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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍
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通史編4(近・現代1)
(鉄道事業の伸展)
鉄道
事業の伸展 明治三十九年(一九〇六)に制定された
鉄道
国有法により、官設
鉄道
は国内の主要一七の私鉄,を買収し、奥羽本線などこれまで官設
鉄道
と呼ばれていたものは国有
鉄道
となった。 ,
鉄道
国有化以後の局地
鉄道
振興をねらった軽便
鉄道
は、その設立の要件が軽易であったため、全国各地で出願が相次,ぎ、大正七年には私設
鉄道
指定業者が皆無となり、私設
鉄道
法は空文化した。,そこで大正八年(一九一九)には私鉄事業の適切な監督を目的とする地方
鉄道
法が公布され、私設
鉄道
法並びに軽便
鉄道
法 /
鉄道
事業の伸展
通史編5(近・現代2)
(鉄道敷設の請願)
鉄道
敷設の請願 大正期から昭和戦前期にかけて、全国各地で軽便
鉄道
の敷設申請が出されているが、その多くが,弘前地方においても大正十年(一九二一)に岩木
鉄道
(弘前市-中津軽郡西目屋村間)の敷設が許可されたが、仮創立事務所,に対して、大正十一年の全国
鉄道
敷設法において予定線に指定されているとしてその速成を請願した(資料近・現代,さらに昭和十七年にはこの予定線を五能線岩崎駅もしくは深浦駅に延長する日本海貫通
鉄道
の敷設が申請された(,もう一つ却下された
鉄道
敷設計画として、昭和四年と同七年に申請された弘藤
鉄道
(弘前市-南津軽郡藤崎町間) /
鉄道
敷設の請願
通史編5(近・現代2)
(鉄道の高速化)
鉄道
の高速化 自家用車の普及に伴う
鉄道
利用客の減少に歯止めをかけるため、輸送サービスの質的向上を目的,に、昭和五十年十一月一日から弘南
鉄道
弘南線では、東北地方の私鉄では初めての快速列車の運転を開始した。 /
鉄道
の高速化
通史編5(近・現代2)
(鉄道営業の整備)
鉄道
営業の整備 昭和二年(一九二七)七月には、弘前市会において五能線の列車を弘前駅に直通させ、その発着点,とするよう
鉄道
大臣ならびに仙台
鉄道
局長宛に陳情することが可決された(同前No.二一一)。,これは弘前まで来るのに川部駅で乗り換えなくてはならない煩雑さを解消するためと、同年九月開業予定の弘南
鉄道
,(弘前-尾上間)への接続の便に供するためとしており、先述の弘藤
鉄道
が計画されたことと相通じるものがある,五能
鉄道
ヲ弘前駅ニ直通セシムル件ニ就キ再請願 五能
鉄道
ヲ弘前駅ニ直通セシメ弘前駅ヲ以テ其発着点タラシムル /
鉄道
営業の整備
通史編5(近・現代2)
(本県初の鉄道電化)
本県初の
鉄道
電化 終戦によって
鉄道
事業は極端な石炭不足に悩まされた。,昭和二年に開業した弘南
鉄道
株式会社においても石炭の確保は難しく、昭和二十一年六月の重役会ではその解決策,そして、昭和二十三年(一九四八)七月、本県最初の
鉄道
電化として弘前-津軽尾上間に電車が登場した。,写真120 弘前電気
鉄道
弘高下駅 昭和二十七年(一九五二)には、弘前市に二社目の私鉄が開業することになり,、弘前市中心部と南津軽郡大鰐町を結ぶ弘前電気
鉄道
が開通した(資料近・現代2No.四一六)。 / 本県初の
鉄道
電化
通史編5(近・現代2)
(鉄道事業の消長)
鉄道
事業の消長 昭和四十五年(一九七〇)には、南津軽郡大鰐町と弘前市中心部を結ぶ弘前電鉄の経営不振により,、弘南
鉄道
株式会社にその営業権が譲渡されることになった(同前No.五一〇)。,資金約四億六〇〇〇万円を導入したが、三、四年前から三菱電機は弘前電鉄の経営から手を引こうと計画を進め、弘南
