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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍
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資料編1(考古編)
((1)東北地方南部以南との交易・交流)
なお、この時期には猿投(さなげ)窯産灰釉
陶器
が平賀町大光寺城跡で出土している。,時期の搬入品としては、「京都系かわらけ」(中崎館・浪岡城内館・蓬田大館・内真部)、常滑・渥美系の瓷器系
陶器
,(蓬田大館・中崎館・浪岡城)、珠洲等の須恵器系
陶器
(境関館・浪岡城・蓬田大館・中崎館・源常平)などがある,図122 古代の陶磁器(1灰釉
陶器
,2~15・17白磁,16~19青磁) 図123 古代の陶磁器,(1~8須恵器系
陶器
,10~12瓷器系
陶器
)
通史編3(近世2)
((三)陶磁器)
(三)陶磁器 陶磁器とは焼き物の総称であるが、ここではその中の
陶器
と磁器を主対象とする。,両者の大きな違いは、
陶器
は粘土を主な原料とし、磁器は陶石(主成分が長石(ちょうせき)や石英で白く磁器に,焼成温度は一般的には磁器の方が高く(約一三〇〇度)、津軽焼など多くの民芸の焼き物は
陶器
であり、これに対,津軽領における陶磁器の調達は、領内の製品と唐津(からつ)船などによって移入された唐津物(からつもの)(
陶器
資料編1(考古編)
(6.17世紀以降の様相)
6.17世紀以降の様相 16世紀末から搬入する唐津
陶器
や瀬戸美濃における志野・黄瀬戸・織部などの出土状況
通史編3(近世2)
(悪戸村における製陶)
でつくられた陶磁器を総称した言い方であるが、「国日記」には悪戸村で焼成した雑焼(ざつやき)(高級でない日用
陶器
類,その際の申し付けによると、瓦は試焼段階にあるが、瀬戸焼(
陶器
)は国産になるので自由に焼き出すようにと記述,「封内事実秘苑」天保元年(一八三〇)二月十一日条によると、湯口村(下湯口を含む)では国産
陶器
の焼成が引
資料編1(考古編)
(第5節 陶磁器類)
青森県内で最も古い陶磁器が出土している事例は、古代集落における東海地方の灰釉
陶器
出土例を除き(前章の三浦執筆
通史編3(近世2)
(下川原における製陶)
天保十年(一八三九)には国産方が廃止になり、国産品(
陶器
もふくまれる)は郡所勘定所の取り扱いとなる。,当時、下川原では白焼(磁器)、悪戸村では雑焼(日用
陶器
)が主に焼かれていたが、「国日記」嘉永元年(一八四八,製品は
陶器
もあるが、染付磁器が主体をなしており、神前徳利、大小の徳利、茶碗類、大小の皿、急須、八角鉢などの
資料編1(考古編)
(-中世Ⅰ期(12世紀代)-)
矢立廃寺においては、大小2種類で、2技法をもった在地及び京都系かわらけ、須恵器系及び瓷器(しき)系国産
陶器
通史編1(古代・中世)
(住の道具)
写真174 中崎館遺跡出土の井筒 井戸から汲み上げた水を貯蔵するものとして、
陶器
の甕や曲物が使,われていたと考えられ、
陶器
では珠洲・越前の甕が多い。
通史編3(近世2)
(瀬戸師林兵衛による製陶)
図146.石岡林兵衛の津軽
陶器
卸・小売販売所 目録を見る 精細画像で見る 悪戸村での生産は窯場,製品には
陶器
・磁器・瓦などが挙げられるが、多くを占めるのは
陶器
である。
資料編1(考古編)
(4.発掘調査以外の遺跡)
内容としては、悪戸焼の器種を
陶器
と磁器別に分類し、窯道具の紹介もある。
通史編1(古代・中世)
(陸の道・海の道)
それは、能登半島に成立した「珠洲(すず)」という
陶器
が一二世紀後半ころから津軽地域まで搬入され、一部は
通史編1(自然・原始)
(江戸時代~明治十七年(一八八四))
が『耽奇漫録(たんきまんろく)』に掲載されており(6)、亀ヶ岡出土の土偶や土器が、土偶人・古磁器・古
陶器
,中で亀ヶ岡とその北に位置する筒木坂(どうぎざか)から多数の土器類が出土することを記述し、特に筒木坂は
陶器
坂
通史編5(近・現代2)
(学校給食の開始)
学校では児童用食器の購入など物入りだったが、父母の援助により
陶器
の碗などを急いで取り揃えた。
資料編1(考古編)
(資料編1「考古編」掲載図・表・写真一覧)
された土師器・須恵器 図121 境関館遺跡に搬入された北陸産の須恵器 図122 古代の陶磁器(灰釉
陶器
,,白磁,青磁) 図123 古代の陶磁器(須恵器系
