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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍
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通史編3(近世2)
(箱館の攻防)
また、対馬官左衛門・喜多村彌平治(きたむらやへいじ)一中隊が上山村(現北海道函館市)へと分進して
長州藩
砲隊,さらに箱館方面へ探索の軍勢が出ると、弘前藩の旧陣屋から旧幕府軍の攻撃があり、弘前藩は
長州藩
の応援を得て
通史編3(近世2)
((一)東北諸藩と弘前藩)
奥羽鎮撫総督府については、さらにその後、参謀には薩摩藩士の大山格之助(おおやまかくのすけ)、
長州藩
士世良修蔵,尊皇攘夷派の精忠組に属しており、世良は、高杉晋作(たかすぎしんさく)率いる奇兵隊(きへいたい)に参加し、
長州藩
通史編3(近世2)
(幕末の政情と近衛警備)
神奈川で英国人を殺傷する(生麦事件) 文久3年 1863 3月4日 将軍家茂,京都に上洛 5月10日
長州藩
,水戸天狗党の乱) 7月19日 禁門の変起こる 8月2日 第一次長州征伐 慶応元年 1865 1月2日
長州藩
高杉晋作,,京都で倒幕の密約 10月3日 土佐藩主山内容堂,大政奉還の建議 10月13日 薩摩藩に倒幕の密勅,
長州藩
主,の官位復旧 10月14日
長州藩
に倒幕の密勅。
通史編3(近世2)
(清水谷公考の退去)
さて、このころには政府援軍が到着しはじめるようになっており、十一月四日、まず秋田藩領船越村から
長州藩
兵四六
通史編3(近世2)
(戦闘の開始)
、沢為量副総督を将とした総督軍は、参謀大山綱良(つなよし)以下薩摩藩兵一小隊および桂太郎を隊長とする
長州藩
兵一中隊
通史編3(近世2)
(各藩使者の来弘)
しかし、一方で、政府陣営の核となっている薩摩・
長州藩
らの姿勢を指弾する性格を内包させていた。,とはいえないのではないかという疑惑があること、慶喜は恭順の意を示しており、かつて御所へ向けて発砲した
長州藩
通史編3(近世2)
(松前城の恢復)
旧幕府軍は折戸(おりと)の台場で必死の防戦を行ったが、
長州藩
・徳山藩の働きが大きく、ついに松前城を恢復
通史編3(近世2)
(農兵の動員実態と要求)
よって弘前藩の農兵隊を、たとえば
長州藩
の奇兵隊と重ね合わせてイメージすることは誤りといえよう。
通史編3(近世2)
(政府軍の乙部上陸)
それによると、先鋒となるのは、
長州藩
三〇〇人、弘前藩三〇〇人、福山藩三〇〇人、松前藩四〇〇人、大野藩一
通史編2(近世1)
(旅行者のみた領内海防)
吉田松陰は、嘉永四年(一八五一)十二月、仕えていた
長州藩
の許しを得ないまま、遊学していた江戸をたって、,松陰が養子となった吉田家は、
長州藩
における山鹿流の兵学師範の家柄であり、この旅の主目的も兵学的立場における
通史編3(近世2)
(大政奉還時の状況)
これは幕府による長州戦争失敗後、
長州藩
主に官位復旧と同藩兵力の入京差し止めを解除するための措置であり、
通史編3(近世2)
(宮古湾海戦)
長州藩
兵 七七六人 岡山藩兵 五〇〇人 津藩兵 一八〇人 久留米藩兵 二五〇人 福山藩兵 六二一人
通史編3(近世2)
(軍事情勢の膠着)
参謀醍醐忠敬(だいごただゆき)らと奥羽鎮撫総督府に任命され、三月に仙台藩に出陣したが、総督府付き参謀の
長州藩
士世良修蔵
通史編3(近世2)
(御軍政局の発足と組織)
それが蝦夷地警備の関係から幕末期にはしだいに洋式化されてはきたが、
長州藩
の奇兵隊のように封建軍隊の枠を
資料編3(近世編2)
(【解説】)
その一方で、当初より勤皇色が強かった秋田藩と、反対に戊辰戦争は薩摩・
長州藩
の私怨から出たもので、朝敵とされた
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