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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編4(近・現代1) (郵便事業)

郵便事業 近代郵便制度は、前島密(ひそか)によって立案されたが、当初、郵便物の運送は飛脚によった。,しかし、政府は郵便事業を官業とすることに決め、明治四年一月に郵便規制を制定、同年五月から東海道地域で郵便事務,これにより郵便事業はすべて政府が行うことになった。  ,同日、弘前にも郵便取扱所が開設され、土手町六二番地(蓬莱橋際)の住居を充て、浅利嘉三郎、馬渡周助が郵便御用取扱人,写真26 明治42年落成の弘前郵便局  また、明治十二年(一八七九)三月二十五日から県下の郵便局 / 郵便事業
通史編4(近・現代1) (通信関係)

通信関係 明治四十年(一九〇七)三月十一日に、青森郵便局と弘前郵便局の間に電話の通話事務取扱が開業した,弘前郵便局の呼出区域は、弘前市、中津軽郡駒越村駒越、同郡清水村常盤坂・紙漉町・富田、同郡小沢村大原、同郡堀越村取上,明治四十二年(一九〇九)五月には九人の弘前郵便局交換手第一号が誕生し、さらに同月二十日には郵便局の新庁舎,大館(二〇銭)、小坂(二〇銭)、浅虫(二五銭)、久栗坂(二〇銭)、野内、油川等にも通じ、また、市内富田郵便局
通史編4(近・現代1) (電信事業)

運輸の近代化は、まず明治二年(一八六九)に電信が開通し(東京・横浜間)、次いで明治四年(一八七一)に郵便,明治十八年には逓信省の創設により工部省は廃止され、電報業務は郵便局が取り扱うようになり、明治二十四年に,弘前電信局は郵便局と合併し、三等の郵便電信局となった。
通史編5(近・現代2) (公労協ストの本県の情況)

青函連絡船も全面欠航、弘前では郵便ストも始まり、集配業務はストップ、二十八日だけで五万通の郵便物が滞った,同局には郵便五万通、小包七〇〇個滞り、二十八日は弘前市内の電信為替や書留の集配、相馬・国吉局への輸送を
通史編4(近・現代1) (第五十九銀行の営業状況)

の習慣を破りて世界利率を準標とするに至り、薄利多費と云う方に傾き、政府にありては、歳入の増加を計り、郵便為替貯金等,また、政府が郵便為替貯金などの制度を設けて銀行業を始めたことで営業が圧迫された。
通史編4(近・現代1) (町並みの推移)

したがって、土地、建物の価格が急激に騰貴して売買も頻繁になり、住む人の異動も絶えなかったので、郵便配達,それから弘前の夜景は、本町・元寺町はこの地目抜の箇所だけに、料理店・旅人宿・銀行・警察署・郵便局・芝居座
通史編1(自然・原始) (中期)

なかでも馬高式火炎土器は、新潟国体における聖火台のモデルになり、また曽利式土器は昭和四十年代の郵便ハガキ
通史編5(近・現代2) (学校建築・公共的建築)

明治三十二年(一八九九)の弘前駅舎、明治三十四年(一九〇一)の市立病院、明治四十二年(一九〇九)の弘前郵便局
通史編5(近・現代2) (台風一九号とりんご被害)

このほかにも、銀行、郵便局などさまざまな団体が援助の手を差し延べ、りんご生産者を勇気づけるかつてない行動
通史編4(近・現代1) (断髪)

『郵便報知』の明治五年の記事に、「秋田ヨリ北ニハ士族一人モ断髪セズ」とあるが、確かに一般の実情を伝えたものであろう,なお、『郵便報知』四七号(明治六年四月)に「青森県下金子某より来書に、当三月十(ママ)七日男子断髪可致
通史編4(近・現代1) ([口絵])

回内国勧業博覧会の売店風景 (明治36年) †建物いろいろ† 口絵14 本町五丁目(左側は弘前郵便局
通史編4(近・現代1) (銀行政策の展開と私立銀行の設立)

貯蓄銀行は、政府の勤倹貯蓄奨励政策からイギリスの郵便貯蓄銀行の制度が導入され、明治八年に駅逓局貯金制度
通史編4(近・現代1) (弘前市政の乱れ)

又辞令書ヲ発スルニ小使ニ持タシテ遣レバ事足ルベキニ其レニテ実行ニ成リ居ルニ事更ラ一通ノ書状ニ三十銭ノ郵便切手
通史編4(近・現代1) (旧藩体制改革への動き)

駅逓掛は、郵便事業を盛んにし、陸運会社の設立を考え、人足運賃の監督などをするのが職務である。  
通史編4(近・現代1) (地券の発行準備)

者不及候事   第七条 一、本庁并各支庁、湊役所等モ惣而台帳江記載之事   第八条 一、陸運会社、郵便所等
通史編5(近・現代2) (郁田流箏曲(いくたりゅうそうきょく))

一人、鷹匠町の道場「明治館」(通史近・現代1第二章第五節第四項「社会教育」参照)の娘、貞子が青森市の郵便局長
通史編4(近・現代1) (明治二十年度予算審議)

現在の新坂は明治三十九年から改良工事を行い、昭和初年鷹匠町郵便局から駒越町へ直線化して主要道路となる)
通史編4(近・現代1) (運輸事業)

四 前車徐行シ後車疾行セントスルトキハ後車ヨリ合図ヲ為シ前車ハ左ニ避ケ後車ハ右ヲ通過スベシ  五 郵便用消防用
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