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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編2(近世1) (津軽信枚の越後転封)

この時点でも、福島正則の津軽転封は判明しているものの、信枚の転封先は決まっていないという状態であった。,一、国替を命じられ、福島正則が津軽へ転封となり、自分は加増されて越後に転封となった。,(政景、正則の津軽転封を知る) 11 (転封先不明) 信枚の転封先不明,金100枚の貸与を悔やむ,17 (越後転封を知るヵ) 信枚の越後転封を知る 津軽信枚へ越後転封指示ヵ 18 領内比内・八森筋の,を知る 福島正則の津軽転封中止 2 福島正則へ津軽転封中止の老中奉書を下す 8. 6 梅津政景 / 津軽信枚の越後転封
通史編2(近世1) (越後加増説)

越後加増説 信枚の越後転封は結局沙汰やみになったが、この騒動の最中に津軽弘前藩にとって一つの重要な点,六月二十一日付けで国元の服部長門・白取瀬兵衛宛てに出した申渡状(同前No.三七二)に記載されていた「越後への加増転封,加増転封先が信州のみの表記であるが、越後国魚沼郡と信州川中島で合わせて一五万石であったものと思われる。
通史編2(近世1) (大名の改易と幕領検地)

綱吉は、「賞罰厳明」といわれるように大名の改易・転封を多く行った。,綱吉政権期の特徴は、先にみた大名の改易・転封に伴って増加した幕領が検地の対象とされている点である(『日本歴史大系
通史編2(近世1) (福島正則の改易)

、石垣を少し壊しただけでそのままにしておいたことを責められ、安芸・備後両国を没収され、陸奥国津軽への転封
通史編2(近世1) (関ヶ原の戦いと奥羽の情勢)

慶長三年に越後から、陸奥国会津・出羽国置賜(おきたま)地方に転封してきた景勝は、秀吉死後の政治的に不穏,同年八月十六日、上杉景勝は家康から米沢三〇万石への減転封(げんてんぽう)を命じられた。,上杉氏の転封が無事に済むかどうかは、その大きな軍事力がそがれていない状況下では予断を許さない形勢だったことから
通史編2(近世1) (ロシアによるエトロフ襲撃事件)

文化四年三月の幕府による松前および西蝦夷地の上知と松前藩の陸奥梁川(やながわ)(現福島県伊達郡梁川町)転封
通史編3(近世2) (藩から県へ)

からの藩領を管轄する弘前・黒石・八戸藩と、盛岡藩の減封に伴って明治二年に成立した七戸藩、同年会津藩の減転封,たとえば斗南藩が転封された二戸・三戸・北郡の表高は三万石とされていたが、実際に来着してみると、実高は六
通史編2(近世1) (津軽家宛ての領知宛行状と領知高の変動)

元和五年は安芸(あき)広島城主福島正則(ふくしままさのり)の改易の命が下り、次いで津軽への転封を幕府から,元和五年七月二日付の、正則の津軽転封停止と、転封先信濃川中島への移転を命ずる幕府年寄衆連署奉書(「東武実録
資料編2(近世編1) (【解説】)

藩境確定交渉、元和五年(一六一九)の福島正則改易(ふくしままさのりかいえき)に伴う福島正則の津軽への転封,(てんぽう)と津軽氏の越後への転封騒動、大熊(おおくま)騒動をはじめとする家中騒動などである。
通史編2(近世1) (本村と新田)

「元和年中御家臣姓名大概」(『津軽史 第八巻』一九七八年 青森県文化財保護協会刊)には、越後転封に際して
通史編2(近世1) (初代為信の動向)

藩境を接する秋田実季は常陸国宍戸(ししど)(現茨城県西茨城郡友部町)へ転封され、代わりに常陸国水戸(現茨城県水戸市
通史編2(近世1) (幕府の蝦夷地政策)

して松前地・蝦夷地全域を直轄地とし、松前藩を陸奥梁川(やながわ)(現福島県伊達郡梁川町)九〇〇〇石に転封
通史編2(近世1) (新編弘前市史 通史編2(近世1) 目次)

 154   一 初代・二代藩政の動向 ………………………………………  154   二 越後への転封問題
資料編2(近世編1) (編年史料 (天正十七年~明暦二年))

●元和五年(一六一九)六月二日、幕府年寄衆、福島正則へ奉書を下し、安芸広島領の没収と津軽への減転封を命,●元和五年(一六一九)六月十一日、秋田久保田城主佐竹義宣、家老梅津憲忠へ書状を下し、津軽信枚の転封先の,●元和五年(一六一九)六月十七日、秋田久保田城主佐竹義宣、家老梅津憲忠へ書状を下し、津軽信枚の越後転封,元和五年(一六一九)六月十八日、秋田久保田城主佐竹義宣、家老梅津憲忠へ書状を下し、津軽信枚の越後への転封,同月二日、津軽信枚の越後転封の中止決まる。
通史編2(近世1) (越後高田領検地の実施)

このうち西尾忠成は、同年三月九日に小諸から遠江横須賀に転封になった(『新訂増補国史大系 徳川実紀』第五篇
資料編3(近世編2) (【解説】)

、享和二年(一八〇二)には東蝦夷地を永久上知、さらに文化四年(一八〇七)には松前藩を陸奥梁川九千石に転封
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