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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍
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資料編1(考古編)
(-鉄製品-)
-
鉄
製品
-
鉄
を素材とするものには、武器・武具をはじめとして馬具・農具・紡績具・漁具・工具・調理具など,農具や機織り具には、鍬先・鋤先・鎌・苧引金(穂摘具様
鉄
器)・
鉄
製紡錘車がある。 ,漁具としては、
鉄
製釣針・錯(さく)・銛がある。 ,このほか、量は少ないが馬具や煮沸具としての
鉄
鍋もある。,図31 古代の
鉄
製品
図32 平安時代の
鉄
製品
(1) 図33 平安時代の
鉄
製品
(2 / -
鉄
製品
-
通史編1(古代・中世)
(中崎館の鉄製品)
中崎館の
鉄
製品
中崎館の出土遺物をみて、不思議なことに食生活のための
鉄
鍋の類がほとんど出土していないことに,
鉄
製品
としては
鉄
鏃(てつぞく)・釘(くぎ)・鎌(かま)・紡錘車(ぼうすいしゃ)・鋤先(すきさき)・刀子,写真84 中崎館遺跡出土の
鉄
製品
その理由としては
鉄
の再加工という行為が関係していると考えられる,鍋や釜は鋳
鉄
(ちゅうてつ)を鋳型(いがた)に流し込んで作る
製品
であり、古くなって使用できなくなると、精錬,では
鉄
製品
の出土数は少ないのが現状である。 / 中崎館の
鉄
製品
資料編1(考古編)
((2)鉄生産と鉄製品)
(2)
鉄
生産と
鉄
製品
我が国の
鉄
生産の技術は、5世紀後半以後中国大陸から朝鮮半島を経由して入ったとされている,それ以前の弥生時代においては、朝鮮半島からの
製品
輸入に依存しているが、この時期の本県での出土例はない。,のものについては森ヶ沢遺跡(天間林村)の土壙墓群に伴い十数例発見されており、この時期以後相当量搬入されているが、
鉄
生産関連遺構,特に、岩木山麓を中心とした地域においては、東日本の中でも卓越した形で
鉄
生産遺構群が発見されている。,この時期は10世紀前葉以後であり、この後の
製品
出土数は飛躍的に増加する。 / (2)
鉄
生産と
鉄
製品
資料編1(考古編)
((4)土製品)
(4)土
製品
粘土を原材料として作り上げられたものには、土器のほかに、土偶・土版・土面・耳飾・動物型土
製品
,三角形板状土
製品
は、逆三角形を呈し、土器片を利用したものが多い。大きさは3~5cm程度である。,*86 動物型土
製品
としては、弘前市十腰内遺跡で出土したイノシシを表したものがある。,また、次の晩期には、猿を模した土
製品
(弘前市十面沢遺跡)・クマを模した土
製品
(弘前市高杉尾上山遺跡)・,土
製品
には以上のほかに、釣鐘のような形態を持った鐸形(たくがた)土
製品
(後期の十腰内Ⅰ群(式)土器期に / (4)土
製品
資料編1(考古編)
(第6節 金属製品)
第6節 金属
製品
金属器の出土の特色は、数の多さと特異な出土状況にあり、素材
鉄
(
鉄
鋌(てい))の出土,青森県内の遺跡の出土遺物に占める金属器(
鉄
・銅
製品
等)の量的多さはまさしく「北」的な状況を示している。,本来金属器は、生産加工→
製品
化→使用→廃棄→回収→再
製品
化の過程を経て、形を変えながら生活の中で使用されることが,例えば浪岡城内館SP12では、
鉄
製品
(鍬・鎌・刀・苧引金・轡・釘)を埋納した上に内耳の
鉄
鍋をかぶせて埋,発掘面積
鉄
製品
の出土数 1m2あたり出土数 中崎館遺跡 2,730m2 45 0.016 / 第6節 金属
製品
資料編1(考古編)
((1)石器と石製品の種類)
(1)石器と石
製品
の種類 青森県における石器及び石
