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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編4(近・現代1) (遊廓と小学校)

遊廓と小学校 明治三十年(一八九七)十月二日の和徳小学校日誌に「学校長出校、去月県令ヲ以テ遊廓地ヲ北横町及,速カニ変更ニ尽力アリタキ事ヲ申述べ十一時帰校ス」とあるが、これは弘前市はもちろん、県下に論議を呼んだ遊廓地指定,移営し、その後、砲兵、騎兵、工兵、輜重(しちょう)兵と続々軍隊がやってきたが、兵隊慰安のため、新しく遊廓地,三十年九月二十八日、県令第四〇号として新遊廓地が一方的に指定されると、学校職員はもちろん父兄、学区民、,その上、知事は警察力を使って遊廓地指定に反対する運動を弾圧した。   / 遊廓と小学校
通史編3(近世2) (公娼と私娼)

図17.諸国遊所見立角力并ニ直段附  青森の遊廓は元禄十五年(一七〇二)にはすでに存在していたことが,遊廓は元禄以前には浜町(はままち)にあったといわれ、元禄十六年(一七〇三)の「鰺ヶ沢絵図」には「新地町,(しんちまち)」という町名になっていないが「新地」とあり、遊廓として開かれたという(『鰺ヶ沢町史』第二巻,そのため、この湊はしだいに衰退の道をたどったが、遊廓などがありにぎわったと推定される。
通史編5(近・現代2) (盆踊り)

明治七、八年ころには下土手町の橋のたもとで踊ったが、十年以後は大円寺、土場(どば)の町遊廓、新楮町、住吉神社,、橡(とち)ノ木(き)辻の上で踊り、大正時代は大円寺、住吉神社、招魂社、誓願寺、寿町・北横町の遊廓で踊
通史編3(近世2) (城下の隠売女)

遊廓の設置については、藩が正式にそれを承認したのではなく、富田町からの要望もあり、また下層町人および貧農,そのため町並・店構えなどが遊廓としての雰囲気をかもし出すようなものではなく、外観は旅人の休憩所としての
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