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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編2(近世1) ([口絵])

北蝦夷地陣屋着之図(「忍ぶ草」より) 口絵16 川原岱村古風之図 口絵17 岩木山之図 近衛忠熈讃, 三上仙年筆 口絵18 近衛忠熈筆 津軽家系図添状
通史編3(近世2) (大政奉還時の状況)

慶応元年七月に西舘は近衛忠熈(ただひろ)に召し出され、同家から五ヵ年にわたり五〇〇両の助成金の拝借を許,次に「雑事日記」に西舘の名前がみえるのは慶応二年(一八六六)十二月であるが、この時には承昭と近衛忠熈の
通史編3(近世2) (一一代順承の治世)

困り果てた順承と家老大道寺族之助(やからのすけ)ら重臣は津軽家が宗家と仰ぐ近衛家に事態打開を求め、近衛忠熈,しかし、津軽家が近衛忠熈に宛てた書状によると、七月上旬に承祜は風邪をひいて熱を出し、食事がとれない内に
通史編3(近世2) (野辺地戦争の開始)

一つが近衛忠熈・忠房宛て(同前No.五四五)であり、もう一つが、熊本藩主細川韶邦(よしくに)へ宛てたもの
通史編3(近世2) (幕末の政情と近衛警備)

近衛忠熈は安政四年(一八五七)正月に左大臣に就任し、翌五年には内覧(ないらん)(天皇がみる前に公文書を,このため、元治元年(一八六四)七月に勃発した禁門(きんもん)の変に際しても、五十嵐所吉隊は近衛忠熈を守衛
通史編3(近世2) (一二代承昭の襲封)

近衛家の当主近衛忠熈(ただひろ)は姻戚関係にあった細川家に相談したところ、寛五郎が年頃であろうとの返答
通史編3(近世2) (藩論の統一)

さらに西舘は、津軽家が宗家と仰ぐ近衛忠熈(このえただひろ)・忠房(ただふさ)父子からの、勤皇に励み、家名
資料編3(近世編2) (【解説】)

そうした混乱の中、七月十一日に京都留守居西館平馬が弘前藩が宗家と仰ぐ近衛忠熈(ただひろ)・忠房(ただふさ
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