や日本の軍制を定めた、それぞれの軍防令の規定にはそぐわない。  
通史編3(近世2) (農兵の組織)

農兵の組織 弘前藩の軍制改革は、前項で述べてきたように藩兵を中心に行われてきたが、組織的にはあくまで
通史編3(近世2) (戦局の推移と戦費負担の増加)

すでに本章第二節三の「軍制改革の開始」の部分で触れたが、近代戦初戦ともいうべき戊辰戦争では、藩は武器調達
通史編3(近世2) (新編 弘前市史 通史編3(近世2) 目次)

……  158     二 戊辰戦争下の奥羽 ………………………………………  165     三 軍制改革
資料編3(近世編2) (【解説】)

こうした動向は戊辰戦争時の軍制改革の下地となり、明治元年(一八六八)に短期間で藩兵の西洋式改変を可能にしたのである
資料編3(近世編2) (新編 弘前市史 資料編3 近世編2 目次)

  一 戊辰戦争下の奥羽地方 …………………………………………………………………  一四五八   二 軍制改革
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