製品
は表4に示したとおりである。,これらの中で本県を中心に多く発見される石器は、利器では箆(へら)状石器・トランシェ様石器、石
製品
として,また、平川流域の碇ヶ関村大面(おおつら)や下北の大畑町涌館(わくだて)遺跡等で出土した動物型石
製品
も、,表4 土器編年別石器・石
製品
出土表 時代 型式名 石鏃 石槍 石錘 浮子 石皿 磨石 敲石 凹石 打製石斧,(垂飾品) 石棒 石剣 石刀 青竜刀形石器 石冠 岩偶 岩版 円盤状石
製品
動物型石
製品
縄文時代 草創期 / (1)石器と石
製品
の種類
通史編1(古代・中世)
(中国製品の出土)
中国
製品
の出土 搬入された交易品のうち、生産地や年代が推定できる資料として陶磁器が挙げられる。,たかだて)遺跡や蓬田村蓬田大館(よもぎだおおだて)遺跡、さらに八戸市大仏(だいぶつ)遺跡から出土した中国
製品
,などの陶磁器を記し、本朝物、つまり日本から輸出する物品として三〇品目のなかに、金・琥珀(こはく)・銅・
鉄
・ / 中国
製品
の出土
資料編1(考古編)
(第4節 中世・近世の生活用具)
素材として見た場合は、土器、陶磁器、
鉄
製品
、銅
製品
、木
製品
、石
製品
、骨角
製品
、紙、革
製品
、竹、藁等で、,・
鉄
皿(以上
鉄
製品
)石臼・石鉢(以上石
製品
) 貯蔵具 越前甕・壺,珠洲甕・壺,渥美甕,常滑甕・壺,瀬戸美濃壺,)(石
製品
)/行火(木
製品
)/火箸(
鉄
製品
) 大工道具 鋸,鑓鉋(やりがんな),鉋,釘,鎹(かすがい,銅
製品
)/毛抜鋏,耳掻(
鉄
製品
)/紅皿(陶磁器) 茶の湯 中国製
鉄
釉壺・碗,瀬戸美濃
鉄
釉壺・碗・天目台,,
鉄
砲玉(以上銅
製品
)/革札(革
製品
) その他 銭貨,下駄,棒,墨書付札,井戸枠,
鉄
滓,銅滓,キセル
通史編1(古代・中世)
(鍛冶・鋳物師の道具)
生産される
製品
として、前述した衣・住・農に関連した道具のほか、武具の生産が盛んになるようで、境関館では,そして、これらの素材
鉄
として境関館出土の
鉄
鋌状
鉄
製品
が重要な意味を持ってくる。 ,近年、
鉄
鋌状の
鉄
製品
を「
鉄
製品
製作素材」とする考え方が出されている。,つまり、
鉄
鉱石から
鉄
を取り出した後に、一定の形にして鋼素材として流通する
製品
のことで、運ばれた遺跡では,また、鍋や釜のように鋳物(いもの)の
鉄
器を作るためには鋳
鉄
(ちゅうてつ)が必要であり、この鋳
鉄
も一定の
通史編1(古代・中世)
(第三節 南北交易と「境界地域」津軽)
もっとも特徴的な出土品として、生産地や流通量が理解できる陶磁器があり、
鉄
製品
・銅
製品
・石
製品
などすべての,津軽を中心とする北奥や夷島へ「京」から入った物としては前述した陶磁器のほか、
鉄
製品
(鍋・釜・大工道具など,)・銅
製品
(仏具・装飾
製品
など)・石
製品
(硯(すずり)・茶臼(ちゃうす)・温石(おんじゃく)など)・銭貨,など多数の
製品
が想定される。,木・石などの
製品
は多くない。
資料編1(考古編)
(-鉄生産遺構と製鉄炉の性格-)
-
鉄
生産遺構と製
鉄
炉の性格-
鉄
生産のうち、最も基本となる製鋼の方法には、
鉄
原料(砂
鉄
・
鉄
鉱石)を、,を作る段階(大鍛冶)や、この素材から
製品
を作る段階(小鍛冶)のそれぞれの工程が知られている。 ,
鉄
生産遺構とする場合には、この製・精錬遺構(製
鉄
炉)を指す場合が多いが、実際
鉄
生産遺跡には製
鉄
炉のほか,しかも、各遺構に伴う製
鉄
関連遺物(
鉄
器・
鉄
滓・砂
鉄
・羽口等)や生活遺物(土師器・須恵器・擦文土器・土錘,・土玉・炭化米・木
製品
等)等、膨大な量が出土した。 / -
鉄
生産遺構と製
鉄
炉の性格-
通史編5(近・現代2)
(製造業の動向)
