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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍
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通史編4(近・現代1)
(軍都以前の弘前市)
軍都
以前の弘前市 今日、弘前市といえば弘前城や桜など、文化・芸術・観光面で注目されることが多い。,しかし戦前までの弘前市は
軍都
と呼ばれる軍事都市だった。,それでも文化都市と呼ばれることが多い弘前市を、
軍都
弘前と呼ぶのには抵抗を感じるかもしれない。 /
軍都
以前の弘前市
通史編4(近・現代1)
(軍縮と歩兵第五二連隊の廃止)
こうした世界の趨勢は日本にも波及し、
軍都
弘前市にも直接的な影響を及ぼした。 ,山梨・宇垣両軍縮の影響で、大正十四年五月一日、
軍都
弘前にあった歩兵第五二連隊が解散することになった。,
軍都
弘前市には歩兵第三一連隊もあり、同一の市に二つの連隊がある以上、軍縮のあおりは避けられなかった。,
軍都
の市民も、日本だけでなく、世界的な軍縮世論には勝てなかったのである。
通史編5(近・現代2)
(軍事色の払拭)
そのため
軍都
弘前からの脱却をはかるためのさまざまな措置がとられた。,軍事施設の民需活用の過程を見ると、市にある軍事施設がいかに巨大なものであったかがわかり、
軍都
弘前の一側面,現在市内各地にはさまざまな施設があるが、重要な施設の多くは、
軍都
弘前時代の軍事施設のあった跡であることを
通史編5(近・現代2)
(歩兵第三一連隊移転問題)
決して豊かではない財政を自らなげうって
軍都
弘前市を作り出した市にとって、「軍隊ト衛戍地方トハ渾然トシテ,
軍都
弘前の市民にとっては、まさしく危機の到来だったわけである。 ,県庁を青森市にとられた弘前市にとっては、第八師団という
軍都
の繁栄こそが最大の利点だったからである。
通史編4(近・現代1)
(第八師団のシベリア派遣)
郷土師団の派遣、とくに
軍都
弘前を象徴する第八師団の出征ということで、弘前市民の関心は一気に高まった。,戦果の全くなかったシベリア出兵だったが、
軍都
弘前市民をはじめ、県民は軍隊の帰還をねぎらい、歓迎した。
通史編5(近・現代2)
(弘前城内の植物園造営)
弘前城は
軍都
弘前の軍事施設から、学都弘前にふさわしい施設に生まれ変わったわけである(資料近・現代2No
通史編5(近・現代2)
(誘致賛成論)
かつて市は
軍都
として発展し、市内の商工業はその余沢で栄えた。,おおむね自衛隊誘致の賛同者は、
軍都
弘前の夢を再現する感覚で、軍隊組織のもたらす地域社会への経済的効果を
通史編5(近・現代2)
(戦後の世相と観光政策)
戦争の終結により、弘前市は
軍都
の象徴として、政治・産業の基盤だった第八師団を失った。
通史編5(近・現代2)
(弘前大学の誕生と市民の熱意)
弘前大学の誕生と市民の熱意 敗戦により
軍都
としての機能を喪失した弘前市は、戦後弘前大学を誘致し学都としての
通史編4(近・現代1)
(歩兵第三一連隊の移転問題)
多数の将兵とその家族が地元にもたらす経済的効果は、師団と二つの連隊をもつ
軍都
弘前市の場合、尋常ではなかった
通史編5(近・現代2)
(戦時生活の諸側面)
それだけでなく
軍都
弘前の中心部は、なんといっても第八師団のお膝元であり、数多くの軍事施設を抱え、農業耕作地,しかし弘前市周辺では第八師団を抱える
軍都
でありながら、ラジオ中継地がなく放送の音声もよくなかった。
通史編4(近・現代1)
(連隊区の廃止)
軍都
弘前のもう一つの側面が、兵舎無償交付の動きに示されていたことがわかるだろう。
通史編4(近・現代1)
(第一次世界大戦の衝撃)
第八師団を抱える
軍都
弘前市にとって、直接軍隊が出征しなくても、その影響は大きかった。
通史編4(近・現代1)
(藩祖三百年祭)
あたかも日露戦争の勝利で国内が歓喜にあふれ、
軍都
弘前も凱旋将兵を迎えて沸き立っている時であった。
通史編5(近・現代2)
(市域の整備と町村合併)
弘前市は
軍都
弘前として名をはせたが、実際に第八師団司令部が市域に編入されたのは、意外にも昭和期に入ってからなのである
通史編5(近・現代2)
(敗戦直後の弘前市民)
軍都
弘前の残滓(ざんし)といえる現象である。
通史編4(近・現代1)
(日露戦後の商業)
日露戦後の商業 日清戦後から日露戦後期にかけて、弘前市は
軍都
として急速に拡大した。
通史編4(近・現代1)
(師団誘致運動)
ここに
軍都
弘前市は成立を見たのである(ただし、師団司令部自体は、このとき中津軽郡清水村(現弘前市)にあった
通史編4(近・現代1)
(地域と軍隊の密接化)
こうして弘前市は
軍都
としての機能をますます向上させていったのである。
通史編4(近・現代1)
(新聞の発行)
そしていよいよ
軍都
として出発することになった三十年、東海健蔵・木村象一郎らによって弘前新聞社(~昭和十六年十二月二十五日
通史編5(近・現代2)
(戦後復興期の財政)
昭和二十二年(一九四七)予算提案理由において、戦後の弘前市は、戦前の
軍都
としての性格を払拭し、まず、学都
通史編5(近・現代2)
(弘前大学後援会と農学部の新設)
しかし農学部の校舎は旧師団司令部をはじめ、
軍都
弘前時代の軍事施設をそのまま使用したものであり、農場も建物
通史編5(近・現代2)
(鉄道営業の整備)
軍都
弘前そして学都の弘前。その『学都弘前』のピンと来るものは弘前駅の列車通学生の素晴しい事だ。
通史編5(近・現代2)
(郷土部隊の出征)
すでに軍隊と地域の結びつきが強固になっていた弘前市だが、満州事変の勃発と郷土部隊の出征により、
軍都
の市民
通史編5(近・現代2)
(敗戦直後の市政事務)
軍都
だった弘前市には広大な軍事用の敷地がある。これらは戦後の食糧難のため耕作用地として利用された。
通史編2(近世1)
(綱吉政権下における大名課役)
たった(池上彰彦「江戸火消制度の成立と展開」『江戸町人の研究』五 一九七八年 吉川弘文館刊、針谷武志「
軍都
通史編4(近・現代1)
(新編 弘前市史 通史編4(近・現代1) 目次)
………………… 688 通史編5(近・現代2)目次 第四章 戦前・戦中の弘前 第一節
軍都
弘前, 戦時教育の様相 第六節 恐慌・戦時下の社会運動と世相 第五章 戦後の弘前 第一節
軍都
弘前
通史編5(近・現代2)
(新編 弘前市史 通史編5(近・現代2) 目次)
……………………………………………………… viii 第四章 戦前・戦中の弘前 1 第一節
軍都
弘前,戦時体制下の弘前市政 ……………………………………… 276 第五章 戦後の弘前 293 第一節
軍都
弘前,………… 294 一 進駐軍対策 …………………………………………………… 294 二
軍都
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