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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍
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通史編2(近世1)
(家臣団の成立)
郡市兵衛・高屋豊前守(ぶぜんのかみ)・戸田茂兵衛・服部長門守・秋田金左衛門・乾(いぬい)四郎兵衛・大道寺
隼人
,北村与左衛門・高倉五兵衛・工藤孫左衛門・軽米(かるまい)兵助・馬場馬之助・竹内又兵衛・長尾安左衛門・大道寺
隼人
,表13と共通する人名は松野大学・大道寺
隼人
の二人のみであるが、「信枚公御代 元和年中御家臣姓名大概」には
通史編4(近・現代1)
(ランプと写真)
さて、明治初年のころ、弘前を訪れた函館の小林友八から初めて写真術を修めたのは、田井
隼人
、柴田一奇、西谷休之助,田井
隼人
の子晨善(あきよし)はまもなく横浜で写真術を修得して帰り、十一年ごろに下白銀町に開業した。
通史編1(古代・中世)
(混血の進展)
データが極めて少ないので難しいが、南の熊襲(くまそ)・
隼人
(はやと)も同様の存在であると推測されている
資料編1(古代・中世編)
([七世紀以前])
●欽明天皇元年、蝦夷・
隼人
が一族をつれて帰順。
通史編4(近・現代1)
(弘城政社の内紛と解散)
福田忠之進 福島寿助 一戸豊蔵 丸瀬正果 成田助 八木橋彰六郎 小野恒三郎 佐藤英司 木村静一 七戸
隼人
通史編3(近世2)
(稽古館の儒学者たち)
当時古学派が隆盛であった稽古館の学風を朱子学に改革せんことを家老大道寺
隼人
に進言した。
資料編2(近世編1)
(【解説】)
同年七月に高田領の検地終了後、領内検地を再開し、大道寺
隼人
(だいどうじはやと)と間宮求馬(まみやもとめ
資料編1(古代・中世編)
([八世紀])
●養老五年(七二一)六月十日、
隼人
・蝦夷の戦乱地の民及び軍功の人に免税措置。,●養老六年(七二二)四月十六日、前年~前々年次の蝦夷・
隼人
征討についての行賞。
通史編2(近世1)
(越後高田領検地の実施)
それが国元にいる手廻組頭大道寺
隼人
に代わった理由は、検地役人に多く手廻組に属する藩士がいたことによると,役 職 氏 名 本来の役職 新規召抱 備 考 1 惣奉行 大道寺
隼人
手廻組頭 国元から呼ぶ 2
通史編1(古代・中世)
(「蝦夷・蝦狄」表記の創造)
また類似の「熊襲(くまそ)」「
隼人
(はやと)」などといった呼称のなかにも、「蝦」同様、いずれも動物を指
通史編2(近世1)
(赤石安右衛門・菊池寛司の「覚」)
このほか、九代藩主寧親(やすちか)の代に家老となり改革を推進した大道寺
隼人
繁殖(だいどうじはやとしげたね
通史編3(近世2)
(城下での生活)
十七日、昼飯後、関治介・手柄茂太夫・木村喜之介・佐々木長右衛門・中川小
隼人
・秋元定右衛門・浅利儀太夫などを
資料編1(古代・中世編)
(第一章 綱文・史料一覧)
……………………………… 日本書紀 6 ●欽明天皇元年、蝦夷・
隼人
が一族をつれて帰順。,……………………………… 続日本紀 16 ●養老五年(七二一)六月十日、
隼人
・蝦夷の戦乱地の民及び軍功,……………………………… 続日本紀 17 ●養老六年(七二二)四月十六日、前年~前々年次の蝦夷・
隼人
征討
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