これに対して増加傾向にある製造業種は、衣服・その他の繊維
製品
製造業、窯業・土石
製品
製造業、電気・機械器具製造業,20 30 51 3.2 4.9 8.3 50.0 70.0 16 木材・木
製品
製造業 42 32,・石炭
製品
製造業 - - - - - - - - 22 プラスチック
製品
製造業 6 6 5 1.0 1.0,皮・同
製品
・毛皮製造業 1 3 3 0.2 0.5 0.5 200.0 - 25 窯業・土石
製品
製造業,・石炭
製品
製造業 - - - - - - - 22 プラスチック
製品
製造業 42 32 47 0.5
資料編1(考古編)
(2.堀越城跡)
出土柾組図 (8)出土遺物 出土遺物としては、陶磁器(カラー図14・15・16)・
鉄
製品
,・銅
製品
・木
製品
などがある。,〔
鉄
製品
〕 釘、小刀、火箸、責金具などがある。 〔銅
製品
〕 笄、かんざし、
鉄
砲玉などがある。,〔木
製品
〕 最も多く出土した
製品
は箸であり、建築部材の柾も多く見られた。,)、性格不明
製品
(図124-5)、竹を巻いたような
製品
(図122-8)などがある。
資料編1(考古編)
(資料編1「考古編」掲載図・表・写真一覧)
31 古代の
鉄
製品
図32 平安時代の
鉄
製品
(1) 図33 平安時代の
鉄
製品
(2) 図34 7・, 尻八館出土陶磁器実測図(1) 図9 尻八館出土陶磁器実測図(2) 図10 尻八館出土陶磁器類・
鉄
製品
,同転用硯) 図98 小友遺跡出土遺物(縄文・土師器・擦文土器) 図99 小友遺跡出土遺物(土錘・
鉄
製品
,(1) 図111 境関館遺跡出土
鉄
製品
(2) 図112 境関館遺跡出土
鉄
製品
(3) 図113 境関館遺跡出土銅
製品
,カラー図 1~3 中崎館遺跡出土陶磁器 4 中崎館遺跡出土かわらけ 5 中崎館遺跡出土
鉄
製品
通史編1(古代・中世)
(三 中世の道具と生産)
鉄
鉱石などの素材
鉄
)を入手し、それを精錬して鋼を作り、鋼を加工して鋤先・鍬先を作らなければならない。,弘前市境関館遺跡の井戸跡(SE〇三)から出土した
鉄
鋌(てい)状
鉄
製品
(図50)は、これまで遺跡の出土例,従来は
鉄
製品
を作るに当たって、地元の砂
鉄
を原料として作っていたであろうという考え方が支配的であった。,しかし、古代以来の鍛冶遺構の構造や出土した
鉄
製品
の成分分析によって、素材となる
鉄
の原料供給を大陸に求めるべきであるとの,図50 境関館出土の
鉄
鋌(左) 写真173 浪岡城の
鉄
鋌(右) このような
鉄
生産にかかわる事例
通史編1(古代・中世)
(土器の煮炊から鉄鍋へ)
土器の煮炊から
鉄
鍋へ 古代における主体的な煮炊の道具である土師器甕(かめ)・堝(なべ)という器種は一一,・一二世紀ごろから急速に減少し、代わりに
鉄
鍋の出土が一定量認められるようになる。,写真83 内耳
鉄
鍋の復元(根城) ただ形の上では古代における甕を深鉢形の器形、堝を浅鉢形の器形,図34 内耳
鉄
鍋と内耳土器・把手付土器 1 柳之御所堀跡出土内耳
鉄
鍋(岩手県平泉町) 2 蓬田大館遺跡出土内耳土器,このように、煮炊の道具が土器から
鉄
製に移行する過程で、北奥を中心とする地域では
鉄
製品
を土器で模倣するという / 土器の煮炊から
鉄
鍋へ
資料編1(考古編)
(3.14世紀の様相)
ほかの中国陶磁器としては、「利市」「招財」のスタンプをもつ壺(図9-2・3)があり、朝鮮の
製品
には三島手,国産では瀬戸の
製品
が圧倒的に多く、灰釉皿をはじめ壺・鉢も存在する(図9-4~8)。,また瓦質火炉(図10-2)や産地不詳の擂(すり)鉢(図10-3)とともに、珠洲・越前の
製品
が搬入されている,尻八館出土陶磁器実測図(1) 図9 尻八館出土陶磁器実測図(2) 図10 尻八館出土陶磁器類・