鉄道
,しかし、同線は、昭和五十九年に弘南
鉄道
株式会社の経営に委ねられたが、利用者の減少に伴って、平成十年三月三十一日 /
鉄道
事業の消長
通史編4(近・現代1)
(鉄道の開通と運輸事業)
鉄道
の開通と運輸事業 弘前-青森間の
鉄道
開通により、運送会社はいずれも駅付近に移った。,) 前田運送店(松本清助) 弘前運送店(江渡伊三郎) 小野合名会社(小野貞一) ところで、
鉄道
,しかし馬車は、
鉄道
の発達とともにその沿線から駆逐され、
鉄道
駅周辺の近距離輸送という役割に転じていったものの /
鉄道
の開通と運輸事業
通史編4(近・現代1)
(奥羽本線の開通)
開業されたが、財政窮乏のため、その後は日本
鉄道
会社をはじめとする私設
鉄道
が各地で敷設され、軍事的利用をも,明治二十四年(一八九一)九月には、日本
鉄道
会社による上野-青森間の東北本線が全通した。,官設
鉄道
に関しては、明治二十五年七月に
鉄道
庁が逓信大臣の管掌に属することとなり、翌年四月、福島-青森間,の奥羽本線建設のため青森に
鉄道
庁出張所が設置され、官設
鉄道
として福島と青森双方から着工した。,写真84
鉄道
開通時の弘前駅
鉄道
省編『日本
鉄道
史』(一九二一年)によれば、
鉄道
が普及する一方
通史編5(近・現代2)
(バス事業の本格化と戦時下統制)
バス事業の本格化と戦時下統制 このように明治以来、
鉄道
敷設についてはさまざまな策が講じられ、多くの利用者,がその利便を享受してきたが、
鉄道
輸送に比べて施設上簡易・迅速で、頻繁輸送と交通量の少ない地方の連絡輸送,一方、市当局は、市長をはじめバス調査委員が上京して、
鉄道
省、内務省、大蔵省等の各当局に事情を訴えて諒解,元来
鉄道
省では津軽方面のバス路線を津鉄、弘南両
鉄道
の経営二本建として居たものであるが偶々弘前市がバス経営,従って
鉄道
省自体としても弘前市営に根本的に反対しているものではなく買収価格が既報の通りであるとすれば其後
通史編4(近・現代1)
(弘前商業会の活動)
同会の結成時には青森、弘前間の
鉄道
建設が課題であり、同会の発足に当たっての「主旨」にもそのことが明記されている,即ち、第三帝国議会での
鉄道
敷設の議が貴族院、衆議院を通過し、青弘間
鉄道
の開設が実現の可能性を多くし、弘前市
通史編5(近・現代2)
(労働組合と賃金闘争)
この東北地連は、二十二年十一月、弘南
鉄道
労組らの働きかけによって日本私鉄労働組合総連合会(私鉄総連)の,戦後の急激なインフレの中、各組合は飢餓突破の賃上げ闘争に立ち上がり、弘南
鉄道
労組もたびたび青森地方労働委員会
通史編5(近・現代2)
(弘西林道の開通)
この道路は最初、沿線地域の資源開発をねらいとした
鉄道
構想から始まったが、地質や傾斜など技術的な問題を多,く抱え、
鉄道
計画は立ち消えとなっていた。
通史編4(近・現代1)
(青森県における普通運動)
政友会支部総会の決議の第一は米価の暴落による農民救済、第二は青森港改築の国営化、次に十和田水田事業、南部
鉄道
,、十和田
鉄道
、小泊
鉄道
、目屋
鉄道
、来満
鉄道
、大間
鉄道
の敷設、県立中学校の増設などだった。
通史編5(近・現代2)
(バス事業の復興・伸展)
さらに昭和三十年(一九五五)三月、弘南バス株式会社は五所川原市に本社を置く津軽
鉄道
株式会社からバス事業,津軽
鉄道
株式会社は、昭和三年二月に会社設立(資本金一〇〇万円)、昭和五年七月に五所川原-金木間一二・八,キロメートルで
鉄道
の営業を開始した。
通史編4(近・現代1)
(大津事件~ロシアへの恐怖~)
大津事件~ロシアへの恐怖~ 明治二十四年(一八九一)五月、ウラジオストクにおけるシベリア
