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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編2(近世1) (東蝦夷地直轄下の勤番体制)

また、文化元年から同三年までは、シツカリ(現北海道山越郡長万部町)からレブンゲ間の新道普請が命じられており,は同様であり、エトロフ三〇人・箱館五七人・サワラ六〇人と、そのほかに前述したシツカリ~レブンゲ間の新道普請,同二年はエトロフ八〇人・箱館五七人・サワラ六〇人、シツカリ~レブンゲ間の新道普請六五人、同三年はエトロフ,八〇人・箱館五七人・サワラ五五人、シツカリ~レブンゲ間の新道普請六七人となっている。
通史編2(近世1) (一里塚)

に着手したと思われ(「篤焉家訓(とくえんかくん)」)、一方、秋田藩の場合も同年七月に弘前藩との境界の道普請
通史編2(近世1) (参勤交代路と街道の状況)

一方、松並木については、「国日記」天和二年(一六八二)三月十五日条に、弘前の土手町から碇ヶ関までの道普請
通史編3(近世2) (醍醐忠敬の弘前転陣)

到着当日は藩主が出迎え、在陣中は、道普請や飾り付けに至るまで、また、醍醐一行の動向や警衛に細心の注意が
通史編2(近世1) (負担の増大による民衆の困窮)

蝦夷地支配体制の整備を図ろうとしたからであり、文化元年(一八〇四)~同三年までのシツカリ~レブンゲ間の新道普請
通史編3(近世2) (町役負担と御用金)

江戸時代前期には表4からわかるように、家持ち町人には城下の道普請などに使役される町人足の負担が税として
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