鉄
製品
,・銅
製品
・石
製品
実測図
通史編1(古代・中世)
(擦文文化圏との交易)
擦文文化圏との交易 岩木山麓に展開した大規模な
鉄
生産も年代的にはこの須恵器生産とほぼ軌(き)を一にしており,一〇世紀中葉から一一世紀初頭の
鉄
生産遺跡として知られる鯵ヶ沢町杢沢(もくさわ)遺跡(図19)では、半地下式竪形炉,(
鉄
製品
・
鉄
滓(てっさい)・砂
鉄
・羽口(はぐち)など)や生活遺物(土師器・須恵器・擦文土器・土錘(どすい,)・土玉・木
製品
など)が出土した。,全国的にみてもこの時期の木
製品
の出土例が多い津軽地方では、大鰐町大平遺跡・同町砂沢平遺跡・黒石市高館遺跡
資料編1(考古編)
(1.境関館遺跡)
(5)出土遺物 城館期の出土遺物として陶磁器類887点、
鉄
製品
316点、銅
製品
22点、銭貨682枚,〔
鉄
製品
〕
鉄
製品
は、遺構内外から316点の出土があり、遺構外が209点と大部分である。,(図112-10)とともに管状
鉄
製品
(図112-6・7)、機能不明
鉄
製品
(図112-8・9)があり、報告,では楔状
鉄
製品
という名称を付した
製品
(図112-12・13・14)は鍛造加工途中の未成品、鋼素材としての,図111 境関館遺跡出土
鉄
製品
(2) 図112 境関館遺跡出土
鉄
製品
(3) 〔銅
製品
〕
通史編1(古代・中世)
(大浦氏関係の中世城館跡)
・皿)、越前破片三点(甕(かめ)・擂(すり)鉢)、唐津破片八点(皿・碗・甕)といった陶磁器をはじめ、
鉄
製品
,では武器である
鉄
鏃や刀の破片、釘、木
製品
でも建築材か容器と思われる遺物が出土している。
通史編1(古代・中世)
(石川城跡)
鉄
製品
では釘や刀子(とうす)といったものが出土し、木
製品
では下駄が五点、桶底、箸、箆(へら)状木
製品
なども
資料編1(考古編)
(4.中崎館遺跡)
井戸跡内からは、上記の井筒のほか、折敷・樋底・箸・瓢箪製杓子等の木
製品
、陶磁器・かわらけ・
鉄
製品
が出土,カラー図5 上段:中崎館遺跡出土
鉄
製品
下段:中崎館遺跡出土井筒 ④堀跡 2本の堀跡とも,出土遺物には、青磁・珠州焼・かわらけ・
鉄
器・石
製品
がある。,それらは、「かわらけ」と呼ばれる素焼きの土器・舶載及び国産陶磁器・
鉄
製品
・木
製品
・石
製品
・銅
製品
等である,⑩
鉄
製品
(カラー図5)
鉄
鏃・鎌・鋤先・釘・刀子がある。
資料編1(考古編)
(3.野脇遺跡)
縄文時代(晩期を中心とする)の土器・石器、弥生時代の土器、古代の土師器・須恵器、中世・近世の陶磁器・
鉄
製品
,・銅
製品
・木
製品
・銭貨などであり、遺構に伴う中世・近世の遺物を中心に概括する。,
鉄
製品
には鋏(図135-1)、釘(図135-2・3)、金具(図135-4)、鍋鉉(図135-6)、かすがい,(図135-7)、鎌(図135-8・9)、不明
鉄
製品
(図135-5)がある。,野脇遺跡出土陶磁器実測図(4) 図133 野脇遺跡出土陶磁器実測図(5) 図135 野脇遺跡出土
鉄
製品
実測図
通史編5(近・現代2)
(工業都市弘前)
そして、(一)酒造業、(二)織物業、(三)漆器業、(四)木通蔓細工工業、(五)銅・
鉄
工業、(六)家具指物業,内訳は表4のとおりであるが、工業生産物価格では酒類が群を抜いて多く、全体の四七・七%を占め、これに木
製品
,木
製品
は、桐だんすが仕上げ方法の向上により名声が高まり、北海道に移出されるようになったため、生産価格が,味噌 13 253,200 醤油 14 122,500 缶詰 5 11,100 澱粉 1 240 木
製品
,120 489,800 皮
製品
17 31,900 藁工品 93 15,232 竹蔓細工 8 19,350
資料編1(考古編)
(5.荼毘館遺跡)
