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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編3(近世2) (御軍政局の発足と組織)

御軍政局の発足と組織 すでに述べたように、明治元年(一八六八)三月十八日に藩は軍政局を設置する布令を,さて、三月十八日に任命された軍政局の軍事取調御用懸(かかり)(統括責任者)は御手廻組頭(おてまわりくみかしら,さらに軍政局はその後数度にわたり人員・組織の整理統合が加えられた後、閏(うるう)四月二十六日には表11,以下、表11をもとに軍政局の組織的特徴をみていこう。,このように、軍政局上層部は番方上士らで固められていた。   / 御軍政局の発足と組織
通史編3(近世2) (軍制への戸惑いと浸透)

軍制への戸惑いと浸透 軍政局が発足して間もなく、広範な藩士たちの軍事調練が開始されたが、城中だけでは,そのため、藩士らは強く軍政局に対して不満の声をあげ、ついに藩は閏四月七日、「今度出張山本三郎左衛門殿附属兵士之面々,戦闘が激化すると、軍政局には、弾薬方より人員の増加を図り一日につき一升ずつの賄(まかな)いを支給すること
通史編3(近世2) (社家・修験隊の組織)

社家・修験隊の組織 藩兵の払底が深刻化していた明治元年(一八六八)十二月五日に軍政局は、榎本艦隊がどこに,両隊の訓練には軍政局より銃隊頭修験隊取扱として船水新五兵衛・松田良三郎の二人が任命され(前掲「御軍政御用留
通史編3(近世2) (戦争の波紋)

すなわち三月、津軽弘前藩は軍政局を新設し、近代的な軍政への改革に本格的に着手した。
通史編3(近世2) (鎮撫総督軍の領内通行問題)

閏四月二十二日に締結された白石同盟の結果を受け、五月七日、弘前藩軍政局御用懸は、沢副総督一行が津軽領へ,軍政局御用懸の懸念が現実問題となったのである。,また、沢副総督の転陣については、先日の軍政局御用懸の上申による鎮撫総督府三卿のみの通行許可を翻(ひるがえ
通史編3(近世2) (農兵の動員実態と要求)

そこで農民たちの意をくんだ小隊指揮官は軍政局に上申書を出し、農兵隊を郷銃隊(ごうじゅうたい)と改称させ
通史編3(近世2) (農兵の組織)

同年七月から八月にかけて、農民に対する軍事訓練は軍政局から教授方や番方藩士が在地に派遣されて活発に行われ,また、副役には訓練に当たってきた軍政局の教授が一人付くこととされ、農兵隊の機能が低下しないように考慮された
通史編3(近世2) (改革開始以前の状況)

惣触(そうぶれ)によって和蘭(わらん)新式の銃隊編成が命じられ(資料近世2No.五一四)、十八日には軍政局
通史編3(近世2) (町方の軍事負担)

ただ、町兵といってもこの人数のみでは隊構成を成さないし、「御軍政御用留」にも軍政局から教官が派遣され、
通史編3(近世2) (二等銃隊の創出)

銃砲取り扱い・実弾射撃などが厳しく行われ、八月ころになると、隊頭から隊中の訓練も大半行き届いてきたので、軍政局教授
通史編3(近世2) (松前徳広の領内落去)

新たな兵力の補充を迫られた軍政局は農兵隊に続いて社家隊の動員に踏み切ることになった。
通史編3(近世2) (第一次藩政改革と特色)

次に文武局であるが、これは旧軍政局が発展的に拡大した部局で、軍事だけでなく、文芸の涵養、人材育成といった
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