鉄道
起工式に,皇太子はシベリア
鉄道
起工式に出席し、その後サンクトペテルブルクに帰還している。
通史編5(近・現代2)
(高速交通体系の整備)
写真175 東北縦貫自動車道 大鰐・弘前インターチェンジ また、同年九月には、全国新幹線
鉄道
整備法,の成立に伴い、東北・北海道新幹線
鉄道
建設の最優先着工を要望する意見書が弘前市議会から政府へ提出された(,同時期着工を確約したことを受けて、東北と北陸の両経済連合会が「日本海沿岸新幹線」の早期実現のため、政府の
鉄道
建設審議会
通史編5(近・現代2)
(六 一般人の音楽)
六 一般人の音楽
鉄道
唱歌は明治三十三年に作られ、全国を風靡した。
通史編5(近・現代2)
(観桜会運営の打合会議)
打合会の書類を見ると、まず国鉄
鉄道
管理部、県企業課、青森観光協会、交通公社からの要望が多数記されている,これらの打合会のほか、仙台
鉄道
当局との打合せが注目されよう。,写真228 弘前観桜会風景 打合会で仙台
鉄道
当局は「仙台としては弘前観桜会を第一に考へて居るのですから
通史編4(近・現代1)
(協力機関一覧(五十音順))
学校法人東奥義塾(弘前市) 学校法人弘前学院(弘前市) 株式会社まつもと(埼玉県春日部市) 弘南
鉄道
株式会社
通史編4(近・現代1)
([口絵])
第一回総選挙で大同派の勝利を伝える岩田善之助 口絵8 大同派の中心的役割を果たした工藤行幹 †
鉄道
開通,(東長町の果実問屋前にて) 口絵51 大正4年蓬莱橋開橋 口絵52 大正7年陸奥
鉄道
開通
通史編5(近・現代2)
(公共企業体とストライキ権)
昭和六十年四月日本電信電話公社や専売公社は民営化され、日本国有
鉄道
も六十二年四月分割、民営化されてJR
通史編5(近・現代2)
(協力機関および協力者一覧(機関・個人順、五十音順))
弘前大学 工学院大学図書館 (東京都新宿区) 北門書道会 (弘前市) 弘南
鉄道
株式会社
通史編5(近・現代2)
(乳井市政)
また、目屋
鉄道
も地元の資金協力がなく頓挫した。
資料編1(考古編)
((9)蕨手刀)
の所在 大きさ(cm) 伴出遺物 備考 全長 刃長 柄長 刃幅 1 門外遺跡 明治27年 奥羽本線
鉄道
敷設工事,(欠) 22.2 (欠) 12.4 3.1 図91-1は明治27年(1894)、奥羽本線
鉄道
敷設工事中
通史編1(自然・原始)
(広野面)
ボーリング資料によると、千年地区の弘南
鉄道
踏切付近(七五メートル)では基盤の砂岩上に砂礫層(厚さ約四メートル
通史編5(近・現代2)
((一)私小説の神様・葛西善蔵)
三十六年の冬に北海道へ渡り、
鉄道
車掌、営林署員などに従事した後、三十八年に再び上京。
通史編5(近・現代2)
(家庭に戻る女性たち)
例えば青森
鉄道
管理部に動員された女性たちは、昭和二十年(一九四五)一月現在で約二〇〇〇人おり、全職員の
通史編4(近・現代1)
(明治九年の巡幸)
このころ、東北地方にはまだ
鉄道
がなく、道路や交通状況は藩政時代そのままといっていい状態にあった。
通史編5(近・現代2)
(建築近代化への立ち後れ)
しかし、明治二十二年(一八八九)の市制施行に引き続き、明治二十七年(一八九四)の弘前-青森間の
鉄道
開通
通史編5(近・現代2)
([付図])
月22日撮影 弘前市史寫眞館(昭和・平成) 1 観桜会〈昭和初年〉 2 弘南
鉄道
開通
通史編4(近・現代1)
(後藤象二郎の青森県遊説)
しかもシベリア
鉄道
とパナマ運河の開通は目前で、欧州列強の侵略の危機が強まっている。
通史編4(近・現代1)
(『曠野の花』に描かれた笹森儀助)
(明治三十三年八月十七日)シベリア
鉄道
の汽車が停(と)まってふと眼を覚ますと、六十才を少し越えたと思われる
