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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍
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資料編3(近世編2)
(●東照宮 本殿 笹森町--重要文化財)
●東照宮 本殿 笹森町--
重要文化財
寛永五年(一六二八)の建立であり、桁行三間梁間三間で入母屋造柿葺,図23 東照宮本殿立面図・平面図 (『
重要文化財
東照宮本殿修理工事報告書』より転載) / ●東照宮 本殿 笹森町--
重要文化財
資料編3(近世編2)
(●最勝院 五重塔 銅屋町--重要文化財)
●最勝院 五重塔 銅屋町--
重要文化財
大円寺六世京海が、津軽統一の過程で戦死した敵味方の者を供養するために,図11 最勝院五重塔平面図 (『
重要文化財
最勝院五重塔保存修理工事報告書』より転載) 図,12 最勝院五重塔立面図・断面図 (『
重要文化財
最勝院五重塔保存修理工事報告書』より転載) / ●最勝院 五重塔 銅屋町--
重要文化財
資料編3(近世編2)
(●熊野奥照神社 本殿 田町四丁目--重要文化財)
●熊野奥照神社 本殿 田町四丁目--
重要文化財
慶長十八年(一六一三)に、津軽二代信枚らによって復興建立,図21 熊野奥照神社立面図・平面図 (『
重要文化財
熊野奥照神社本殿修理工事報告書』より転載) / ●熊野奥照神社 本殿 田町四丁目--
重要文化財
資料編3(近世編2)
(●誓願寺 山門 新町--重要文化財)
●誓願寺 山門 新町--
重要文化財
誓願寺は大光寺村に創立され、弘前城築城の際に現在地へ移されたものと / ●誓願寺 山門 新町--
重要文化財
資料編3(近世編2)
(3 現存する天守・城門等の考察)
図6 弘前城跡 文化財配置図 ○天守--
重要文化財
天守は、津軽二代信枚が当初に築城したときは,図7 弘前城天主 立面図・平面図 (『
重要文化財
弘前城修理工事報告書』より転載) ○隅櫓,--
重要文化財
隅櫓は、現存している以下の三棟とも
重要文化財
に指定されている。 , 城門も、現存する以下の五棟がすべて
重要文化財
に指定されている。 ,図11 二の丸南門 立面図・平面図 (『
重要文化財
弘前城修理工事報告書』より転載) 図12
資料編3(近世編2)
(●岩木山神社 岩木町大字百沢字寺沢)
●岩木山神社 岩木町大字百沢字寺沢 (一)楼門--
重要文化財
下居宮の別当寺であった真言宗寺院の,図24 岩木山神社楼門立面図・平面図 (『
重要文化財
岩木山神社本殿外四棟修理工事報告書』より転載),(二)拝殿--
重要文化財
天正十七年(一五八九)正月の岩木山噴火による火災によって、百澤寺全山,転載) (六)瑞垣--
重要文化財
奥門の両端から本殿を一周している。,(七)中門--
重要文化財
拝殿の前に建つ切妻造栩葺型銅板葺の四脚門である。
資料編3(近世編2)
(●革秀寺 藤代一丁目)
●革秀寺 藤代一丁目 (一)本堂--
重要文化財
建立年代についてはさまざまな伝承があるが、慶長年間,革秀寺本堂立面図 (『県重宝 革秀寺本堂保存修理工事報告書』より転載) (二)津軽為信霊屋--
重要文化財
,図8 津軽為信霊屋平面図・立面図 (『
重要文化財
津軽為信霊屋修理工事報告書』より転載)
資料編3(近世編2)
(●弘前八幡宮 八幡町一丁目)
●弘前八幡宮 八幡町一丁目 (一)唐門--
重要文化財
前後に軒唐破風をつけた入母屋造柿葺屋根の四脚門,図19 弘前八幡宮唐門立面図・平面図 (弘前市教育委員会蔵原図より) (二)本殿--
重要文化財
資料編3(近世編2)
(●長勝寺 西茂森一丁目)
●長勝寺 西茂森一丁目 (一)本堂--
重要文化財
規模が大きく、側廻りには三本溝の窓を配しており,図1 長勝寺本堂平面図・断面図 (二)庫裡--
重要文化財
大浦城の台所として建てられたものをここに,図2 長勝寺庫裡平面図・断面図 (三)三門--
重要文化財
寛永六年(一六二九)に津軽二代信枚,図3 長勝寺三門立面図・平面図 (『
