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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編2(近世1) (一里塚)

しかし「道程帳」ではこの他に、百沢(ひゃくざわ)街道にも一里山(一里塚)のあったことが記されている。,このため、「道程帳」と「道程之図」では、一里塚の位置に微妙な差が生じている。,一里(一里塚)は藤崎村外(はず)れの毘沙門堂(びしゃもんどう)境内にある旨の記載と朱色の印があるが、「道程帳,元禄~宝永期の「国日記」には一里杭(くい)を建てたことも報告されており、「道程帳」にみえる一里山、「道程之図
通史編2(近世1) (陸上交通網の整備)

これと類似したものに承応(じょうおう)二年(一六五三)十一月成立の「津軽領道程帳」(弘図古、以下「道程帳,また大道小道帳は領内の主要道路を、大道筋・小道・脇道・磯辺路に分けているのに対し、道程帳は大道筋・脇道,磯辺道として鰺ヶ沢~十三~竜飛(たっぴ)~三厩(みんまや)~蓬田~油川が一本の道として扱われているが、道程帳,小泊間は十三街道、油川~蓬田~三厩間は蝦夷地へ渡る奥州街道の延長部(松前街道)として考えられるので、道程帳
通史編2(近世1) (参勤交代路と街道の状況)

図84.御国中道程之図の西浜街道の御境明神  街道の道幅についてみると、「道程帳」の大道筋は、矢立峠
通史編2(近世1) (十三小廻しの成立と町の盛衰)

承応二年(一六五三)の「津軽領道程帳」(弘図古)の十三湊の項にも、同じようなことが記されているが、特に
資料編2(近世編1) (編年史料 (天正十七年~明暦二年))

●承応二年(一六五三)十一月十六日、津軽領道程帳、加賀国の写本を基に作成され、この日、完成する。
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