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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍
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通史編2(近世1)
(本村と新田)
津軽野村は天文十五年(一五四六)に成立したという『津軽
郡中
名字(つがるぐんちゅうなあざ)』(資料古代・,また、『津軽
郡中
名字』にも「船水」として地名がみえ、古い村であった可能性が高い。,折笠(おりかさ)村も『津軽
郡中
名字』に「縫笠(ヲリカサ)」として地名がみえている。,『津軽
郡中
名字』にも「尻引(シリヒキ)」と「三世寺」の地名がみえてる。,篠森(ささもり)村は『津軽
郡中
名字』に「篠森」として地名がみえており、為信の津軽統一時に協力した垣上(
通史編1(古代・中世)
(小松柵の戦い)
小松柵の戦い この年八月中旬、玉造郡を発した官軍は松山の道を経由して磐井
郡中
山の大風沢(おおかぜさわ
通史編2(近世1)
(本村と新田)
『津軽
郡中
名字』には「圓(マリノ)澤」とすでに地名がみえているが、「津軽知行高之帳」には村名はみえず、,『津軽
郡中
名字』にも「吹浦(フカウラ) 近代深浦ト書ク」とみえており、深浦が古くから湊として存在していたことを,『津軽
郡中
名字』にも「柏木町」はみえており、古くからの村であった可能性が高いので、この時新たに派立されたものとは
資料編1(古代・中世編)
(五 東目屋地区の中世城館の特徴)
にも、「公御威勢盛ニ相成、目屋澤・国吉・相馬・五所・湯口・獨狐・宮館等、諸方の小館不残御家臣ニ相成、御
郡中
一円平均,中世後期、東目屋盆地の入口一帯が「目屋ノ澤」と呼ばれていたらしいことから(「津軽
郡中
名字」)、この「目屋澤館
通史編2(近世1)
(津軽領内のアイヌ民族)
津軽弘前藩が江戸幕府の命令によって提出した「正保国絵図」の下図を貞享二年(一六八五)三月に写した「陸奥国津軽
郡中
絵図,「陸奥国津軽
郡中
絵図」津軽半島の犾村 表17 津軽領内のアイヌ 村 名 軒数(軒) うた村
通史編2(近世1)
(大問屋制の導入)
彼らは「御
郡中
惣問屋家業御締」という肩書きで、領内のすべての問屋を統括する役目を担わされた。
通史編5(近・現代2)
(第九回夏季オリンピック・アムステルダム大会出場・井沼清七)
井沼清七は明治四十年(一九〇七)に、北津軽
郡中
里町(現中泊町)に生まれた。
資料編1(考古編)
(第4節 弘前地域内の地質系統の放射年代一覧表)
北
郡中
里町内潟沼 牛島ほか (1962) 内潟沼Ⅳ-1号井の深度-27.1~-27.4mの泥炭 十三湖層,北
郡中
里町芦野 牛島ほか (1962) 芦野T-1号井の深度-39.0mの泥炭 Gak-222 古懸浮石流凝灰岩
通史編2(近世1)
(三戸南部氏の津軽進出と大浦築城)
天文十五年(一五四六)に浪岡御所北畠(なみおかごしょきたばたけ)氏が作成したといわれる「津軽
郡中
名字(
通史編2(近世1)
(弘前八幡宮の祈祷)
郡中
社人(ぐんちゅうしゃにん)と諸社支配を管掌し、弘前鎮護の神社として尊崇された。
通史編1(古代・中世)
(中世の農民)
表7「津軽(郡)中名字」にみられる当市域の地名一覧表 郡
郡中
名字地名 現地名 平賀郡 大仏鼻 石川
通史編2(近世1)
(九戸一揆の始まり)
が九戸政実や櫛引清長ら国人衆の宗家に対する「逆心(ぎゃくしん)」だけで引き起こされたのではなく、糠部
郡中
資料編1(古代・中世編)
(二 大浦城の歴史)
この間、大浦氏は「大浦屋形」と称され、津軽の大名の一人として勢力を振るったが(「津軽
郡中
名字」)、その
通史編2(近世1)
(九戸一揆の背景)
ぬかのぶぐん)は、三戸南部氏を中心とした九戸氏・櫛引(くしひき)氏・一戸氏・七戸氏ら南部一族による連合である「
郡中
通史編3(近世2)
(藩営紙漉座と蘭医星弘道)
万延元年(一八六〇)四月、藩では薄市(うすいち)山(現北津軽
郡中
里町)四〇数町歩余を開発して楮仕立てをすることになった
通史編2(近世1)
(漆の栽培奨励)
十七世紀後半の貞享検地帳では領内の漆の総数は三二万七〇〇〇本であるのに対し、文化二年(一八〇五)の「御
郡中
漆之覚
通史編1(自然・原始)
(昭和時代)
このころ本県では、飯詰(いいづめ)村(現五所川原市)や内潟(うちがた)村(現北津軽
郡中
里町)の各村長を,が、亀ヶ岡遺跡の泥炭層出土遺物について『古代文化』誌上に紹介すると(61)、七月には白崎高保が北津軽
郡中
里
通史編4(近・現代1)
(弘前市経済改善への提言)
善悪共ニ弘前町ノ風儀ヲ模範トスルハ論ヲ竢(ま)タス、然ニ其亀鑑トナルヘキ弘前町不開化ニテハ、何レノ時カ
郡中
一般開明,ニ赴クコトヲ得ンヤ、依テ弘前町ヲ第一ニ開明可致方法ヲ設ル時ハ、漸次進歩ニ随ヒ、五
郡中
ヘ波及シ、知ラス識
通史編1(古代・中世)
(文献史料から見た戦国動乱の激化)
結果的には南部氏側の勝利に帰し、鹿角
郡中
を確保したことなどが記録(史料九五二)として残されている。
資料編1(古代・中世編)
(六 板碑の調査・研究史)
古碑考』『津軽郡古碑名申出図書写』『撞鐘古碑石調之覚』『古石碑之銘』(以上弘前市立図書館蔵)、『津軽
郡中
古碑図考
通史編3(近世2)
(諸家業と職人)
藩内にある鉄山は小国鉄山(現東津軽郡蟹田町)、今泉鉄山(現北津軽
郡中
里町)、石川鉄山(現弘前市)が知られている
通史編2(近世1)
(掲載図版・写真の典拠・所蔵一覧)
越後高田領御検地御用之事由来候儀併御人数役付仰候覚 弘前市立図書館蔵津軽古図書保存会文庫 91 弘前市立図書館蔵津軽古図書保存会文庫 92 御
郡中
絵図
資料編1(古代・中世編)
([十六世紀])
●天文十五年(一五四六)、浪岡御所北畠氏、「津軽
郡中
名字」を編纂するという。
通史編1(自然・原始)
(発掘調査の成果)
遺跡整備に関する調査では、北津軽
郡中
里町亀山の中里城跡(一九八八年より継続中、十~十一世紀=平安時代、
資料編3(近世編2)
(【解説】)
郡中
の問屋を彼らの指揮下に置き、領内の流通を取り仕切らせるもので、諸湊・三関所の出入り荷物についても把握
資料編1(古代・中世編)
(第一章 綱文・史料一覧)
… 前代歴譜津軽古今雑記類纂・津軽
郡中
名字・館越日記 222 ●応安七年(一三七四・明洪武七)、明洪武帝,… 新羅之記録・松前家記・八戸湊文書 289 ●天文十五年(一五四六)、浪岡御所北畠氏、「津軽
郡中
名字,……………………… 津軽
郡中
名字 290 ●天文十六年(一五四七)十二月九日、石山本願寺証如上人の斎相伴衆
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