〔縄文時代〕 遺構は認められず、少量の土器・石器・土
製品
が散見するにすぎない。,、20号井戸であり、前者からは比較的まとまった土師器坏、甕、須恵器が、また、後者からは黒色漆塗椀や木
製品
,⑤出土遺物 土師器、須恵器、古銭、
鉄
鍋、坩堝、羽口、
鉄
製品
、砥石等が出土している。,中国産の青磁・白磁の舶載陶磁器、瀬戸・珠洲・越前・信楽等の日本製陶磁器が72点(56~59個体)と古銭、
鉄
製品
,、石
製品
等が出土している(カラー図10・11)。
通史編1(自然・原始)
(弥生文化の内容)
恐らく縄文時代から主要な用具であった石器類は次第にその地位を失って、金属器(おもに
鉄
器)が利器の主流を,垂柳遺跡において柄杓(ひしゃく)の柄にクマの頭部を彫刻したもの、火鑽具(ひきりぐ)・木鍬(きぐわ)などの木
製品
,が出土し(8)、とくにクマの頭部彫刻を有する柄杓は金属器(
鉄
器)なしでは製作し得ない品物と考えられ、出土,尾上町八幡崎(やわたざき)遺跡や、八戸市是川中居遺跡で出土した木
製品
(9)(八幡崎は木製碗・是川中居は,箆(へら)状ならびに赤漆塗太刀形木
製品
)などのように、細部にわたる彫刻は金属器ならではの感が強く、金属器
通史編1(古代・中世)
(ムラの建物)
中世遺構配置 このなかで第一〇号竪穴遺構は四隅に柱穴を有するタイプで、この覆土からは陶磁器片や
鉄
製品
,元豊(げんぽう)通宝・洪武(こうぶ)通宝・永楽(えいらく)通宝・宣徳(せんとく)通宝など)、床面から
鉄
釘四点,長軸一三メートルに及ぶ大形竪穴建物跡の床面から、陶磁器としては一三世紀前後の中国製白磁と珠洲の甕、そして
鉄
鏃,(てつぞく)四本・錐・鋸・紡錘車・鎺(はばき)などの
鉄
製品
が一括して出土している。,この遺跡では竪穴建物跡が単独で存在し、
鉄
製工具などを使用する集団の住居とも考えることができる。
資料編1(考古編)
(第1節 中世・近世遺跡の概観)
銭貨 1 3 檀林寺跡 市浦村 14,15 陶磁器 4 伝山王坊跡 市浦村 14,15 陶磁器・石
製品
,尻八館跡 青森市 14,15 陶磁器・銭貨・他 23ほか 11 油川城跡 青森市 15,16 陶磁器・銅
製品
,ほか 27 高館遺跡 黒石市 12 陶磁器 12 28 板留(2)遺跡 黒石市 12,13 陶磁器・
鉄
製品
,陶磁器 74 59 左組遺跡 七戸町 13 陶磁器 74 60 堀越城跡 弘前市 16 陶磁器・木
製品
資料編1(考古編)
((7)機織り)
紡錘車は7~8世紀のものは土製であるが、9世紀以降になると、一部に土製のものが使用されるが一般的には
鉄
製,
鉄
製の紡錘車は、厚さ0.2~0.3cm、直径4~5cmの円盤に
鉄
製の軸が取り付けられたものである。,図85 奈良時代の土製紡錘車 図86 平安時代の
鉄
製紡錘車(1) 図87 平安時代,、穂摘貝様
鉄
器などと呼ばれ、稲作に主体的に使用される道具と考えられているが、近世及び近代まで使用された,苧引金の祖形と見るべき
鉄
製品
である。
資料編1(考古編)
(7.小友遺跡)
〔平安時代〕 堀跡・溝跡・柱穴列・井戸跡・鍛冶遺構等の各遺構と、土師器・須恵器・擦文土器・
鉄
製品
・羽口,また、井戸跡は素掘りで、中からは土師器甕・同坏・須恵器坏・同壺・砥石・
鉄
器が出土している。,
鉄
製品
には釘・刀子・小札があるが、小札は長さ7.7cm、幅3.3cm、厚さ0.2cmと大型であり、平安時代後期,図98 小友遺跡出土遺物(縄文・土師器・擦文土器) 図99 小友遺跡出土遺物(土錘・
鉄
製品
通史編1(古代・中世)
(城館調査の今後)
181 石川城跡内館の堀跡 とくに、堀跡から出土した下駄・箸・曲物・箆(へら)・取手などの木
製品
,は、かつて堀越城で出土した遺物に匹敵する内容を示し、陶磁器や
鉄
製品
