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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編2(近世1) (負担の増大による民衆の困窮)

既に、藩士土着策の主要な目的の一つである従者確保について触れたところであるが、百姓は郷夫(ごうふ)として,寛政十一年の東蝦夷地仮上知の際に当藩が用意した足軽五〇〇人の大半は町人・職人・郷夫であり、無苗字であることが,不都合であることから、以後職人・郷夫といった名目をやめ、勤番中は足軽として苗字を与えているのは、このことをよく,このような蝦夷地への百姓の動員は、労働力不足となって直接的に農耕に影響を与えるとともに、動員されないまでも郷夫出銭
通史編3(近世2) (捕虜となった庶民)

また、林崎村(現南津軽郡藤崎町)の嘉七(かしち)と一町田村(現中津軽郡岩木町)の松という郷夫(ごうふ),やがて夜が明け、嘉七と松は黒石藩平内領の沼館(ぬまだて)村にたどりつき、自分たちは郷夫だからどうか助けてくれと
通史編3(近世2) (箱館戦争期の兵員補充)

こうして藩は休む間もなく臨戦態勢に追い込まれていくが、長期にわたる出兵で兵は疲弊(ひへい)しきっており、郷夫
通史編3(近世2) (箱館戦争をみた農民)

船中にはアメリカ人と広東人が五、六人と、その通訳がいて大勢の郷夫や人足に指示を出していた。,また、郷夫や人足に駆り出された町民や農民らが、帰郷し青森の様子や箱館の戦況を伝えたことも自然な成り行きであったろう
通史編2(近世1) (土着策と蝦夷地警備)

付けも申し出ている(「松前御用諸書付留」寛政元年七月条 弘図古)ことからも知られるように、蔵百姓を貸郷夫,つまり、軍役規定どおりに従者や武器を用意すべきところを、貸郷夫をもって名目を立て、規定どおりの従者の動員
通史編2(近世1) (一揆の要因と結果)

『記類』文化十年十一月二十五日条には、蝦夷地警備に伴う「公儀方人馬賃銭、松前郷夫出銭」で農村は疲弊し、
通史編3(近世2) (農兵の組織)

役職名 人数 備     考 1 小隊司令士 1 御目見以上の士分より任命,郷夫1名貸し付けられる 2,銃隊農兵 36 弾薬方と小荷駄方に4名を隊中から交番で出すこと 小計 42 5 足軽目付 1 郷夫
通史編2(近世1) (東蝦夷地直轄下の勤番体制)

なお、派遣された足軽のほとんどは、郷夫(ごうふ)として動員された百姓や職人であり、本来の軍団編成ではなかった
通史編3(近世2) (町方の軍事負担)

また、同三月に入って雪が消える季節になると、それまで動員してきた農兵や郷夫(ごうふ)を農作業のために帰村
通史編2(近世1) (土着策廃止後の新田・廃田開発)

その理由は「公儀方人馬賃銭」「松前郷夫出銭」「開発方・地面調方」などによって近年の役負担は三〇年以前と
通史編3(近世2) (軍制への戸惑いと浸透)

また、兵士一人につき郷夫(ごうふ)(徴発された雑用係の農民)が二人も下僕(げぼく)として従軍するなど、
通史編3(近世2) (松前徳広の領内落去)

郷夫等も含めると総勢一万四〇〇〇余りになる。
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