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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編2(近世1) (伏見作事板の運上と太閤蔵入地)

「秋田家文書」所収の文禄五年分の「於秋田御材木入用之帳」によれば、杉板の運上について「右之板隣郡之衆へ,津軽氏のほか秋田・仙北・由利郡の大名・小名は「隣郡之衆(りんぐんのしゅう)」として編成され、その新たに,「隣郡之衆」として編成された大名衆をもって杉板を運上している。,、秋田実季らの大名を個人的に秀吉政権に直結させて杉板の運上を実現するのではなく、あくまでも「隣郡之衆」,表3「隣郡之衆」に賦課された伏見作事杉板     年代 大名 文禄4年 慶長元年 慶長2年 慶長3年
通史編2(近世1) (太閤蔵入地の設定)

また、七月には秋田実季をはじめとして、津軽氏は由利五人衆らとともに「隣郡之衆(りんぐんのしゅう)」として,これら「隣郡之衆」にも、三月に由利五人衆が指示されたように、やはり、秋田実季の領内の蔵入地からの蔵米を,そして、これら「隣郡之衆」の領内にはいずれも太閤蔵入地が設定されており、後に、自領の蔵入地からの蔵米によって,すなわち、「隣郡之衆」の領内の太閤蔵入地は、秋田の杉材の運搬・廻漕をその目的として設定されたと考えられる,太閤蔵入地の目的は、太閤鷹の保護と秀吉への上納の際の費用として、さらに、北羽地域の大名・小名と同じように「隣郡之衆
通史編2(近世1) (伏見滞在と派閥抗争)

秋田山からの杉板廻漕は、秋田実季を中心とし仙北・由利の小名衆や津軽氏をも含む「隣郡之衆」であったが、この,「隣郡之衆」の中心である秋田実季に対して伏見作事板にかかわる秀吉の朱印状の取次を果たしていたのは、主として,図42.津軽右京のところに「此板津軽請取不申候」とある  この為信の行動は、「隣郡之衆」の長として,「隣郡之衆」とは、豊臣政権の政策遂行に利用するために意図的に編成されたものであり、それはすなわち政権の,しかし、津軽氏はこの「隣郡之衆」からの独立を求めて行く。
通史編2(近世1) (浅利騒動の停戦命令)

秋田領からの伏見作事板徴収によって政権を強化するとともに、その軍役賦課によって大名秋田氏を中心とする「隣郡之衆
通史編2(近世1) (北奥羽の領知確定)

らはわずか一ヵ村のみを知行する小名であるが、豊臣政権はこれら由利の小名や仙北衆・秋田氏、そして津軽氏を「隣郡之衆
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