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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編4(近・現代1) (軍縮と歩兵第五二連隊の廃止)

世界初の総力戦を戦った各国の間では、国内の消耗が激しく軍縮の気運が高まった。,再び陸軍の軍縮を要望する世論が高まった。  ,加藤高明内閣の宇垣一成陸軍大臣は、四個師団を廃止する思い切った軍縮を実行した。,だが宇垣軍縮の真の狙いは軍縮自体にあったのではない。,宇垣軍縮による実質的な軍備の近代化は、第八師団管下にも確実に反映した。 / 軍縮と歩兵第五二連隊の廃止
通史編5(近・現代2) (弘前市にとっての第八師団)

しかしそれは大正期の軍縮時代に、軍隊が地域から疎まれていたことの裏返しでもあった。,軍縮時代に軍当局は冷遇されている軍隊の必要性を訴え、対応に苦慮していた。,軍縮時代は軍服を着ているのさえ憚(はばか)られる時代時代だった。,ところが第八師団のお膝元である弘前市は、まだ軍縮時代の名残が強い満州事変以前の時期でも、郷土軍を誇りに
通史編4(近・現代1) (歩兵第三一連隊の移転問題)

だが編制替えなどもあり、軍縮時代にはその関係が逆になっていた。,第八師団のある弘前市に一連隊を置き、岩手県にも同県出身者で構成される一連隊を配置することは、合理的な軍縮路線,軍縮のあおりを受けて五二連隊が解散すれば、三一連隊が五二連隊の兵舎に移り、青森市にある五連隊が三一連隊兵舎
通史編4(近・現代1) (連隊区の廃止)

だが軍縮政策によって五二連隊が解散した同年、弘前連隊区が廃止され青森連隊区に統合された。,この動きは全国的なものであり、軍縮政策の結果、一県一連隊区制となり、行政機構的にも事務的な便宜をもつことになった,大正十四年十月十五日、弘前市長石郷岡文吉は、軍縮を実施した宇垣陸相宛に請願書を提出した。
通史編5(近・現代2) (歩兵第三一連隊移転問題)

雪中行軍のときは五連隊が岩手県民、三一連隊が青森県民で主に構成されていたが、軍縮のあおりから五二連隊が,には青森市に五連隊、弘前市に三一連隊と、二つの連隊があったが、師団司令部の地元弘前市には、五二連隊が軍縮,かつて大正期の軍縮時代にも連隊の廃止や移転問題が起きた際、市民は猛反対運動を起こしている。
通史編4(近・現代1) (帝国在郷軍人会の設立)

だが軍縮の風潮と軍人に対する国民の冷ややかな目もあり、数多くの将兵が就職先に困ったことは想像に難くない,在郷軍人会は予備役・後備役の将兵が加入するため、軍縮で予備役・後備役となった軍人たちが多数入会していた
通史編4(近・現代1) (大戦景気と弘前市)

これは後に軍縮時代を迎えた際に、軍人に対する人々の批判を招く要因にもなったのである。
通史編5(近・現代2) (野村三郎と五・一五事件)

の原因動機について訊問したのに対し、野村は「十七世紀の覇者オランダはスペインと平和条約を結び、功利的軍縮実行
通史編5(近・現代2) (日中戦争の勃発への着手)

もともとこの法律自体は、時の陸軍大臣宇垣一成が行った軍縮政策にちなんで制定されたもので、徴兵令では兵役義務
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