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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編3(近世2) (野辺地戦争の経過)

野辺地戦争の経過 以下、各戦争報告書・記録に基づき、野辺地戦争の経過をみていきたい(同前No.五五〇,図65.野辺地戦争戦死者の墓  敗戦の原因は、弘前藩の統率性の欠如、認識の甘さに集約されるであろう / 野辺地戦争の経過
通史編3(近世2) (野辺地戦争の開始)

野辺地戦争の開始 弘前藩庁より家臣一統へ盛岡藩征討の布告がされたのは、八月二十九日のことであった(資料近世,これが野辺地戦争である。弘前藩からの砲撃で、戦闘は始まった。,では、両藩の本格的な衝突が起こる前夜を中心として、野辺地戦争の動機を探ってみたい。 / 野辺地戦争の開始
通史編3(近世2) (野辺地戦争の動機)

野辺地戦争の動機 盛岡藩攻撃を命じられてから、弘前藩は佐賀藩出身の総督府参謀前山精一郎らと軍議を重ねていた / 野辺地戦争の動機
通史編3(近世2) (東北戊辰戦争の終結)

東北戊辰戦争の終結 前述のように、野辺地戦争は、弘前藩の惨敗であった。,しかし、この野辺地戦争は、弘前藩にとって、必要不可欠の戦いだったといえるのである。,盛岡藩は、野辺地戦争に勝利したものの、秋田藩を通じて嘆願交渉を続行し、九月二十五日、秋田水沢口において,盛岡藩は、秋田戦争・野辺地戦争の代価として、家老楢山佐渡の切腹と七万両の賠償を支払うことになった。
資料編3(近世編2) (第二節 戊辰戦争と弘前)

第二節 戊辰戦争と弘前 一 戊辰戦争下の奥羽地方 二 軍制改革の展開 三 庄内出兵と野辺地戦争
通史編3(近世2) ([口絵])

弘前八幡宮祭礼絵馬 口絵9 一ノ矢藤太郎 口絵10 源氏山頼五郎 口絵11 野辺地戦争
資料編3(近世編2) ([口絵])

平尾魯仙筆(弘前市立図書館蔵一般郷土資料) 平舘台場跡(青森県東津軽郡平舘村) 野辺地戦争戦死者墓碑
通史編3(近世2) (戦局の展開と兵員の不足化)

以後、この方面では九月二十三日の野辺地戦争まで緊張した対峙(たいじ)が続いていくのである。  ,時局はやがて野辺地戦争を経て、会津・盛岡藩も降伏し、十月十八日に鎮撫総督府から東北平定の宣言が出されるが
通史編3(近世2) (二等銃隊の補充と特質)

第二次討庄援兵期までを、(第2期)の明治元年八月六日~十月十八日とは盛岡藩との戦闘が激化し、九月二十三日の野辺地戦争
通史編3(近世2) (戦局の推移と戦費負担の増加)

九月二十三日の野辺地戦争は、官軍に頑強な抵抗を続ける盛岡藩を牽制(けんせい)する目的から、奥羽鎮撫総督府付軍監
通史編3(近世2) (松前徳広の領内落去)

、近代的武力を誇る官軍諸藩が津軽領に滞陣している中で、当の弘前藩が他藩に勝る働きをしなければならず、野辺地戦争
通史編3(近世2) (新編 弘前市史 通史編3(近世2) 目次)

165     三 軍制改革の展開 …………………………………………  185     四 庄内出兵と野辺地戦争
通史編3(近世2) (掲載図版・写真の典拠・所蔵一覧)

60 作成 61 青森県立郷土館蔵 62 青森県東津軽郡平内町 63 野辺地町歴史民俗資料館蔵 64 野辺地戦争記聞
資料編3(近世編2) (【解説】)

弘前藩は死傷四九名を出して惨敗したが、時に会津・庄内・仙台・米沢藩ら朝敵側は降伏しており、盛岡藩からも野辺地戦争直後
資料編3(近世編2) (新編 弘前市史 資料編3 近世編2 目次)

軍制改革の展開 …………………………………………………………………………  一四六二   三 庄内出兵と野辺地戦争
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