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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編4(近・現代1) (陸羯南の手紙)

品川は笹森儀助らが農牧社を始めるとき、時勢に遅れがちな弘前の士族授産事業を親身に物心両面にわたって世話,は明治十二年十月、中津軽郡長だったが、菊池九郎、長尾介一郎らと函館の物産会社や七重の試験場を見学して農牧社,笹森は、十二年から十四年にかけて、農牧社創立のため県の勧業課と密に連絡をとって往来し、また、十三年六月,農牧社はこの後品川農商務大輔と深くかかわり、政府の助成を受けて事業を発展させる。  ,しかし、笹森自身の気持ちでは「なるべく、かれこれの小児輩と争いたくなし」、今は農牧社の事に専念したいと
通史編4(近・現代1) (士族授産事業の成立と展開)

このほか、牧畜、開墾、樹林を目的とする士族授産結社に農牧社があった。,農牧社が開かれた常盤野の地は、藩政時代に創設された馬牧場の所在地であって、良馬を産してきたが、天保年間,場所の決定に当たっては、山田県令らが巡視している(『農牧社沿革記事』弘前市役所所蔵)。,農牧社の組織は、社長大道寺繁禎、副社長笹森儀助、牧佃掛中畑清八郎、会計掛芹川高正、監督長尾介一郎、菊池九郎,開業後の農牧社には、農商務省農務局長の田中芳男らが来場して視察するなど、中央政府から援助を受け、また、
通史編4(近・現代1) (若き日の笹森儀助)

明治十四年に郡長を辞して、弘前士族救済のため岩木山麓に農牧社(のうぼくしゃ)を開業、以後一〇年間寝食を
通史編4(近・現代1) (知事辞職勧告)

廃卒金一件ノ如キモ官吏カ仕用セシニアラス、其責同胞ノ長尾義連小山内鉄弥等ニ関スル地方人ノ恥ルトコロ、又農牧社払下地一件
通史編4(近・現代1) (米作奨励と栽培管理)

この中で、農牧社などの西欧式の大規模牧場は順調には発展しなかったが、明治政府の勧農政策が積極的に受け止
通史編4(近・現代1) (騒動の発端)

士族授産事業の農牧社を笹森儀助らと創立、監督となった長尾介一郎はこのとき四十二歳、谷量舎で牛乳販売も行
通史編4(近・現代1) (外崎嘉七と島善鄰-りんごの神様と恩人)

明治十五年(一八八二)、弘前本町にあった農牧社の事務所に懇願して、常盤野の農場で牧夫として働かせてもらうようになり,東京で牛乳店を営業するなど、農牧社での八年間は、嘉七の「難行苦行を積んだ奮闘時代」であった。
通史編4(近・現代1) (不平の源流)

 また、笹森儀助も陸羯南に、弘前紛紜事件について「小児輩と争いたくなし」、岩木山麓に新しく興した農牧社
通史編4(近・現代1) ([付図])

国会開設建言書」〈明治13年〉 7 弘前事件~本多庸一の弁明書〈明治15年〉 8 士族授産の農牧社設立
通史編4(近・現代1) (笹森修一、修二兄弟と社会主義研究団体)

そのころ、儀助は、士族授産の「農牧社」の社長として活躍していた。
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