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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編2(近世1) (相馬大作事件)

ながえ)に乗って登城して人々の耳目を驚かせた。,四月に入って、許可なくして轅を用いたのは不束(ふつつか)であるとして信順は逼塞(ひっそく)を命ぜられ、,津軽家では、轅は寧親のときに近衛家から贈られたものであることや、四位になれば束帯のときには轅を用いて差,し支えないものと考えていたと答えたが、文化八年(一八一一)に寧親が轅の使用方を幕府に伺いを立てて不許可,図163.轅の図 目録を見る 精細画像で見る
通史編3(近世2) (一〇代信順の治世)

信順の治世中、津軽弘前藩が最も対外的に面目を失った事件は、文政十年(一八二七)の轅(ながえ)事件であろう,いえなり)は太政大臣に任じられ、世子家慶(いえよし)も従一位に叙せられたが、その勅使を迎えるに当たり信順は轅輿,図40.轅輿(えんよ)の図  文化五年(一八〇八)十二月、表高一〇万石に高直りした当藩では、家格,が高まったとして隠居中の前藩主寧親(やすちか)が幕府に轅の使用許可を求めていたが、まだ了承されていなかった,轅輿の使用を強行した信順は、四月二十五日から閏六月六日まで七〇日間の逼塞処分となり、江戸屋敷の通行は西門
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