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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍
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通史編2(近世1)
(幕末期の借財)
嘉永三年当時、藩では
銀主
(資金の貸主)二五人から元利合わせて九九〇〇両の借金を、天保十五年(一八四四),この年さらに五ヵ年延長しようとしたため、
銀主
たちが不服を述べ、これ以上強行すれば今後の融資に差し支えるとして,
銀主
たちからの借金の際、津軽屋は彼らに対し原則無利息で融資するよう説得したり、藩が払うべき利息の一部を,これとは別に、藩は
銀主
四二人から計一万一八八一両余の借金があり、困窮した
銀主
の中には家屋敷まで質入れした
通史編2(近世1)
(銀遣いへの変更と商人の活用)
つまり、江戸への送金も領内の銭遣いも上方
銀主
を通して行われており、上方
銀主
に支払う手数料・両替料の出費,そしてこのようなシステムに加え、現在上方
銀主
への借財は膨大になり、江戸への送金も差し支えている状況にある,これでは、ますます上方
銀主
への借金が膨らんでいく一方である、という認識である(資料近世1No.九〇六),「古来」津軽領では銀遣いであったが、先述のように上方廻米の開始によって上方
銀主
とのかかわりが深くなり、
通史編2(近世1)
(茨木屋の苦悩)
は江戸の借財 目録を見る 精細画像で見る この年、勘定奉行釜萢(かまやち)兵左衛門は上方の
銀主
,恐縮しており、同年の藩士の知行蔵米化の処置も、かかる借財を軽減しようと導入したものであり、これにより
銀主
,しかし、今年限りで地方知行制に戻るので、少しでも寸志を送って
銀主
達の機嫌を損わないようにしたらどうか、
通史編2(近世1)
(鉱山の開発)
その後、藩では、尾太鉱山を藩が経営する直山(じきやま)から
銀主
・山師に経営を大幅に委譲する請山(うけやま,山を預けられた弘前の商人竹内勘六は、大坂の商人に
銀主
を依頼して山の経営を継続させ、享保十一年(一七二六
通史編2(近世1)
(改革意見書の基調)
(5)藩財政の最大の桎梏(しっこく)として両都
銀主
への依存があるが、生産力の拡大以外これをしのぐ方法がないこと
通史編2(近世1)
(赤石安右衛門・菊池寛司の「覚」)
(1)定免制(じょうめんせい)、(2)両都(江戸・上方)
銀主
への藩財政の依存、(3)藩士の奢侈的生活、,そこで、両都
銀主
に対して、借金のうち多少なりとも一〇年間の返済の「休年」を申し渡し、余裕が生じたら徐々,なお、この意見は、実際に現実化しており、借財の三ヵ年間休年を両都
銀主
に対して申し出ている(「老譚」『記類
通史編2(近世1)
(文化~文政期の藩財政)
たとえば、寛政三年(一七九一)には江戸・大坂の
銀主
に借金返済の繰り延べを依頼する事態となり、年限が来た,別段才覚元利返済 2,516.25 0.99 元金1,500両利息10ヶ月分共 ㉙ 大坂諸
銀主
口々年賦返済米
通史編2(近世1)
(公家との関係)
年々「両期五百両ツヽ」この支給を行うとされた(同前No.九八七)近衛家は、財政難の津軽家のために大坂の
銀主
資料編3(近世編2)
(【解説】)
第二項では、第一項の状況に規定されて窮乏した藩財政が、大坂・江戸の諸
銀主
との関係から飢餓移出をせざるを
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