陶器
,瓷器系
陶器
) 表1 青森県内の後北式・北大式出土遺跡一覧,井戸跡 図55 中崎館遺跡SD01堀跡出土陶磁器(青磁・白磁) 図56 中崎館遺跡SD01堀跡出土
陶器
,(渥美・珠洲系) 図57 中崎館遺跡出土
陶器
(珠洲系) 図58 中崎館遺跡SD01堀跡出土
陶器
(珠洲系,) 図59 中崎館遺跡SD01堀跡出土
陶器
(珠洲系) 図60 中崎館遺跡SD01堀跡出土かわらけ(
資料編1(考古編)
(4.中崎館遺跡)
図55 中崎館遺跡SD01堀跡出土陶磁器(青磁・白磁) 図56 中崎館遺跡SD01堀跡出土
陶器
,(渥美・珠洲系) 図57 中崎館遺跡出土
陶器
(珠洲系) 図58 中崎館遺跡SD01,堀跡出土
陶器
(珠洲系) 図59 中崎館遺跡SD01堀跡出土
陶器
(珠洲系) 図60
資料編1(考古編)
((4)12世紀代)
遺跡では、青磁や白磁などの中国製陶磁器や、常滑(とこなめ)・渥美(あつみ)・珠洲(すず)焼などの国産
陶器
資料編1(考古編)
(4.15世紀の様相)
国産品では、瀬戸美濃があな窯から大窯へと移行する時期であり、前代までの高級
陶器
という観点から、庶民向けの
資料編1(考古編)
(10.弘前城内遺跡)
のほか、同時代後期の十腰内Ⅰ群(式)土器破片に加えて、平安時代の土師器をはじめ、藩政時代の陶磁器・瓦質
陶器
等
通史編2(近世1)
(漆以外の国産品)
悪戸焼は松前、秋田方面にも移出され、藩は嘉永三年(一八五〇)に至り、他領からの
陶器
の移入を禁止している
通史編5(近・現代2)
(景気回復後の弘前市の商業)
市内各病院,浪岡,大鰐,尾上,目屋,石川,平賀,猿賀 C 市内各病院,南郡,北郡,市周辺
陶器
通史編1(古代・中世)
(四耳壺の出土)
そこで登場したのが瀬戸や珠洲といわれる中世
陶器
生産地による白磁四耳壺の模倣生産である。
通史編1(古代・中世)
(湊の最盛期)
境関館の場合、中国産陶磁器の比率は十三湊と変わりないのに、国産
陶器
のなかでは珠洲が多く、瀬戸に関しては
通史編1(古代・中世)
(かわらけと陶磁器)
を比較すると、前者は四耳壺(しじこ)の主体が白磁であるのに対し、後者は珠洲および類似の窯跡で焼かれた
陶器
資料編2(近世編1)
(【解説】)
の城米(じょうまい)、大豆、木材などを主力に、銅、鉛、海産物などが中心であったのに対し、移入した品は
陶器
資料編1(考古編)
(〈注一覧…第4章〉)
本堂寿一 「今別町大開城の調査」(考古風土記創刊号) 1976年 5) 鈴木古観 「青森県出土の
陶器
二例,について」(北奥古代文化第6号) 1974年 *7 橘善光・森本岩太郎 「下北半島西通発見の人骨と
陶器
,の新資料-) 1983年 *10 『考古風土記』創刊号の中では、鈴木古観(克彦)「青森県出土の中世
陶器
二例
資料編1(考古編)
(2.堀越城跡)
1~3青磁 4白磁 5~10染付 カラー図15 堀越城跡出土陶磁器(2)(表裏) 1不明
陶器
通史編3(近世2)
(平清水三右衛門による作陶)
かわらけ)といった食器具や台所用品、およびたばこ入れ・灯明皿(土器)などの生活用品で、焼き物の分類では
陶器
通史編1(自然・原始)
(深海に堆積してできた地層)
硬質泥岩はハンマーでたたくと、
陶器
をたたいた時のような軽く高い音がする。
通史編1(古代・中世)
(北奥における建郡)
時代になると、擦文土器や内耳鍋が姿を消し、美濃・常滑・瀬戸・猿投(さなげ)といった東海地方の釉を施した
陶器
通史編2(近世1)
(中世の北国海運)
②十四世紀中ごろから、このころに顕著となる瀬戸施釉
陶器
小型品や、珠洲(すず)の壺・甕(かめ)・すり鉢、
資料編1(考古編)
((2)文字資料と文字文化)
古館のものは須恵器甕の破片を打ち欠いた転用硯、鳥海山のものは須恵器皿の転用硯、また、沖附のものは灰釉
陶器
資料編1(考古編)
([付図])
弘前市大字小栗山字沢部225-71 丘陵北東斜面 包含地 縄文(後期) 平安 縄文土器(十腰内Ⅰ式),土師器,須恵器,
陶器
破片,弘前市大字高杉字神原43-1・2・3・4,44-1ほか 丘陵上 包含地 縄文 平安 縄文土器,土師器,
陶器
資料編1(考古編)
(1.境関館遺跡)
舶載品としては、中国製青磁・白磁・青白磁・染付と朝鮮製粉青沙器があり、国産品では、瀬戸・珠洲・越前産の
陶器
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