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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編4(近・現代1) (道路改修問題と佐和知事)

清水村富田樹木派立 輜重営 騎兵第八聯隊兵営 第八師団司令部 弘前市富田町、堀越村取上 騎兵営 郡道 中津軽郡役所,弘前市土手町 弘前市山道町、清水村富田 中津軽郡役所 停車場道 弘前停車場 弘前市元寺町 山下町、坂本町,国幣社道 弘前市元寺町 馬屋町、駒越村、大浦村、岩木村五代 岩木村五代  当時、工事費は、兵営道や郡役所道
通史編4(近・現代1) (開業時の状況)

として独占していたが、第五十九国立銀行は開業前から県下各大区長へ依頼していたため、十一年十二月には中津軽郡役所,、翌十二年六月には東津軽郡・西津軽郡役所の収税金の取扱いが許可されることになった。
通史編4(近・現代1) (郡区町村編制法への移行)

郡には官選の郡長・郡役所が置かれた。郡からは県会議員三人が選挙された。,投票の仕方は、郡長が投票用紙をあらかじめ選挙人へ三枚配付し、選挙人は郡役所作成の被選挙人名簿の中から三人
通史編5(近・現代2) (市域の整備と町村合併)

これは大正十年(一九二一)四月公布の郡制廃止法と、それに伴う郡役所の廃止に端を発している。,この合併問題が解決機運を見せたのは、郡役所の廃止と郡制の廃止であり、昭和初期の金融恐慌がもたらした財政難
通史編4(近・現代1) (知事辞職勧告)

知事辞職勧告 九月五日、中津軽郡役所は郡長以下吏員が辞職の決意を固め、戸長らも同調の方針を決定した。
通史編4(近・現代1) (青年訓練所の設置)

弘前市では六月に市長の交代(石郷岡文吉から松下賢之進)があり、また郡役所の廃止(六月三十日)などのため
通史編4(近・現代1) (勧業諸会の展開)

化育社は明治十七年(一八八四)に中津軽郡農談会と改称、中津軽郡役所楼上を借りて、月一回の集会を行い、会員相互
通史編4(近・現代1) (戸長の配置)

浜ノ町                          石郷岡平次郎  また、明治十四年の中津軽郡役所資料
通史編4(近・現代1) (日清戦争終了後の民情)

戦死者の葬儀に莫大な金員を投じる傾向に対しても、家族救護の費用に転用するよう郡役所を通じて通達している,事実、上北郡役所などは管下町村当局に対し、出征軍人の家族補助を調査しており、同様の調査は他地方ないし他府県
通史編4(近・現代1) (市会と市役所開庁)

ここは、旧東長町外廿二ヶ町戸長役場の建物を買収したもので、翌年元寺町一番地の中津軽郡役所跡に移った。
通史編4(近・現代1) (中津軽郡会)

郡制は大正十二年四月一日廃止され、十四年郡役所も廃止され、郡は地理的呼称となった。  
通史編4(近・現代1) (弘前市経済改善への提言)

次いで提言は、郡役所の合併、すなわち郡の統合を望んでいる。その内容は次のとおりである。,北郡ノ内ヲ若干村ヲ併セ、中津軽郡ヘ南津軽郡ヲ併セ、北津軽郡ヘ西津軽郡ヲ併セ、三戸郡ノ内若干村ヲ併セテ、郡役所,中等以上ノ人民ノ是迄収メシ処ノ幾分カ減少シタルモノヲ積立テ、之ヲ以テ細民ヲ匡救スヘキモノトスヘキナリ、因テ郡役所合併,トモ、人民協議ノ上ニテ賦課スルトキハ、納期ニ臨ミ未納者モ鮮シトセス、因テ町会ヲ開キ、該規則ヲ編集シ、郡役所
通史編4(近・現代1) (郡制の施行)

結局、郡制は大正十年(一九二二)まで、郡役所は同十五年まで存続した。
通史編4(近・現代1) (ロシア人捕虜と弘前捕虜収容所)

三月二十五日に東津軽郡役所が各村長宛に出した通達によると、捕虜に対して用意周到に準備し、村民が捕虜に乱暴
通史編4(近・現代1) (後藤象二郎の青森県遊説)

となり、のち衆議院議員となり、憲政会・民政党の県下の指導者となり、西村も村会議員、郡会議員となり、天内も郡役所吏員
通史編4(近・現代1) (地方の政争激化)

警察と郡役所は係官を派遣して警戒したが、偽造投票用紙は混ぜ合わされ、投票者数より一五票多かった。
通史編4(近・現代1) (鍋島知事の対応)

姑息ニ陥イラヌ様ニセヨ、故ニ今直ニ車ヲ雇フテ郡長ノ門ヲ敲キ早ク計画ヲナスヘシ、モシ遅疑スル寸(とき)ハ郡役所
通史編4(近・現代1) (市制・町村制の公布)

鍋島県政は学区の問題、水利の問題、富裕村と寒村の問題、財産区の問題など、紛争が起きそうな問題を郡役所などと
通史編4(近・現代1) (事件の波紋)

65 『東京電報』 (明治21年8月18日付)  しかし、事はエスカレートし、九月五日の中津軽郡役所吏員大量辞職
通史編4(近・現代1) (県内遊説)

彼は東津軽郡役所書記の職を大切にしていたが、第一回衆議院選挙を前にして明治二十年、決然として職を退き、
通史編5(近・現代2) ([口絵])

†懐かしの建物† 口絵45 旧弘前市役所庁舎 口絵46 旧市立弘前図書館(元中津軽郡役所建物
通史編4(近・現代1) (弘前の紛紜の裏面)

事件が山田県令と大道寺・笹森との政治理念の食い違いに始まり、次いで中津軽郡役所一部吏員の反共同会運動、
通史編4(近・現代1) (日清戦争と郷土部隊の出征)

そのため郡役所などが町村宛に義勇団の組織を辞めさせるよう督促していた。  
通史編4(近・現代1) (弘前地方米穀商組合の活動)

訓示第二十一号      津軽五郡役所              弘前市役所              
通史編4(近・現代1) (市制の施行)

戸  同 三万五三一〇人 なお、市庁舎は、明治二十三年五月十八日元寺町(現市民中央広場)の元中津軽郡役所
通史編4(近・現代1) (運輸事業)

これには、郡役所から補助金が与えられた。十七、八年ごろになると小野貞助(初代和徳村村長。
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