・銭貨など中世社会を理解できる資料が
資料編1(考古編)
(5.16世紀の様相)
5.16世紀の様相 16世紀の指標となる陶磁器は、中国製染付や美濃瀬戸大窯期の出土
製品
に現れる。,また、美濃瀬戸大窯期の灰釉・
鉄
釉資料は、出土する遺跡がある程度限定されるため、16世紀であることの判定指標,その中の中国
製品
を見ると、青磁は碗の外面文様である蓮弁文が線描になる例(図11-2・3)と無文(図11
通史編1(古代・中世)
(平安時代の律令祭祀)
平安時代の律令祭祀 平安時代には、斎串(いぐし)・土馬(どば)・土鈴・
鉄
鈴・勾玉(まがたま)(土製・,そして、官が行った律令的祭祀のなかで恒常的な祭祀には木
製品
が用いられ、重要な祭祀には金銅
製品
が用いられる,一方、民間の祭祀においても木
製品
が用いられた。
通史編1(古代・中世)
(食の道具)
擂鉢で調理された食材はそのまま、あるいは囲炉裏に置かれた
鉄
鍋のなかで煮た上で食膳に出される。,ここで使われる陶磁器は、ほぼ一〇〇パーセント中国・朝鮮や日本列島各地から搬入された
製品
である。,これに対し、折敷・箸・柄杓(ひしゃく)などの木
製品
は、その素材に当地のヒバ材を使用したものが多いことから
通史編1(古代・中世)
(原エミシ文化・エミシ文化の祭祀遺物)
の例になるが、北上市岩崎台地墳墓群からは土師器甕(かめ)・壺、直刀・刀子(とうす)・鏃(ぞく)などの
鉄
製品
通史編1(古代・中世)
(衣の道具)
その形態は、古代の場合木部と
鉄
製刃部を目釘二ヵ所で留めるが、中世以降は木部に両端を打ち込むような形態となり,境関館ではみられなかったが、堀越城では文様の施された
製品
や差歯になった下駄(写真176)、さらに独狐(
資料編1(考古編)
((1)東北地方南部以南との交易・交流)
この時期、律令支配地から、津軽地方に搬入された文物には、各種須恵器・
鉄
製品
・ガラス玉などがある。,
製品
としては鋤・鍬・鎌・刀子・蕨手刀・直刀等がある。 ,図121 境関館遺跡に搬入された北陸産の須恵器 また、
鉄
生産もこの地域ではまだ行われておらず、,中でも
鉄
生産の発展は目ざましいものがある。,しかし、
鉄
の始発原料は砂
鉄
ではなく、
鉄
鉱石であるところから、
鉄
鉱石産地である近江地方、あるいは大陸から
資料編1(考古編)
(11.牧野Ⅰ遺跡)
土器は、縄文時代前期の円筒下層b・d1・d2式、中期の円筒上層a・b・c(図27)・d・e式、土
製品
には,平安時代後期11世紀後半~12世紀)の長胴甕・小型甕・高台付甕等の破片、須恵器(長頸壺破片)、羽口・
鉄
滓
資料編1(考古編)
((11)その他の生活用具)
厨房の道具としては、煮炊具としての
鉄
鍋、火おこしの道具である火打金、木製の曲物、折敷、釣手具、箸がある,
鉄
鍋は、蓬田大館遺跡(蓬田村)、古館遺跡(碇ヶ関村)で出土している。,図104 平安時代の曲物底・折敷・釣手具 古館の
鉄
鍋は11世紀代のものである。,図103 平安時代の下駄 図106 平安時代の木
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通史編1(古代・中世)
(津軽地方の古代信仰)
については、東北地方では陸奥国を中心に分布していて、出羽国にはほとんどみられず、窯業関係、祭祀関係、製
鉄
・,仏具としては、尾上町李平下安原遺跡では
鉄
製錫杖(しゃくじょう)が、また、浪岡町高屋敷館遺跡第六五号および,第七四号竪穴住居跡でも錫杖状
鉄
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が出土している。,)の柄部(
鉄
製)・飾り部(銅製)・蓋部(がいぶ)(銅製)が近接して出土し、第三三号竪穴住居跡からは
鉄
製三鈷鐃,錫杖状
鉄