重要文化財
長勝寺三門修理工事報告書』より転載) (四)御影堂,--
重要文化財
津軽初代為信の木彫を安置するために造られた堂である。
資料編1(古代・中世編)
(三 刀剣)
平泉秀一氏 長さ 70.7 元幅 3.4 反り 2.3 先幅 2.4 茎長 17.8 ・
重要文化財
,-銘、成高綾包太刀拵- 弘前市東城北三丁目 那須隆氏 刃長 79.0 反り 3.3 ・
重要文化財
通史編3(近世2)
(町家の遺構)
、近世後期の数少ない商家の遺構として貴重である(草野和夫『青森県の民家』一九七七年 東奥日報社刊、『
重要文化財
石場家住宅保存修理報告書,石場家は、黒石の豪商高橋家(たかはしけ)住宅(現黒石市中町、
重要文化財
)とともに現存する町屋の遺構の双璧
資料編3(近世編2)
(はじめに)
それらのあるものは国の
重要文化財
として、またあるものは県の重宝として指定されており、その保存や管理についてはよく,ここでは、
重要文化財
とか県重宝とかという区別を載せながら、一緒に年代順に書き上げてゆく。
通史編3(近世2)
(四 寺社建築)
年代の区切りは『
重要文化財
目録』により、それぞれの『修理工事報告書』を参考にした。
資料編3(近世編2)
(二 町人の住居)
二 町人の住居 代表的なのは国
重要文化財
の「石場家住宅」であろう。,○石場家住宅 亀甲町--
重要文化財
この家は、代々清兵衛を名乗り、藩内の工芸品や荒物を扱う町屋であった,図35 石場家住宅平面図 (『
重要文化財
石場家住宅保存修理工事報告書』より転載) 図36, 石場家住宅立面図 図37 石場家住宅断面図 (『
重要文化財
石場家住宅保存修理工事報告書
資料編1(古代・中世編)
([口絵])
乳井神社墓地の五輪塔と板碑 (本文562・586~589頁) 長勝寺の嘉元四年銘の銅鐘,
重要文化財
通史編3(近世2)
(江戸時代初期の建築)
『
重要文化財
岩木山神社本殿外(ほんでんほか)四棟修理工事報告書』(一九七八年)によると、社蔵(しゃぞう,二代信枚によって造られたとされているが、これは「慶長・寛永期とみるよりは江戸時代前期とする」という見解(『
重要文化財
通史編1(自然・原始)
([口絵])
(大鰐町三ッ目内) 砂沢遺跡から検出された最北の水田跡 台付浅鉢形土器(
重要文化財
通史編5(近・現代2)
(教会堂建築)
設計は、現在愛知県明治村に保存されている元京都河原町の聖ヨハネ教会堂(明治四十年〔一九〇七〕完成・
重要文化財
資料編1(古代・中世編)
(一 銅鐘)
昭和十六年(一九四一)十一月六日、
重要文化財
に指定された。
通史編3(近世2)
(江戸時代中期の建築)
『
重要文化財
最勝院五重塔(災害復旧)保存修理工事報告書』(一九九五年)によると、その貫は「――解体しない,『
重要文化財
岩木山神社本殿外四棟修理工事報告書』には、「貞享四年(一六八七)が将軍綱吉の四十二歳の厄年
通史編4(近・現代1)
(第五十九銀行の営業状況)
この建物は昭和四十七年、国から
重要文化財
に指定され、現在は青森銀行記念館として保存されている。
通史編1(自然・原始)
(大正時代)
この遺物の中で、六三三点が国の
重要文化財
に指定されている。
通史編3(近世2)
(江戸時代前期の建築)
しており、「構造手法が酷似することから、同人もしくは同系統の技術者の手になるものとの想像に難くない」と『
重要文化財
通史編1(自然・原始)
(人類学会創設~昭和三十三年(一九五八))
この土偶は、国の
重要文化財
に指定され国の所有(文化庁保管)となっている。
資料編1(考古編)
((4)土製品)
国の
重要文化財
に指定されている亀ヶ岡遺跡出土の左足を欠いた遮光器土偶は、よく観察すると目頭や鼻の付近に
通史編1(自然・原始)
(発掘調査の成果)
なお、石神遺跡より出土した円筒土器の一部二一九点は、平成二年(一九九〇)国の
重要文化財
に指定されている,なお、これらの玉類は平成三年(一九九一)に国の
重要文化財
に指定された。
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