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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編2(近世1) (九戸一揆の意義)

『津軽一統志』によれば、一揆鎮圧直後、為信はいまだ陣所を引き払わずに九戸に留まっていたとされる(資料近世,その間、南部信直は、領土を割(さ)きとられた私怨を晴らすため、為信襲撃の許可を得ようと浅野長吉の陣所を
通史編2(近世1) (秋田安東実季の名護屋参陣)

文禄元年十二月晦日付の楢山剱帯(ならやまたてわき)宛ての南部信直書状によれば、信直と秋田実季が名護屋の陣所
通史編2(近世1) (名護屋における「日本之つき合」)

の縄張りは、本丸を中心に二ノ丸・三ノ丸・東出丸・遊撃(ゆうげき)丸・弾正(だんじょう)丸(浅野長吉の陣所,を取次としていこうと考えたがそれに成功せず、さらに浅野長吉との関係を悪化させていたが、その浅野長吉の陣所,図20.浅野長吉の陣所が置かれた弾正丸 図21.肥前名護屋城諸侯陣跡之図(部分) 右下に津軽為信,名護屋の陣所とは「日本之つき合」の場であり、為信や信直ら奥羽の大名らにとってそれは、家康・利家・長吉らを
通史編2(近世1) (九戸一揆の鎮圧)

大将である政実と櫛引清長は当時の降参の作法にのっとって頭を剃って城を出たため、これを妻子ともども秀次の陣所
通史編3(近世2) (神仏分離の準備)

奥羽鎮撫総督府参謀醍醐忠敬(だいごただゆき)が来弘し、最勝院(さいしょういん)(弘前八幡宮の別当)を陣所
通史編3(近世2) (箱館戦争をみた農民)

町々の入口には番屋が置かれ、本町の常光寺は清水谷公考(しみずだにきんなる)の陣所で警戒はことに厳重であった
通史編1(古代・中世) (一 古代における北奥の宗教世界)

真言宗百沢寺 坂上田村麻呂の奉祭 (2) 八幡太神宮 不詳 最勝院(真言宗) 鼻和庄八幡村は坂上田村麻呂の陣所,なかでも、旧名大浦八幡宮と伝える八幡太神宮の旧在所たる鼻和(はなわ)庄八幡村は、『津軽考』に田村麻呂将軍の陣所
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