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は、蓬田大館遺跡でも三鈷鐃伴っていることなどから、神仏習合の要素をもつ密教系の呪術性の強い
資料編1(考古編)
((3)弥生時代の土壙墓)
現在までに発見されている当該遺構の代表的なものは、津軽半島の突端に近い東津軽郡三厩村宇
鉄
字下平に所在する,宇
鉄
Ⅱ遺跡と、下北半島の陸奥湾に面した下北郡川内町の板子塚遺跡である。 ,宇
鉄
Ⅱ遺跡は、昭和50年(1975)9月を第1次とし、3次にわたり発掘調査が実施され、さらに昭和62年,第1次から第3次にかけての調査で544m2が発掘され、弥生時代中期前半または弥生3期の宇
鉄
Ⅱ式土器期の,が10基発見され、それらの中から土器(弥生時代後期=4b期)・石器(石鏃・磨製石斧・スクレパー)・石
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資料編1(考古編)
((2)4世紀後半代~5世紀代)
としては、続縄文文化の北大Ⅰ式土器と黒曜石製石器であり、古墳文化の遺物としては土師器・須恵器・各種玉類・
鉄
・,このほか、
鉄
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・玉類・竪櫛などもあり、副葬された文物の多くは古墳文化のもので、この時期の最北の前方後円墳
資料編1(考古編)
((1)明治時代から太平洋戦争まで)
各遺跡の炉(かまど)の構造や素材上での分類、あるいは須恵器や土師器などの土器類のほか、直刀・刀子などの
鉄
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通史編3(近世2)
(瀬戸師林兵衛による製陶)
磁器の下川原瀬戸座ではすでに早瀬野から採掘をしていたので、
鉄
三郎は悪戸における磁器の焼成を目指したものと,
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には陶器・磁器・瓦などが挙げられるが、多くを占めるのは陶器である。,釉薬には
鉄
・銅・灰などの各釉が用いられ、原料や焼成温度によってさまざまな釉調や色調を呈している。,悪戸では輪郭内に
鉄
釉をほどこしたのが特徴的)である。,
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の印銘には扇田製・扇田・扇山・青柳・津軽青柳産・石岡・津軽などがあるが、多くは角印で丸印や変形印、
通史編1(古代・中世)
(環壕集落の構造と年代)
がうかがわれるのであり、この種の集落の出土遺物の共通点として、土師器と擦文土器、錫杖(しゃくじょう)状
鉄
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,や鈴などの宗教的金属
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が目立つ反面、戦闘的要素や階層的要素が薄いことから、それが伝統的共同体社会の強,津軽型環壕集落の類例3(碇ケ関村古館遺跡) 第一と第三のタイプは、外観上、中世の城館に類似し、かつ
鉄
生産,環壕集落の特徴として、
鉄
生産に関わる遺構や遺物、そして擦文土器の出土が目立つという点から推(お)して、
通史編5(近・現代2)
(高度経済成長期の工業)
製造品出荷額に関しては、食料品製造業の比率が六三・六%で、最大であり、木材木
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工業、窯業がこれに次いでいる,事業所数では、食料品製造業、木材木
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工業、家具製造業、パルプ及び紙加工業、出版印刷業、窯業の順になっている,4 0.7 23 0.4 2,014 0.2 非
