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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍
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通史編2(近世1)
(近世の十三湊)
十三湊の再建もしくは再興が、領主権力が上方から連れてきた城下特権商人によってなされたという(長谷川成一『
近世国家
通史編2(近世1)
(一 検地・人質徴収・城破(わ)り・刀狩り)
秀吉は、奥州にまで到達すれば日本の支配は完了するというように認識していたということになる(長谷川成一『
近世国家
通史編2(近世1)
(三 鷹献上と鷹保護)
コンタクトをとるための、重要な媒介行為であったことはすでに明らかにされてきたところである(長谷川成一『
近世国家
通史編2(近世1)
(津軽領内のアイヌ民族)
現在の北海道地方を除き、
近世国家
においてアイヌ民族の居住が確認されるのは、津軽領の津軽・夏泊両半島、そして,その点からすれば、北奥地域は、
近世国家
の中でも、異なった民族が共存していた特異な地域である(森田稔・長谷川成一編
通史編3(近世2)
(藩政前期為信)
一五九〇)に豊臣秀吉から領地を安堵され、戦国大名としての地位を築いたことによってなった(長谷川成一『
近世国家
通史編2(近世1)
(堀越城への移転)
が設けられ、激しい攻防が繰り広げられていた(以下、資料古代・中世第四節「堀越城」、および長谷川成一『
近世国家
通史編2(近世1)
(寛文蝦夷蜂起と津軽弘前藩)
ったり、また情報収集を行うなど、密接にかかわっていることが、明らかにされている(菊池前掲書、長谷川前掲『
近世国家
,津軽弘前藩の役割は、軍役の遂行と、蝦夷地の動向を調査し幕府にその情報を提供することであった(長谷川前掲『
近世国家
通史編2(近世1)
(知行安堵)
領域も定まることになり、諸大名の領域の確定化を促進したという意味を持っているといえよう(長谷川成一『
近世国家
通史編2(近世1)
(烏帽子山紛争)
慶長年間以降発生している(福井敏隆「元和・寛永期津軽藩の家臣団について」『弘前大学国史研究』八四、長谷川成一『
近世国家
通史編2(近世1)
(津軽家宛ての領知宛行状と領知高の変動)
・判物に記載される石高の変化及び領知の移動についてである(津軽家の領知高変動については、長谷川成一『
近世国家
,領知に太閤蔵入地が編入され、そのことによって津軽領四万五〇〇〇石が確定したと考えられる(長谷川前掲『
近世国家
通史編2(近世1)
(掲載図版・写真の典拠・所蔵一覧)
弘前市立図書館蔵一般郷土資料 210 北海道庁『新撰北海道史』第2巻 平成12年復刻 清文堂刊 表1 長谷川成一『
近世国家
,と東北大名』117頁 平成10年 吉川弘文館刊 表2 長谷川成一『
近世国家
と東北大名』119頁 平成10
通史編2(近世1)
(太閤蔵入地の設定)
渡辺信夫「南部・津軽藩と若狭海運」福井県立図書館他編『日本海海運史の研究』一九六七年、および、長谷川前掲『
近世国家
通史編2(近世1)
(「出頭人」の台頭)
主君の意にかない、そのもとで権勢を振るう人々を指していう言葉である(高木昭作『日本
近世国家
史の研究』一九九
通史編2(近世1)
(伏見作事板の運上と太閤蔵入地)
)は、伏見指月城・木幡山城の築城に必要な伏見作事板の廻漕費用調達に必要なため設定された(長谷川成一『
近世国家
通史編2(近世1)
(北奥羽の領知確定)
津軽氏の場合、約三万石の領知を認められ、ほかに約一万五〇〇〇石の太閤蔵入地の管理を任された(長谷川成一『
近世国家
通史編2(近世1)
(豊臣再仕置軍の奥州下向)
に編成され、中世のような自己の判断に基づく軍事行動を一切否定されることになったのである(長谷川成一『
近世国家
通史編2(近世1)
(奥羽大名の名護屋参陣)
津軽氏の場合一五〇人の兵が書き上げられ、さらに『天正記』には「津軽右京介 五十人」とある(長谷川成一『
近世国家
通史編2(近世1)
(津軽信枚の越後転封)
家臣団について―『大日本古記録 梅津政景日記』の分析を通して―」『弘前大学国史研究』八四、長谷川成一『
近世国家
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