通史編4(近・現代1)
(電信事業)
電信が開通し(東京・横浜間)、次いで明治四年(一八七一)に郵便(東京・京都・大阪間)、そして明治五年に
鉄道
通史編5(近・現代2)
(野村三郎と五・一五事件)
してきたため、ソフィア大学の学生であったタチアナ・オブラプス夫人とともに脱出、日ソ開戦直前のシベリア
鉄道
通史編5(近・現代2)
(掲載写真の典拠・所蔵一覧)
弘前市立図書館蔵 写真39 『目で見る弘前・黒石・津軽の100年』郷土出版社 2000年 写真41 『弘南
鉄道
三十年誌,』弘南
鉄道
株式会社 1957年 写真46 「津軽名勝と産業」弘前市蔵 写真47 東奥日報社提供
通史編4(近・現代1)
(掲載写真・図版の典拠・所蔵一覧)
写真167 同上 写真168 『弘前相互銀行五十年志』弘前相互銀行 1974年 写真169 『弘南
鉄道
五十年史,』弘南
鉄道
株式会社 1977年 写真170 日本基督教団弘前教会蔵 写真171 「りんご百年」弘前市立図書館蔵
通史編4(近・現代1)
(大正期のりんご流通)
その要因は、①生産量の増加、②
鉄道
の開通、③貯蔵性の高さを要因とする投機的果実、そして、④りんご農家の
通史編5(近・現代2)
(昭和弘前市民の一側面)
鉄道
省が全国の桜の名所を撮影し、それを『桜咲く日本へ』と題して外国で放映することになったのである。,事業自体は
鉄道
省の観光客吸引策だったが、弘前公園の桜は非常に好評を博した。
通史編4(近・現代1)
(菊池武徳と中央政治)
東奥義塾から東京専門学校、慶応義塾に学び、時事新報記者として活躍し、朝野新聞の経営や九州
鉄道
などにも関係
通史編4(近・現代1)
([付図])
40 陸軍特別大演習〈大正4年〉 41 弘前観桜会始まる〈大正7年〉 42 陸奥
鉄道
五所川原線開業
通史編4(近・現代1)
(盗伐問題と師団の設置)
六月十五日に襲来した三陸大津波への対策、年々四〇〇人余の犯罪を生む官有林盗伐の問題、第八師団の新設、
鉄道
通史編4(近・現代1)
(新事物)
二十七年十二月の青森-弘前間の
鉄道
開通は、何といっても後年の電灯とともに、近代文明の恩恵をあまねく人々
通史編1(古代・中世)
(東北地方北部の群集墳)
図6 津軽地方出土の蕨手刀 このほか一八九四年、弘前市大字門外(かどけ)において、奥羽本線
鉄道
敷設工事中
通史編4(近・現代1)
(町並みの推移)
それが明治の三十年代にようやく活況の兆しを見せるようになったのは、二十七年の
鉄道
開通と三十年の師団設置
通史編5(近・現代2)
(新弘前市総合開発計画(昭和五十九年計画)の策定)
主要道路、県土横断道路、青森空港アクセス道路等基幹道路交通体系の整備、青森空港の活用、七里長浜港の建設、
鉄道
網
通史編5(近・現代2)
(日中戦争の勃発への着手)
訓練方法が冬期の
鉄道
や市内の除雪を行うとされているところが、いかにも青森県らしい。
通史編5(近・現代2)
(小売業の動向)
⑪中野・松原地区商店街・・新興住宅地を背後にもち、県道石川線(ママ)沿いの商店街と、弘南
鉄道
駅前付近の
通史編4(近・現代1)
(明治二十年度予算審議)
改良セルニ於テハ在来ノ急坂半バ緩ニナルト聞キ下町ノ老父老母等ハ改良ヲ加エントノ話ヲ聞キ本員等カ当地ヘ
鉄道
通史編4(近・現代1)
(市制施行直前の商業)
国際的な銀価下落の影響によって輸出が伸び、紡績業や
鉄道
業をはじめとする企業勃興がおこった。
通史編4(近・現代1)
(運輸事業)
弘前駅前で倉庫業、
鉄道
貨物取扱業などを経営)との競合が始まったが、間もなく補助金がなくなって、継立所は
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