鉄
2 0.4 x x x x 金属 41 7.3,弘前市内主要企業の現況(誘致企業) 会社名 操業開始年月 工場の規模 従業員数(42.4.1) 主要
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,表36-2 弘前市内主要企業の現況(地元企業) 企業名 操業開始 敷地面積 従業員数 主要
製品
通史編3(近世2)
(下川原における製陶)
によるとこれらの陶磁器は、移入品に押されて売れ行き不振の状態にあったので、瀬戸師金蔵は白焼・雑焼に類する
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,
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は陶器もあるが、染付磁器が主体をなしており、神前徳利、大小の徳利、茶碗類、大小の皿、急須、八角鉢などの,なお青磁(せいじ)(ごく少量の
鉄
分を含む釉薬をかけて焼成した磁器で、薄い青緑色や淡黄色を呈している)や,瑠璃(るり)釉(酸化コバルトを主体とした釉)磁器および赤絵(酸化
鉄
で、赤を主調とした釉の上絵付(うわえつけ
資料編1(考古編)
(第2節 中世・近世の考古学研究略史)
を主体とする青磁・染付・瀬戸美濃灰釉などの陶磁器、鑓鉋・楔・鉾・苧引金・釘・小刀・小札・内耳鍋などの
鉄
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,、目貫金具・小鉢・銭貨などの銅
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、坩堝などの土
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が出土し、数多くの中世遺跡が調査されるようになった,県教育委員会関係の調査では、黒石市の板留(2)遺跡の調査*16によって竪穴建物跡から12~14世紀の白磁や
鉄
製品
通史編1(古代・中世)
(本州の擦文文化の実態)
の交流関係は、九世紀後半から一〇世紀後半の操業とされる五所川原須恵器窯跡群から供給されたと考えられる
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,中心に西北部(三遺跡)、南部(三遺跡)および東部(一遺跡)の擦文文化の遺跡で出土していること、さらに
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は,本州側からの最も重要な交昜品のひとつであったが、一〇世紀中葉から一一世紀に津軽地方の岩木山麓で大規模な
鉄
生産,が行われていたことから、米代川流域の製
鉄
遺跡とともに擦文社会への供給が目的であったことを想定できるであろう
資料編1(考古編)
((3)10世紀後半~11世紀)
さらに、11世紀後半では内耳土鍋や
鉄
鍋も散見する。,これらの集落からは、
鉄
鏃等の武具類の出土が多く、緊迫した社会情勢下にあったことがうかがえる。,③農業・製
鉄
・製塩・漆器生産・窯業・馬産等の産業が全体的に極めて活発化した時期である。 ,しかし、遺跡から出土する同時期の産物である窯業
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、すなわち須恵器の交易内容を通して、その軌跡をうかがうことができる,また、時代的に重複する岩木山麓を中心とする
鉄
生産、あるいは陸奥湾沿岸に展開する製塩業等の手工業的生産物
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