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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍
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通史編4(近・現代1)
(農会の設立と農事改良)
農会
の設立と農事改良 津軽地域の農民組織は、官制に頼らない自発的・自立的な団体として発展した特徴を有,するが、全国的には明治三十二年(一八九九)六月の
農会
法の公布によって組織された
農会
が、農政の下請け機関,
農会
は、「興業意見」の前田正名の指導の下に全国の老農を結集させた明治二十七年の第一回全国農事大会の成果,青森県では
農会
法公布以前の同二十六年に青森県
農会
が設立されているが、役所内に事務局が置かれる程度で実質的,ようやく明治三十年代後半に入って、中津軽郡では一六ヵ村全部に
農会
が設置され(「中津軽郡清水村
農会
規則議案 /
農会
の設立と農事改良
通史編4(近・現代1)
(農業団体の発展)
の発展 小農民の組織化に関する産業組合の役割と並んで、農業振興のために不可欠な農事改良・技術指導は
農会
,大正期の
農会
は、政府の支援が強められたこともあり、半官半民的性格を有し、地主の主導のもとに全農業者の利益,たちげ)品評会開催だけの
農会
もあった。,清水村の
農会
は大正三年、村費補助も一七五円と大きく、専任の書記を置いていた。,中津軽郡
農会
の役員名簿」、同No.六三七)。
通史編4(近・現代1)
(凶作と副業の奨励)
これらの要望を踏まえて、
農会
などの指導機関は、米作だけに頼ることは危険として、果樹を含む畑作物も導入すること,木炭製造、寒天、苹果袋作、氷豆腐製造、草履表製造、湯葉製造が冬季間の仕事に最適であると推奨した(青森県
農会
通史編5(近・現代2)
(戦時下のりんご統制)
青果物配給統制規則はより強化され、出荷は生産者出荷を建て前とし、形式的にはりんご出荷方針の決定権は帝国
農会
,・県
農会
・郡出荷統制組合が握ることとなったが、出荷荷造の能力は移出業者が圧倒的に勝っており、実際の集出荷業務,また、時期的に田植えと競合するりんごの袋掛けへの批判が高まったため、
農会
が袋掛け作業の規制に乗り出し、,戦時体制が強まる中で、国家統制の度合いはより強化され、昭和十八年(一九四三)には、
農会
と産業組合が解散合体
通史編4(近・現代1)
(外崎嘉七と島善鄰-りんごの神様と恩人)
、大正天皇の行啓を仰いだほか、青森県のりんご界の功労賞として数々の表彰を受け、緑綬褒章のほか、大日本
農会
,から緑白綬有功賞、県
農会
より彰功銀賞を授与された。,斯くして耕作経費を半減す」『青森県
農会
報』第一四九号)。
通史編5(近・現代2)
(りんご栽培の進展)
花腐病試験地の土地は外崎嘉七の向陽園内の一町歩が充てられ、庁舎建設費用五〇〇〇円は中津軽郡
農会
が募金して,選果品評会は、その後各郡
農会
主催で毎年開催され、技術の普及に貢献した。
通史編5(近・現代2)
(りんご復興と澁川伝次郎)
りんご復興と澁川伝次郎 戦時中に産業組合と
農会
が統合され、農業会が設立されたが、以後農業団体として認知
通史編5(近・現代2)
(昭和初期の恐慌と冷害凶作)
の写真や家族の困窮のための「婦女子の身売り」の悲話は、東北農村に国民の関心を集めることになった(帝国
農会
通史編5(近・現代2)
(経済更生運動と計画)
各町村においても町村長を委員長とする経済更生委員会が組織され、これに役場、
農会
、産業組合、学校、婦人会
通史編5(近・現代2)
(軍人遺家族の援護対策)
市町村当局や
農会
、産業組合、漁業組合などの団体に授産設備を作らせ、遺家族に無償貸付けさせる事業で、仕事内容
通史編5(近・現代2)
(供出と配給)
割当数量は昭和十七年十一月三十日の時点で、市に対し一樽三〇キログラムで、統制出荷組合や
農会
、産業組合などで
通史編5(近・現代2)
(戦時生活の諸側面)
県
農会
や翼賛会県支部の後援を得て、県知事を委員長とする委員会を設け、県民からりんごの和名を募集している
通史編4(近・現代1)
(地主制の確立と在村地主の役割)
青森県
農会
が明治四十年(一九〇七)から同四十一年にかけて清水村(大字富田、紙漉町、小沢、坂元、悪戸、下湯口
通史編4(近・現代1)
(明治二十年度予算審議)
藤田葡萄園は大打撃を受けたが、明治二十二年に復活、大日本
農会
の品評会で優等し、全国に名を知られた。
通史編4(近・現代1)
(りんご生産の展開と農業振興)
高率配当を出していた敬業社(けいぎょうしゃ)(現藤崎町、明治十八年開業)や興農社(こうのうしゃ)(後に興
農会
社
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