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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍
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通史編5(近・現代2)
(空襲を受けなかった弘前市)
一般公共用の二〇人用
防空壕
が一一〇ヵ所、市役所用の二〇人用
防空壕
が二ヵ所、図書館用の八人用
防空壕
が一ヵ,所、もっとも多く作られたのが国民学校用の
防空壕
で、市内で二〇人用の
防空壕
が八四個も作られた。,そのほかに市立商業学校で二〇人用
防空壕
が一一個で、都合弘前市内に二〇八ヵ所の
防空壕
が作られることになった,弘前駅周辺や土手町、親方町など市の中心部にも
防空壕
は多数作られたが、国民学校に数多くの
防空壕
が作られたのは,
防空壕
は一体何のためにあったのだろうか。
防空壕
を作ることだけが防空対策ではなかった。
通史編5(近・現代2)
(戦時中の弘高女)
昭和十六年、太平洋戦争に突入すると、弘高女もまた他校と同じように勤労奉仕・農作業・防空演習・
防空壕
づくりなどが
通史編5(近・現代2)
(終戦直後の国民学校)
では、市役所の指示に基づいて校内特設防護団を解消し、取り外していた学校の塀を再び取りつけ、校庭の蛸壷式
防空壕
通史編5(近・現代2)
(葛原市政)
昭和十九年、二十年は
防空壕
の造成に懸命だった。公共用は二五〇ヵ所を設営する計画だった。
通史編5(近・現代2)
(満州事変から太平洋戦争へ)
弘中では、初めは校庭の
防空壕
づくり、船沢の弥生部落の開墾、遠いところでは三本木原の開拓であったが、戦争末期
通史編5(近・現代2)
(和洋裁縫女学校の躍進)
校庭での畑づくりや近郊の田畑へ通っての食糧増産、
防空壕
づくりや防空演習に明け暮れたのである。
通史編5(近・現代2)
(軍事色の払拭)
昭和二十年(一九四五)十月五日、市内に二〇〇ヵ所以上あった
防空壕
を撤去し、空襲対策用の貯水槽で、貯水池
通史編5(近・現代2)
(敗戦直後の市政事務)
無数に作られた市内の
防空壕
が次々に撤去された。
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