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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍
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通史編3(近世2)
(幕末期近衛家との関係)
近衛家は五摂家筆頭で、津軽家の先祖藤原政信が
近衛尚通
(ひさみち)の猶子(ゆうし)(養子)となったのを契機,その時は九代寧親(やすちか)が、政信は
近衛尚通
の猶子ではなく庶子であると改めて回答し、後日近衛家にも届
通史編3(近世2)
(草創期三代)
草創期三代 藩祖津軽為信は十代のころ、
近衛尚通
(ひさみち)(関白、名は前久(さきひさ)、龍山と号す)
通史編2(近世1)
(津軽家の自己認識確立への試み)
して近衛家の当主で前関白近衛信尋は、津軽家の系図が近衛前久の筆によること、そして津軽家の祖大浦政信が
近衛尚通
,津軽家では為信の代から「津軽」姓を称したもので、それ以前は代々金沢・大浦を称したこと、そして政信が
近衛尚通
通史編2(近世1)
(「津軽一統志」以降の修史事業)
秀栄の後裔は、南部家からの養子が入ったが、しかし母方には血脈が続いていて、
近衛尚通
が津軽に下向した折に
通史編2(近世1)
(信義の襲封)
前関白近衛信尋(のぶひろ)の書状によって、津軽系図の筆跡は近衛前久(さきひさ)の手であること、政信は
近衛尚通
通史編2(近世1)
(公家との関係)
である近衛信尋(のぶひろ)から、系図が「龍山」すなわち近衛前久(さきひさ)の筆跡であり、祖先の政信は
近衛尚通
資料編1(古代・中世編)
([十五世紀])
●明応六年(一四九七)、南部光信の女阿久、
近衛尚通
に近侍するという。
資料編1(古代・中世編)
([十六世紀])
●永正十六年(一五一九)四月七日、本満寺僧某、蝦夷島へ渡り、土産として昆布・夷筵を前関白
近衛尚通
に進上
資料編2(近世編1)
(編年史料 (天正十七年~明暦二年))
)四月二十六日、前関白近衛信尋、津軽信吉へ書状を下し、津軽系図の筆跡は近衛前久の筆跡なること、政信は
近衛尚通
資料編1(古代・中世編)
(第一章 綱文・史料一覧)
………………………… 新羅之記録 275 ●明応六年(一四九七)、南部光信の女阿久、
近衛尚通
に近侍するという,深浦円覚寺棟礼 282 ●永正十六年(一五一九)四月七日、本満寺僧某、蝦夷島へ渡り、土産として昆布・夷筵を前関白
近衛尚通
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