• 機関トップ
  • 資料グループ
  • テキスト一覧
  • 年表一覧
  • キーワード一覧

弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

  1. トップページ
  2. 詳細検索

詳細検索


検索条件を追加
閉じる
検索結果 : 9件
辞書ファセット
/ 1ページ
通史編2(近世1) (幕末期の借財)

嘉永三年当時、藩では銀主(資金の貸主)二五人から元利合わせて九九〇〇両の借金を、天保十五年(一八四四),この年さらに五ヵ年延長しようとしたため、銀主たちが不服を述べ、これ以上強行すれば今後の融資に差し支えるとして,銀主たちからの借金の際、津軽屋は彼らに対し原則無利息で融資するよう説得したり、藩が払うべき利息の一部を,これとは別に、藩は銀主四二人から計一万一八八一両余の借金があり、困窮した銀主の中には家屋敷まで質入れした
通史編2(近世1) (銀遣いへの変更と商人の活用)

つまり、江戸への送金も領内の銭遣いも上方銀主を通して行われており、上方銀主に支払う手数料・両替料の出費,そしてこのようなシステムに加え、現在上方銀主への借財は膨大になり、江戸への送金も差し支えている状況にある,これでは、ますます上方銀主への借金が膨らんでいく一方である、という認識である(資料近世1No.九〇六),「古来」津軽領では銀遣いであったが、先述のように上方廻米の開始によって上方銀主とのかかわりが深くなり、
通史編2(近世1) (茨木屋の苦悩)

は江戸の借財 目録を見る 精細画像で見る  この年、勘定奉行釜萢(かまやち)兵左衛門は上方の銀主,恐縮しており、同年の藩士の知行蔵米化の処置も、かかる借財を軽減しようと導入したものであり、これにより銀主,しかし、今年限りで地方知行制に戻るので、少しでも寸志を送って銀主達の機嫌を損わないようにしたらどうか、
通史編2(近世1) (鉱山の開発)

その後、藩では、尾太鉱山を藩が経営する直山(じきやま)から銀主・山師に経営を大幅に委譲する請山(うけやま,山を預けられた弘前の商人竹内勘六は、大坂の商人に銀主を依頼して山の経営を継続させ、享保十一年(一七二六
通史編2(近世1) (改革意見書の基調)

(5)藩財政の最大の桎梏(しっこく)として両都銀主への依存があるが、生産力の拡大以外これをしのぐ方法がないこと
通史編2(近世1) (赤石安右衛門・菊池寛司の「覚」)

(1)定免制(じょうめんせい)、(2)両都(江戸・上方)銀主への藩財政の依存、(3)藩士の奢侈的生活、,そこで、両都銀主に対して、借金のうち多少なりとも一〇年間の返済の「休年」を申し渡し、余裕が生じたら徐々,なお、この意見は、実際に現実化しており、借財の三ヵ年間休年を両都銀主に対して申し出ている(「老譚」『記類
通史編2(近世1) (文化~文政期の藩財政)

たとえば、寛政三年(一七九一)には江戸・大坂の銀主に借金返済の繰り延べを依頼する事態となり、年限が来た,別段才覚元利返済 2,516.25 0.99  元金1,500両利息10ヶ月分共 ㉙ 大坂諸銀主口々年賦返済米
通史編2(近世1) (公家との関係)

年々「両期五百両ツヽ」この支給を行うとされた(同前No.九八七)近衛家は、財政難の津軽家のために大坂の銀主
資料編3(近世編2) (【解説】)

第二項では、第一項の状況に規定されて窮乏した藩財政が、大坂・江戸の諸銀主との関係から飢餓移出をせざるを
/ 1ページ
  • 資料グループ
  • テキスト一覧
  • 年表一覧
  • キーワード一覧
  • 機関トップ
  • 利用規定
  • 利用ガイド
  • サイトマップ
  • ADEACトップ
X(旧Twitter) facebook line urlcopy
トップへ
ページURLがコピーされました